第23話 砂の蜥蜴 1 

 かつて豊潤ほうじゅんな緑をたたえた大地も今は無残に枯れて、冷たい土が支配する色のない世界が広がっている。


 その村は貧しかった。ヒトハミに獣、盗賊が跳梁跋扈ちょうりょうばっこする中にあって、防壁は貧弱を極め、それにもかかわらず防衛策の一つも講じていない。


 そこに気を配る余裕はなかった。外敵に襲われるまでもなく、彼らは死に直面していた。


 そんな彼らが、ある日マイの種子を手に入れた。


 共栄帯きょうえいたいの東の端に位置するという聖なる都でのみ育てられているその植物は、恵みの枯れた大地に堂々と根を張り、よく育った。


 人々は飢えから解放された。


 腹と心を満たした人々は幸福の微睡まどろみして失敗した。


 恵まれざる者たちであるという一点のみが、彼らを危険から守るよろいだった。


 彼らは自らその鎧を脱ぎ捨てたのだ。


 幸か不幸か、彼らは最期までそれに気が付かないままだった。



               *



 法王が手配した旅の荷物の確認作業をしているフューレンプレアの髪は、緻密な編み込みで結い上げられ、薄桃色の花飾りで留められている。


 ぼんやりそれを見ていたエルバは、ふとした拍子にフューレンプレアと目が合った。フューレンプレアは悪戯っぽい笑みを浮かべて、さりげなく花飾りに手をやった。エルバは慌てて視線を逸らす。


 熱と血液が顔に溜まっているような気がした。


「わあ、フューちゃん、素敵な髪形だね! どうなってるの、それ?」


 マッドパピーが無遠慮にフューレンプレアの頭に手を伸ばした。フューレンプレアは笑顔を引きらせて身をかわす。


「ティエラがやってくれたのですよ。」


 フューレンプレアが言うと、マッドパピーは大仰な動作でティエラを振り返った。


「器用だねえ!」


「私も昔は髪が長かったので、結び方は知っている。」


 ティエラは保存食が傷んでいないかどうかを入念に確かめつつ、気のない受け答えをした。


「へえ、似合わなさそうだな。」


 ゴートは昨日のうちに買い込んだ用途不明な荷物に得体の知れない処理を加えていた。


「何を言う。私ほど緑なす長髪の似合う者はなかなか珍しいぞ。」


 ティエラは長い髪をき上げるジェスチャーをした。


「ティエラの髪はとても綺麗ですものね。さらさらで真直ぐで……。憧れます。」


 フューレンプレアは柔らかく跳ねる自分の髪を押さえて切なげな溜息を吐いた。


「僕の髪も結って!」


 マッドパピーがぼさぼさに伸びた自分の髪を揺らしてティエラにすり寄った。


「皮ごとむしり取るぞ。」


 ティエラの双眼が危険な光を放った。マッドパピーは頬を膨らませてぶぅぶぅと文句を言った。


「マッドパピー? ふざけていないで、あなたも確認作業を手伝ってください。この先は、共栄帯内のように楽な旅ではありませんよ。」


 整備された街道があるわけでもなく、宿場もない。


 祓魔師ふつましの巡回もない。


 ヒトハミの生息密度がどのような勾配こうばいを示しているのかも未知数だ。


 さらには地図も不正確。


 一体どのような困難が待ち受けていることか。フューレンプレアは真剣に語った。


「水を差すようで悪いが、プレア。これまでの旅だって共栄帯特有の恩恵を我々は受けていないよ。」


 ティエラが言うと、フューレンプレアは虚を突かれた顔をした。


 確かに、ここまで来る旅において一行は整備された街道を外れていた。


 宿場で安眠を貪ることもなく、巡回中の祓魔師に助けてもらうこともなかった。


 しかもティエラの存在がヒトハミを引き寄せていたのでヒトハミとの遭遇率も高かった。


 地図は正確だったが、何故かそこに記されていないものを次々と発見する羽目になった……。


「楽観しろとは言わないが、これまでの旅と比べて極端に難しくなることはない。」


 ティエラは特等級の守印しゅいんの核である宝石を示して先を続ける。


「困難があるとすれば、物資を補給する目途めどが立たなくなることさ。この先、余裕のある町や村を探すのは困難だ。特に守印はまず手に入らないだろう。」


「途中で守印が足りないことに気が付いて、仲間内で命がけの奪い合いに発展するなんてのはありふれた笑い話だぜ。」


 ゴートは愉快そうに笑った。


「笑い話ではないでしょう。」


 フューレンプレアは杖の先でゴートの頭を軽く叩いた。


「安心したまえ。物資は十分だ。道に迷うだとか、荷物を失くすとか、そう言った不測の事態が起きなければ何ら問題ない。流石は法王の采配だ。」


 ティエラは満足げに物資の山を見やる。


「いや、でも……これ、どうやって運ぶんですか?」


 エルバは用意された物資を一目見て以来気になっていた問題点を指摘した。


 全員で分担すれば辛うじて持てるかもしれない。だが、それで旅を続けるのが困難なことはすでに身をもって体験していた。


「アハハ、ものすごい荷物だね!」


「半分くらいはあなたの荷物ですよ。減らせないのですか?」


 気楽に笑うマッドパピーに、フューレンプレアは厳しい声をかけた。


「減らせないよ。全部データの収集に欠かせない機器だもの。」


 マッドパピーは当然のように答えた。


 エルバたちにはガラクタの山にしか見えないマッドパピーの荷物は、球状遺構きゅうじょういこうから引きがしてきた計測機器の数々である。


「これ、本当に使えるのですか?」


「使えるよ。エネルギー源としてゴート君の緑の石を使えるように改造したのさ! すごいだろう。褒めてくれていいよ。」


 マッドパピーは薄っぺらい体を逸らして得意顔をする。


「確かに、大したものだな。自力でここまで機能を把握し、改造までやってのけるとは。どうやって覚えたのやら。」


「把握は分解から始まるのさ。片端から分解して、どこがどうなっているのか調べたの。おかげで随分とたくさんの機械をダメにしちゃったけど、使い方は解ったし、改造もできるようになった。ブラックボックスを理解するなら中身をちゃんと見なくっちゃね。ティエラちゃん、死んだら解剖させてね。」


「無理だと思うよ。私の身体はすでに物質とは言い難いものになっているからね。ヒトハミ同様、死ねば消えるだろうさ。」


 ティエラは気のない声で言った。


「え? ヒトハミと同じって――」


「この箱は何だ?」


 フューレンプレアの疑問をさえぎるように、ティエラは巨大な軽石の箱を示した。


「ん? 余ったネジさ。」


 マッドパピーは笑顔で答えた。


「あの、本当に改造した機械類、使えるんですか?」


 エルバは半眼でマッドパピーを見つめた。


「使えなかったらその場で直すのさ!」


 マッドパピーは巨大な工具セットを自信満々に指さした。


「……やっぱり、持っていくのは無駄じゃありませんか? かさばるだけですよ。」


 エルバは冷たく言った。


「やだあ! 持ってく! 絶対!」


 マッドパピーは駄々だだっ子のように手足をばたつかせた。エルバはうんざりしてティエラを振り返った。


「ティエラさん、これ運べそうですか?」


 あるいはティエラならば運べるかもしれない。しかしティエラの反応は冷淡だった。


「君、か弱い女である私を荷物持ちにしようというのか?」


 怪しい輝きを放つ緑の目でにらみつけられて、エルバは思わず首をすくめた。


「大丈夫、だとは思います。オオアシを二匹用意していただいていますから。」


 フューレンプレアが慎重に口を開いた。


「……オオアシ?」


 エルバは首を傾げた。何のことだろう。二匹、と言うからには何らかの生き物だと思われるが……。


「素敵な動物ですよ。」


 エルバの無知の気配を察すると、フューレンプレアは悪戯っぽい笑みを浮かべた。




 宿の前で待っていたのは、巨大なトカゲだった。


 存在意義の見出せない貧弱な前足に反していびつなまでに大きく発達した二本の後脚で立っている。光沢のある滑らかな灰色の鱗が全身を覆っていて、首の半ばから尾の半ばまでは青い筋が通っていた。


 体の大きさの割に小さな頭の両側にある金の目は瞳孔どうこうが縦に割れていて、ずるそうな光をたたえている。


「な、何ですか、これ?」


 エルバは警戒心をむき出しにしてその生き物と向き合った。


「だから、オオアシですよ。あっちの子がオルで、こっちの子がニトという名前だそうです。」


 フューレンプレアがおかしそうに笑う。


「旅に重宝される動物だよ。騎乗しても良し、荷物を運ばせても良し。変温動物だから体温の維持にエネルギーを割かない分、餌の量は少なくて良い。雑食で餌を選ばないので、マイをやってもいいし虫や獣の肉を食わせてもいい。重すぎるものや繊細なものは運べないが、それでも人間よりは馬力がある。」


 ティエラが鼻先に手をやると、その生き物は素早く舌を出し入れしてティエラの手をめた。そして何かを思案するように首を傾げる。


「騎乗って……これに?」


 エルバは恐々と尋ねた。


「ああ。バランス感覚さえ良ければすぐに乗りこなせるさ。鞍が改良される前は、常人には到底乗りこなせないような動物だったけれど。」


 エルバが驚いている間に、ゴートがオオアシに鞍を着け、荷台を乗せて固定していた。フューレンプレアが袋を重たげに持ち上げて運んでいる。マッドパピーは目をすがめてトカゲの鱗と鱗の間を覗き見ていた。


「あ、運びますよ!」


 エルバはティエラとの会話を切り上げて荷運びに加わろうとした。


「エルバ! 後ろから近付いてはいけません!」


 フューレンプレアの警告と、オオアシが強烈な後ろ蹴りを放つのと、そしてティエラがエルバの足を払うのとがほぼ同時の出来事だった。


 転倒した拍子にエルバの手を離れた荷物が巨大な後脚に当たって吹き飛び、旅館の壁に叩きつけられた。


「……エルバ、大丈夫ですか?」


 フューレンプレアの問いかけに、エルバは黙って頷いた。オオアシは後脚で不機嫌そうに地面をいていた。


「こ、こんな危険な生き物と旅路を共にしようと?」


「扱いを間違えなければ危険ではないさ。エルバ、君の故郷にオオアシはいなかったのか?」


 ティエラは意味深長に目を細めてエルバを見た。


「いませんでしたよ。」


「オオアシを飼育するのは旅人だけでしょうし、多くの旅人はそれだけの余裕を持ちません。普通は見たこともないものだと思いますよ。」


 憮然ぶぜんとするエルバをフューレンプレアがフォローした。


「でもプレアさんは扱い方をご存知なんですね。」


「ええ、聖教会せいきょうかいで学びました。法王さまはオオアシを普及させたいと思っておいでですし。」


 得意満面でフューレンプレアは答えた。


「なら、もっと早くに貸してくれれば良かったのに。」


 重い荷物にわずらわされた道中を思い返して、エルバは不満を口にした。


「動物ですからね。餌代や世話の手間を考えれば、連れて歩くのはそれなりに負担です。共栄帯の街道を行けば毎日宿場で補給できるのですから、むしろいない方が楽ですよ。」


 商人のように大量の荷物を運ぶとなれば話は違いますけれど、とフューレンプレアは付け加えた。


「さて、そろそろ行くとしようか。どうせ宿場はないにしても、日のあるうちにできるだけ遠くへ行った方がいい。……ヘリオは共栄帯の端なのだから。」


 ティエラは意地の悪い声で言った。共栄帯の端ということはつまり、ヒトハミの生息密度が高いということに他ならない。カテドラル東の惨劇を思い出して、エルバは震え上がった。


「そう心配するな。私がいる。」


 ティエラは白く輝く槍を示して、不敵に笑った。



               *



 ヘリオの西側には多くのヒトハミが群れを作っている。


 ヘリオの西側に通じる門は固く閉ざされているので、西に向かう場合でも一度東側から出て湖を迂回うかいせねばならない。


 エルバたちが向かうのは北西方面。ヒトハミ過密地帯を避けるために、かなりの大回りをする羽目になった。


 出発前にティエラとゴートが言っていた通り、旅は拍子抜けするほど順調だった。


 ヘリオがヒトハミを寄せているため、過密地帯を避けさえすればヒトハミとの遭遇率は低い。


 特等級の守印でもティエラの気配は隠しきれていないらしく、ヒトハミは引き寄せられる。けれどティエラは難なくそれらを蹴散らした。ヒトハミ寄せの石をうまく使えば、ヒトハミの襲撃を心配せずに休むこともできた。


 オオアシの存在も大きい。荷物を背負わず、そのくせ物資を贅沢に使って旅をすることができる。


 オオアシに逃げられてはことなので、オルとニトを五人で囲む形で移動する。前方に一人、左右に二人ずつが立ち、前方の者が綱を引いて歩く。


 綱を引くのは難しかった。ゴートやティエラが綱を持てば二匹ともほいほいと付いて歩く癖に、フューレンプレアやマッドパピーが持った時には度々たびたび足を止める。エルバが持つに至っては歩く気概きがいを失くしてしまうらしい。エルバがどれほど力を込めて引いても動こうとしなかった。


 動物に軽視されることに憤慨ふんがいできるのは余裕の現れであった。



 ここへきてようやく、エルバは余力を得た。エルバはその余力を存分に使った。


 ゴートからはオオアシの扱いを学び、フューレンプレアから嘆願術たんがんじゅつを学び、ティエラから剣術の手ほどきを受けた。


 オオアシに威嚇され襲われ、ゴートには笑われた。


 嘆願術の才能なし、とフューレンプレアには首を傾げられた。心底不思議そうな彼女の様子に、エルバは少し傷付いた。


 ティエラは微苦笑を浮かべてエルバの鍛錬を見守っていた。


 何故かマッドパピーもエルバと共に励んだが、何の才能も発揮せず、ひたすらエルバの引き立て役を演じていた。おかげでエルバの自尊心はぎりぎりのところで保たれた。マッドパピー本人はとても楽しそうだった。


「なあ、君、その剣だが。」


 ヘリオを出発して数日が経った頃、夕食の準備から弾き出されたエルバが白枝しらえの剣で素振りにいそしんでいると、ティエラに声をかけられた。


「軽々と振っているが、重くはないのか?」


「ええ、この剣はとても軽いのです。」


 ティエラが差し出した手に、エルバは白枝の剣を載せた。


 ティエラは怪訝けげんな表情を浮かべて剣を振った。手ほどきを受けたからこそわかる、惚れ惚れするほど美しい型だった。


「むしろ重いくらいだと思うが。」


「いや、そんなはずは……。」


 今度はエルバが怪訝な表情を浮かべる番だった。


「確かにこの剣は特別な剣だ。非才な者にヒトハミを斬る力を与える。」


 一方のティエラはと言えば、何故か得心した風だった。


「だが、君にとってはそれ以上に特別な剣のようだな。」


 ティエラは白枝の剣をエルバに戻す。受け取った白枝の剣は、やはり指の先で支えられるほど軽いように思われた。


「どういうことですか?」


「どうもこうもない。その剣は君が手にした時だけ真の威力を発揮し得る、君専用の武器だということだ。」


 エルバは白枝の剣に目を落とした。剣は吸い付くように手に馴染む。握らなくても落ちないのではないかと思うくらいに。


「君のためだけにつくられた聖剣だ。君はただ斬ることを望んで剣を振ればいい。そうすれば、どんな出鱈目でたらめな太刀筋であってもあやまたず望みは果たされる。」


「え?」


 エルバはぽかんと口を開けた。


「だから、君はただ斬る相手を選んでその剣を振るだけで良いのだ。刃が立っていなくとも、何なら当たりさえしなくとも、斬る意思を乗せた刃が振るわれた瞬間に、それは成る。ふふ、最強ではないか。」


「そ、そんなバカな……。」


 そうは言いつつ、エルバには心当たりがあった。球状遺構きゅうじょういこうでゴートがヒトハミに襲われたとき、エルバは夢中で剣を振り下ろしてヒトハミを一刀両断した。今にして思い返せば、ゴートまで斬ってしまっても不思議はなかったが、そうはならなかった。エルバにそんな力加減ができるはずがないというのに……。


「なんて顔をしている。そもそも君みたいなへっぽこの下手くそ剣術でヒトハミを真二つにできるはずがなかろうに。」


「ああ、はい。確かにそれも不思議でしたよね。薄々うすうす思ってはいましたよ……」


 へっぽこの下手くそ剣術とはっきり言われて少々傷付いたが、それは言わぬが花というものだろう。


 エルバは傷心を抱えたまま、愚直ぐちょくな素振りに戻る。


「……私の話を聞いていたかな?」


「聞いていました。理解も納得もしたつもりです。でもそんな訳の解らない力に頼りきりなのは怖いのです。僕は臆病なので。」


 それに……これは口には出さないが、ティエラが間違えていたり嘘を言っていたりする可能性だってあるのだ。


 エルバの返答を受けて、ティエラは口元に温かな笑みをたたえた。


「食事の準備が出来ましたよ。」


 フューレンプレアの声がした。エルバは剣をさやに納めて仲間の待つ焚火たきびに急ぐ。納剣のうけんをスムーズにできるようになっただけでも進歩だ、とふと思った。


 焚火の前に座ると、フューレンプレアがわんに注がれたマイのかゆを差し出した。


 味付けは塩だけではないようで、ふわりと出汁だしの香りがする。何を用いたのか想像はつくが、考えないようにすれば何とか美味しく食べられる。この状況に馴染なじみつつある自分に複雑な感慨かんがいを抱きつつ、エルバはいただきますと言って粥を口に入れた。


 一組の食器が火の傍にぽつんと忘れ去られている。


 持ち主のティエラは光と闇の境界の向こう側で一人、星を見上げていた。

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