第53話 合唱コンクール

 俺は、大学から歩いてほど近い、とあるレッスン場へと足を運んでいた。

 ドアを開けると、そこにはトレーニングウェア姿の浜屋がストレッチをしているところであった。


「おっ、やっと来た羽山。遅い」

「悪い、ちょっと色々あって遅れた」



 浜屋に詫びを入れ、荷物を端の方に置いて、早速浜屋と一緒に2週間後のボーカルテストに向けての特訓を開始する。


「まあ、音楽的な知識に関して、俺は全くと言っていいほどの素人だから。ひとまず俺が出来ることって言ったら、歌えるようになるためにカウンセリング的なことなわけだが……ひとまず、今どれくらい歌えるのかここで試してみ?」

「……なんでちょっと上から目線? まあいいけど……」


 そう言って、浜屋はすぅっと大きく息を吸ってから、ふぅっと息を吐きつづけている。


「……歌ってみたけど……」

「えっ!? 今歌ってたの!?」 


 深呼吸してるだけかと思ったぞ?!


「し、仕方ないじゃん。ここ3カ月、やってもやっても出ないんだから……」


 浜屋はしょんぼりとした表情を浮かべて少し不貞腐れていた。

 だが、これでよく分かった。浜屋の状態がかなりの重症であることが……

 これでは、トレーニングをするにしてもただの筋力トレーニングになってしまう。


「まずはあれだな。どうしてこうなったのか、原因って分かるか?」

「原因かぁ……」


 浜屋は思い返すように、人差し指を唇に当てて考える。

 すると、はっと思い出したように口を開いた。


「そうそう! 歌えなくなった当日、私タピオカ飲んでたのね! それで、お腹が凄いぎゅるぎゅるーってなってて、そのまま我慢してレッスンはいったら歌えなくなってて!」

「いやっ……3か月も歌えてねぇんだから。タピオカ関係ないだろ」


 3か月も身体の中に残ってるとか、どんだけ消化に悪いタピオカ飲んだの?


「う~ん……そうなるとあとは~……」


 浜屋はまたも考えるように顎に人差し指を置いて思案する。


「私が元々声楽部に所属してたこともあって、その歌唱力を買われて、そのままスカウトされたんだけど……」

「えっ、それじゃあ芸能界に誘われたきっかけって高校の時だったの!?」

「うん、そうだよ。ほら、1年生の終わりに合唱コンクールあったじゃない? あの時にたまたま大槻さんが見に来ていたらしくて、終わった後スカウトされたの」

「あぁ……あの時の」


 俺は懐かしむように頭の中に記憶がよみがえる。


 俺と浜屋が通っていた高校では、なぜか高校1年生だけ合唱コンクールが存在していた。


 行われるのは3月上旬、学期末最後のクラス企画として、集大成となるイベントだった。


 中学で合唱コンクールは聞いたことあるが、高校になっても合唱コンクールを行う所は少ないのではないかと思う。


 懐かしいなぁ……合唱コンクール前になると始まる放課後練習。急に仕切りだす音楽系の部活の奴ら。部活があるからと言って、さぼりだす運動部たち。そして、その軋轢から衝突が起こり、遂に泣き出してしまう伴奏。それを必死になだめる指揮者。

 ホントなんで仲良くなれないの? ってか、正直あれは制度が悪いと思う。

 そんな感じで大会が近くなると、いきなりクラスが優勝に向けて一致団結しだすあの謎の団結力。最初からそれ出して?

 テスト前日になってから本気出して勉強するのと同じ感覚でやらないでくれるかな?


 そんな感じで、最終的にはいい思い出として青春の一ページに残るのが、中学の合唱コンクールというイベントだった。


 だが、俺と浜屋が通っている高校では、モチベーションが全く違った。


 何故ならば、合唱コンクールで優勝したクラスは、一日ディズニー旅行が優勝景品として与えられるのだ。やはりあの鼠の力は大きい。放課後の練習は真剣そのもの。どのクラスの運動部もさぼる奴らは一人もいない。みんな本気だった。ちなみに、ディズニー旅行に行くのは終業式の前日、つまり通常授業の最終日になる。


 他の奴らは、学期末の消化授業をタラタラ学校で聞いていなくてはならないが、優勝すればクラスの最後の思い出として、最高の夢の国へのご招待チケットが待っているのだ。


 合唱コンクール自体も、横浜のコンサートホールを借りて、大々的に行われるため、結構学校の特色としては一大イベントだった。その合唱コンクールで、圧巻のパフォーマンスを見せたのが、目の前にいる浜屋のクラスだった。


 もちろん、クラス全員の混合4部合唱も素晴らしいパフォーマンスだったのだが、おおとり前のソロパートの部分があり、そこで魅せた浜屋莉乃の歌声は圧巻の一言だった。

 その会場全員の視線を釘付けにして、魅了した。

 俺も食い入るように、その歌声と姿を、口を開けて眺めていたのをよく覚えている。


 そして、見事浜屋のクラスが優勝をもぎ取ったのだ。


「あの時のパフォーマンスは目を見張るものがあったからなぁ~」


 俺が懐かしむようにそう言うと、浜屋が誇らしげに胸を張って微笑む。


「まあ、あの時のクラスは団結力が強かったし、当然の結果よね」

「そうか、あれがきっかけだったのか。全然知らなかった」

「まあ、高校の人にも一部の人にしか言ってなかったし、羽山が知らなかったのも無理ないよ」


 その一部の人、というレッテルに俺が入ることが出来なかったということは重々承知だ。だが、そのことが余計に、彼女に告白をしたときが、どれだけ自分が浜屋莉乃という女の子を理解していなくて、浅はかに告白をしてしまったかということがよくわかる。


 そんな過去の黒歴史を、自分自身で憐れみつつも、浜屋が話を続ける。


「本当はその年の秋から冬くらいにデビュー予定だったんだけどね。ほら、私色々あったじゃない? だから、一回デビューが流れて、ようやく大学生になって本格的に始動かと思えば、この有様よ」

「なるほどな……」


 浜屋は自分の運のなさに。自虐的な口調で言って見せる。


「それで、結局何の話してたんだっけ?」

「なんでお前が歌えなくなったかの原因だよ」


 はぁ……こりゃ前途多難だな。


 結局、今日は高校の昔話に華を咲かせただけで、今日のレッスンは終わってしまった。

 こんな調子で、大丈夫なのだろうか?

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