第19話 歌姫の天使

 浜屋莉乃は高校時代。歌姫の天使として誰もが知っている有名な女の子だった。

 学校で声楽部に所属し、部活中に廊下に漏れてくるその彼女の歌声を聞いたものは、だれもがうっとりとしてしまうほどに美しく透き通っていた。


 元の声もとても可愛らしいこともあり、彼女と会話することが出来ただけでも、幸せが訪れるとまで当時は言われていた。

 彼女はみんなにとって、いわゆる雲の上の存在だった。


 そんな彼女との初めて話す機会が訪れたのは、高校2年生の春のこと。

 新しいクラスとなり、委員会決めで俺は学校祭委員となったのだが、彼女もまた学校祭委員に立候補したようで、同じ委員会で顔を合わせることになった。

 俺と浜屋は、当日のオープニングイベントと後夜祭を取り纏める、企画・運営班に配属され、その時の顔合わせで初めて言葉を交わした。


「羽山くん、だよね? 浜屋莉乃です。よろしくね」

「羽山弥起です。よろしく」


 その時、交わした言葉はその挨拶だけだったが、一瞬で彼女のその透き通るような声を耳にして、歌姫の天使と呼ばれている理由が分かった。

 だが、それだけではない。透き通ったような清潔感溢れる身体。ぱっちりとした目、すべすべしてそうなの白い肌、ぷっくりとした柔らかそうなその唇。

 彼女は誰もが認めざる負えない生粋の美少女でもあったのだ。


 人を引き寄せる力があるというのは、彼女に最もふさわしい言葉に感じる。

 それくらい、彼女は模範のような美少女だった。


 その魅力に俺も例外ではなく、その日から一瞬で憑りつかれてしまう。まあ端的に言うと浜屋莉乃に惚れてしまった。こんな女の子と、半年もの間一緒に委員会活動できるなんて夢みたいだった。


 それからというもの、俺は委員会の活動日になるまで、毎日まだかまだかと待ちわびていた。

 別に積極的に彼女に話しかけるとかいうわけではないが、彼女と一緒に活動をしているというだけで、当時の俺は胸が締め付けられるほどうれしかったのだ。


 しかし、それから夏休みも明けて学校祭への準備が本格的になり、活動日が増えていくほど、彼女は活動に姿を現さなくなっていった。

 同じクラスの人に聞いた話によると、あまり学校にすら来ていないとのことであった。

 俺は心配だったが、浜屋を気に懸ける暇はなく、文化祭に向けて毎日忙しい日々が続いていた。


 結局、浜屋は活動にほとんど参加することなく。終いには、担当だった後夜祭係からも浜屋は外されてしまう始末。


 今思えば、浜屋も顔を出しずらくなっていたのではないだろうか?

 学校に来たとしても、せかせかと忙しそうにしている文化祭実行委員の人たちを見て、助けてあげたいという気持ちがありながらも、私が行っても足手まといなだけだという後ろめたい気持ちが何処かにあったのではないだろうか。


 だから、久しぶりに浜屋が顔を出した時。俺は出来るだけ何事もなかったように明るく振舞って仕事を振ってあげた。


 他の奴には白い目で見られたりもしたが、同じ班の仲間である以上見捨てたりはしない。だから、彼女も俺が割り振ってあげた作業を嫌な顔一つせずに全力でやってくれた。

 少しでも彼女にも後ろめたさをなくして、学校祭委員をやり遂げたという達成感を味わってほしかったから。


 そして、遂に迎えた学園祭当日。

 結果としては、土日の二日間で行われた学校祭は大成功を収めた。


 浜屋も文化祭の二日間は遅刻欠席せず、朝早くから登校してオープニングイベントと後夜祭の運営とサポートを一生懸命してくれた。

 正直人手が足りていない部分もあったため、浜屋がいてくれて助かった部分が多々あり、班のメンバーからもとても喜ばれた。


 後夜祭のステージでは、自分が組んでいるバンドのボーカルとして出演し、オオトリとして場を盛り上げてくれた。その時の姿はまさしく歌姫の天使浜屋莉乃健在という感じだった。


 それから一週間後の休日、企画・運営班で千葉にある有名なテーマパークに打ち上げに行った帰り。俺は浜屋莉乃に告白した。


 結果はもちろん撃沈。浜屋は俺が告白すると驚いたような表情を浮かべていたが、断る時にはどこか申し訳ない表情の奥に、哀愁漂う雰囲気を醸し出していた。


 これが、俺が浜屋莉乃に会った最後となった。



 その一週間後、浜屋莉乃は高校を中退した。プライベートのことなので、理由は差し控えるとのことだった。

 だが、それが逆に多くの憶測を生んだ。『芸能事務所にスカウトされて、他校へ転校した』とか『歌唱力を磨くため、海外に留学した、『不慮な事故で亡くなった』とか『実は両親が借金を抱えていたので夜逃げした』、挙句の果てには、『実は俺たちが見ていた浜屋莉乃は、学校に住み着いていた妖精で、本当は実在していな

 かった』という妖精チックなものまで……


 そんな、幻とも称された歌姫の天使浜屋莉乃に、告白した時以来ぶりに再会した。

 しかも、先輩となって……

 これは、色々と聞かざるを得ないだろう。




 俺と浜屋は先日西城さんと一緒に来たばかりの大学近くにあるカレーもおいしい喫茶店『カラフル』で、コーヒーを啜りながら向かい合って座っていた。


「それで? 私に聞きたいことって?」

「あぁ……えっと、色々聞きたいことがありすぎて何から話せばいいのか分からないんだけど、浜屋が大学2年生っていうのはどういうことなの?」

「どういうことだと思う?」


 ニコっと笑いながら逆に試すかのように聞き返されてしまった。浜屋の表情には大人の余裕さえ感じられる。俺は必死に頭で思案して答えた。


「年齢を偽装して飛び級入学した……とか?」

「なるほど、いい線言ってるけどはずれ。むしろその逆かな」

「逆?」


 どういうことだろうと思っていると、浜屋は頬杖をついて語りだす。


「偽装していたのは大学の時じゃなくて、高校の時なの」

「えっ……それって」

「私、中学卒業してから家庭の事情で高校浪人したの。それで、一年経ってからあの高校受験して入学したってわけ」

「つまりは本当は元々一つ上の学年だったと」

「そういうこと。先生には生年月日知ってるからバレてたけど、『生徒には私が年上だってこと誰にも言わないでください』ってお願いしたの」

「そうだったんだ・・・・・・」

「ごめんね、みんなを騙すつもりはなかったんだけど、あの時の私は人生で一番沈んでた時期だったからさ……」


 浜屋は高校の時の自分を思い出すかのように、悲しげな表情を浮かべていた。


「それで、高校辞めてからどうして鷹大に?」

「元々大学には進学するつもりだった。ほら、それに私こう見えても勉強は出来るから? 高卒認定試験受けたらパパっと受かっちゃって、現役で合格出来ちゃった」


 さらっとそんなことを言って見せる浜屋。

 いや、にしてもさらっと凄いこと言ったぞ!?

 秋口に中退したはずだから……

 浜屋の頭の良さに少し驚愕してしまう。


「にしても、まさか羽山くんが鷹大に合格するとはね。うちの高校から鷹大に入った人。過去10年見ても1、2人くらいしかいなかったでしょ?」

「うん、最初見た時は愕然としたけど。俺も頑張ってやってきたから」

「そっか……羽山くんも頑張ったんだね」


 そう言って、浜屋はコーヒーを啜る。


「あ、そうそう。私今は『浜屋』じゃないから。今の私の名前は『野方莉乃のがたりの』。呼び方に気を付けて」

「えっ!? それってどういうっ」

「そこは察してほしいかなぁ~。家庭の事情ってやつを」


 俺の言葉を遮るようにして、鋭い口調と目つきで訴えかけてくる。


「お、おう・・・・・・すまん」


 威圧感に押されて、そう謝ることしか出来ない。

 先程から浜屋が喋るごとに言葉にする家庭の事情。

 浜屋の人生は、随分と前途多難なものであることがその表情からも見て取れる。


 浜屋は、コーヒーを一気に飲み干すと、短いため息を吐いた。



「それと、今日は声かけられたから仕方なく反応したけど。これからはちゃんと先輩後輩として接すること。あと、高校の同級生だってことは他の人には一切喋らないこと、いい?」

「え、どうして?せっかく再会したのに……」


 俺がショックを受けたような視線を向けると、野方莉乃は席を立ってバックを肩に掛けた。


「それは、言えないかな~。私にも私の事情っていうのがあるのよ! それじゃ、私はこの後予定があるからこれで! あ、お勘定は私が出しておくよ」


 そう言い残して、浜屋改め野方莉乃はウインクを俺にして見せ、くるっと背中を向けて歩いて行ってしまう。

 

 お店を出るまで、俺はその後ろ姿をまじまじと眺めていたが、俺と野方莉乃の間には空白の一年半ほどの間に、随分と見えない大人の壁のようなものが出来たように感じられずにはいられなかった。

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