第11話 流浪のゴート 2 


 目指す砦に近付くにつれ、ヒトハミは密度を増していた。


 ティエラはしきりに首を傾げた。ヒトハミがティエラに引き寄せられているというよりは、彼女らがヒトハミの密集地帯に突入していくような、そんな印象を受けたのである。


「こんな場所にヒトハミの密集地帯ができるはずがありませんよ。何度も言うようですが、ヒトハミは人口密集地帯、つまり共栄帯きょうえいたいにおいてはその東端と西端、カテドラルとヘリオに集まるはずです。そのように街が作られているのです。」


 フューレンプレアはティエラの考えをきっぱりと否定した。


「ですが、現に進めば進むほどヒトハミとの遭遇が頻繁ひんぱんになっています。ティエラさんが共栄帯に足を踏み入れたことで、分布が変わっていると言っていましたよね。」


 エルバもまた、ティエラと同様の印象を抱いている。だが、フューレンプレアはそれを否定する。


「それでも、こんなところに密集地帯ができるのは不自然です。人がいないのですから。できるとすれば、宿場の周囲だと思います。山賊が十数名集まっている程度の場所が、それほどヒトハミを集めるとは考えにくいです。」


「君の言う通りだ。だが、あらゆる理屈を超えて我々はヒトハミの密集地帯に突入している。」


 ティエラは緑色の目をすっと細めた。こちらに向けて駆けて来るヒトハミの一群が、彼女の瞳に映っていた。


「ヘビを避けようとしてトラの尾を踏んだかな……。」


 ティエラは物憂ものうげに呟いて槍を構えた。


 そうして辿り着いた盗賊たちの砦は、切り立った崖に挟まれてそびえる立派な要塞だった。


 プエルートとヘリオを結ぶ最短の道の上に居座る要塞は現在、ヒトハミに取り囲まれていた。カテドラル東門の景色を彷彿とさせるほどに。


「異様だな。あの規模の要塞があれほどヒトハミを寄せるとは。」


 ティエラは眉根を寄せた。


「私のような者が中にいるのかもしれない。」


「あなたほどヒトハミを寄せる体質の人が、他にもいるのですか?」


「いるよ。」


 フューレンプレアの疑問に、ティエラは即答した。


「まあ、数えるほどしかいないけれど。」


 ティエラは言葉を付け足しながら、槍を構えた。


「え、行く気ですか……。」


 エルバは顔を引きらせて確認する。


「勿論だ。もう私たちには後がない。あの砦に入って守印しゅいんを手に入れないことには、休憩すらできなくなってしまう。」


「いや、でも……。外はあの通りですし、中には盗賊が……」


「我々がより簡易かんいに生き残るすべを君が即座に提示できると言うなら、聞くが?」


 エルバは沈黙した。ティエラは満足げに頷いた。


「遅れずついて来い。」


 ティエラはくるりと槍を回転させて駆け出した。エルバは慌ててそれに続いた。


 前を駆ける彼女の背中は小さい。肩幅は狭く、腕も足も細い。その姿は群がるヒトハミをものともしない強さと大きく乖離かいりしている。そんな彼女の背に、エルバはかばわれている。


 押し寄せるヒトハミと、それを跳ねのけて進む背中。それをぼんやり見つめる自分。この先エルバはずっとこうなのだろうか。誰も信頼できないこの世界で、誰かの背中に身を預け続けるのはいかにも危うい。


「あのドアです!」


 エルバと並走するフューレンプレアがティエラに向けて叫んだ。かつて城門として聳えていたであろう木の板は既に朽ち果てていて、アーチ形の枠は石垣によって塞がれている。その足元に、人一人が通るのがやっとの鉄扉があった。


蹴破けやぶる!」


 ティエラは短く言って、本当に鉄の扉を蹴り壊した。そこで足を止めて踵を返し、エルバとフューレンプレアを先に通す。


「ドアを拾ってきてくれ!」


 エルバは何も考えず、ティエラの言葉に従った。


 鉄の扉は重かった。無理に引きずってティエラの足元まで持っていくと、ティエラは扉を蹴って持ち上げ、片手でつかんで枠に押し込んだ。変形した扉を蹴りつけて無理やり枠にはめ込む。近くにあった棚でバリケードを築き上げ、一息ついた。


「なんとかなったな。」


「え、ええ。」


 息を整えつつ、薄暗い砦の内部を見回す。侵入者に気が付いた賊どもが駆け付ける様子はない。


「静かですね……。」


 静寂せいじゃくに抑え込まれたかのように、エルバの声もまた小さなものとなった。


腐臭ふしゅうがする。古い血の臭いも混じっている。」


 ティエラに言われて、エルバは鼻をひくつかせた。ほこりの積もった石室に相応しく、カビ臭いばかりだった。カビと言う生命がこの世界で健在であることに思い至って、エルバはなんとも言えない気分になった。


「カビの臭いしかしません。」


「私の鼻は鋭いからね。」


 砦の玄関口となっている小部屋には、奥に小さな出入り口があった。ドアどころか布すらかけられていない。ティエラはそこから顔を出して様子をうかがった。


「中央に大きい建物が一つと、その四方に監視塔。東側の崖に沿って背の低い建物。あれは恐らく宿泊施設だろうな……。手入れが行き届いているとは言い難い。監視塔も二つは崩れているし。」


 ティエラはすらすらと建物の配置を説明し、思案げに目を細めた。


「見張りの姿はない。」


 ティエラは壁に背を預けてエルバたちに向き直った。


「防壁の上にも見張りはいなかった。あれだけヒトハミに取り囲まれているというのに、様子を見ようとしないということがあるだろうか?」


「と、言いますと?」


「ヒトハミに取り囲まれてからそれなりに時間が経過しているとすると、すでに賊はいないかもしれないな。」


 エルバがティエラの言葉の意味を飲み込む前に、フューレンプレアは首を横に振った。


「それは有り得ません。誰もいないとすれば、ヒトハミがこの砦に集まる理由がますます解りませんもの。」


 ティエラは驚いたようにフューレンプレアを見返した。


「君、この要塞が正常に稼働していると思っていたのか? よく私の特攻に付いてくる気になったな。そこまで信頼されているとは、正直意外だよ。」


「え? だ、誰もいない想定で動いていたのですか?」


 ティエラとフューレンプレアはお互いの目を見つめて瞬きを数度繰り返した後、どちらともなく咳払いをした。


「まあ、防壁の上に見張りがいないことは確認したよ。」


 ティエラは誤魔化すように言った。


「あの距離からですか?」


 エルバは疑念を込めた目でティエラを見た。


「私は目もいいからね。」


 ティエラは闇に輝くような緑の目を、改めて要塞内部に向ける。


「それでは、まだ賊がいる前提で動くとしようか。」


 フューレンプレアは緊張の面持ちで頷いた。杖を握る指の関節が、青白く浮き出ていた。




 ティエラの動きは迅速じんそくだった。エルバとフューレンプレアをその場に待たせておいて、一人要塞内の偵察に出た。


 エルバはまともに動けなかった。べったりと床に座り込んで、肩で息をしている有様だ。床がエルバを離そうとしない。フューレンプレアも似たり寄ったりの状態だった。気が緩んだ途端、疲れが押し寄せて来たのである。


「ティエラさんはすごいですね。どうしてあんなに動けるのでしょう。」


 彼女の運動量こそ、エルバの比ではない。ヒトハミと戦ったのは、他でもない彼女なのである。


「ええ、本当に。人間離れして見えますね。」


 フューレンプレアはそう言うと、汗ばんだ金髪を鬱陶うっとうしそうに手で払った。


「……実際、強すぎませんか?」


 エルバはそっと眉をひそめた。


 人間の身体能力に幅があることは認めよう。体力や膂力りょりょく、技術によって広がる幅である。ティエラの技術は間違いなく優れている。素人目にもそれは解る。


 だが、彼女の披露する身体能力は技術でまかなえる範囲を大幅に超えているように思うのである。エルバが走るだけで息も絶え絶えになる距離を、戦闘をこなしながら駆け抜けて息切れ一つしない。エルバが持ち上げることさえ困難だった鉄の扉を爪先に引っ掛けて持ち上げ、片手で持って投げてドアの枠にめる。エルバは第二次性徴を終えた男で、ティエラは華奢きゃしゃな体格の女性である。


「例えば、力を強くする嘆願術たんがんじゅつとかあるのですか?」


「ありますよ。」


 エルバの問いかけに、フューレンプレアはあっさりと頷いた。なんだそう言うことか、とエルバは納得する。


「ただ、使うことに意味があるかと言うと……集中力も体力も著しく消耗しますから。百歩駆けるのに必要な時間で二百歩分駆けることができたとして、四百歩分の体力を使う。例えるなら、そんな感じになるでしょうか。」


「全然役に立ちませんね。」


 エルバは最前の納得を取り下げた。


「自分ではなく他人にかけるのであれば、お互いの負担はさほどでもありませんが、ティエラに術をかけている人がいるとは思えません。見える範囲にいる相手にしか使えない術です。」


 ふと、フューレンプレアは視線を遠くに転じた。


「でも……そうですね、もしかしたら……」


 何か思い付いたのだろうか。エルバが固唾かたずを呑んでフューレンプレアの言葉を待っていると、突然ティエラが帰って来た。エルバとフューレンプレアは飛び上がって驚いた。


「どうした?」


 ティエラは二人の過剰反応に目を丸くした。二人は激しく首を横に振って誤魔化ごまかした。ティエラは深く追求はしなかった。


「やはり、要塞を機能させるだけの組織力をここの連中は喪失しているよ。」


 ティエラはやや迂遠うえんな報告をした。


「生き残りがいないとは言い切れないが……。」


 緑色の瞳が苦い色をたたえていた。





 ヒトハミに囲まれて籠城ろうじょうするうち食料の備蓄びちくに不安が出て、奪い合いが殺し合いに発展したのだろう、と言うのがティエラの推測だった。


 あながち間違ってはいないだろう。空になりかけた食糧庫に残る惨状を前にして、エルバはその場にしゃがみこみ、胃の中のものを吐き散らした。ここしばらくの間に嘔吐おうとすることに慣れてしまっていることに気が付いて辟易へきえきする。フューレンプレアは青ざめた表情で唇を噛み、祈るように杖を掲げた。


「お優しいね。こんな連中のために祈るのか。」


 かつて山賊だった者たちを見るティエラの目は冷たく沈んでいる。


「確かにこの者たちは多くの罪を犯したのでしょう。ですが、命を落とす以上の贖罪しょくざいがあるでしょうか。こうなった以上、彼らに憐憫れんびんを抱くことになんの障害があるのでしょう。」


「ふぅん、そう。君は立派だ。」


 ティエラの言葉に、エルバは顔をしかめた。フューレンプレアは純粋な人だから、短い言葉に含まれた嘲弄ちょうろうに気付かなかったのかもしれない。だがエルバは気が付いた。良い気持ちはしなかった。


「さて、使えるものを探そうか。守印があると良いのだが。」


 無言で祈りを捧げるフューレンプレアを無視して、ティエラは食糧庫の外に出る。


「ありますかね?」


 エルバは口を拭いながらティエラの背中に声をかけた。


「どうだろうね。もしも守印を溜め込んであったとしても、ヒトハミに囲まれているこの状況だ。使ってしまっている可能性も高い。」


 そもそも、何故この砦にヒトハミが集まり、生者がいなくなった後もその状態のままなのかは未だに解明されていなかった。エルバが不気味に思うのは、その点についてさほど疑問に思っていないらしいティエラの様子である。


 彼女は何かを知っているのではないか。共に過ごせば過ごすほど、エルバの中でティエラへの疑念が育ってゆく。


「プレアさん、僕も行きますね。」


 フューレンプレアは黙って頷いた。エルバは小走りにティエラの後を追う。彼女が単独行動をしていて守印を見つけた場合、下手をすると置いて行かれてしまうかもしれない。


 エルバが追い付いた時、ティエラはせまい石造りの廊下の壁を確認していた。


「当然と言えば当然だが、盗賊がゼロから築いた要塞ではないな。分断の時代以前に建造されたものが、補修されつつ今日まで残ったのだろう。」


 ティエラは唐突にそんなことを言う。


「分断の時代って、確か百年くらい前ですよね。百年続いた時代なのだから、それ以前と言うと二百年以上前ですか? そんなに残るものなのですかね。」


「残るさ。必要とされているものだから。」


 ティエラはどこか寂しそうに言って、緑色の瞳をエルバに向けた。


「ところで、ルスのエルバ。君の故郷はどこにあるのかな?」


「え?」


 エルバは戸惑った。ティエラは長い指で要塞の石壁をなぞり、幾ばくかの破片を脱落させた。


「私はこの通りの体質なので、同じ場所に長居できなくてね。普通では考えられないくらい広い範囲を放浪ほうろうしているのだけれど、ルスと言う名の街は寡聞かぶんにして知らない。」


 ティエラへの疑念を養分にして、エルバの警戒心がむくむくと育ち始めた。慌てて意識を切り替える。


「町を出てから出鱈目でたらめに歩いたので、町の場所はよく解らないのです。」


 エルバは決まり切った文言で真実を語った。ティエラは唇の端を怪しく釣り上げた。


「今の世の中はヒトハミのせいで人の移動がひどく制限されていてね。共栄帯こそ比較的安全に旅ができるが、その外側は街から出ればほぼ間違いなく命を落とす危険地帯だ。物流も文化も情報も、町ごとに分断されているのが現状だ。」


「ええ、プレアさんから聞いています。」


 だからこそ「田舎者だから」の一言でエルバの非常識を誤魔化すことができるのである。


「とは言え、分断の時代のことはおよそどこでも伝えられている。細部においては地域ごとに情報差がいちじるしくてね。例えば、時期。時を数え続けるのは存外に難しいものらしい。紙が貴重品となってしまったのも一因だろうか。ある地域では分断の時代は二百年前に終結したと言われるし、またある地域では百五十年前だと言われる。共栄帯では二百年前から百年前までを分断の時代とするのが一般的だが。」


 ティエラが見透かすような目でエルバを見ている。先ほどの与太話よたばなしの意図を、エルバは悟った。


「君はまるで、分断の時代そのものを知らずにいたかのようだったね?」


 エルバは無表情を心がけた。


「君は奇妙だな。常識の乖離かいりだけではない。君の、その剣。」


 ティエラはエルバの腰から下げた短剣を示した。


「ただの鉄剣だが、何故かヒトハミに突き刺さっていた。」


 エルバは懸命に無表情を維持する。背中がじっとりと汗ばんで来た。ティエラは完璧な無表情だった。緑色の瞳が放つ視線は、凄まじい圧力をエルバに感じさせた。


「君は……白の魔法使いを知っているか?」


「白の……魔法使い?」


 エルバはオウム返しに呟いた。口の動きを借りてエルバの脳に実を結んだその言葉に、エルバは戦慄せんりつする。それはまさに、故郷での最後の瞬間にエルバが目にした存在の特徴を表しているように思えたのである。


「あなたは、何を知っているのですか?」


「君の、目。」


 ティエラは怪しい緑光りょっこうを宿す自分の右目を示して呟いた。


「あいつと同じ色をしている。」


「……何を知っているんですかっ?」


 エルバが勢いに任せてティエラに詰め寄った、その時だった。


「こら! 喧嘩けんかをしてはいけませんよ。」


 フューレンプレアが追いついて来た。エルバは反射的に姿勢を正した。


「喧嘩などしていないよ。」


 ティエラは何事もなかったかのように答えた。話はそこで中断せざるを得なかった。


 エルバはもどかしい気分でティエラに視線をやった。ティエラは共犯者のようにエルバに笑いかけると、そっと人差し指を唇にえた。




 金銀銅貨に宝石類、対魔武器にただの武器、守印もピンキリ織り交ざった玉石混交のちまたで、その男は高いびきをかいていた。


「この人がヒトハミを引き寄せていたのでしょうか?」


 酒のびんを抱えて幸せそうに眠る男は、食糧を巡る同士討ちの果てに生き残った人物と考えるにはあまりにも悲壮感ひそうかんに欠けていた。


「違うな。彼からはそんな気配はしない。」


 ティエラはそう言って、その男のすねを軽く蹴飛ばした。男は驚いたような声を上げて起き上がると、寝ぼけまなこで三人を見やった。


 エルバはその男の顔を凝視していた。男が腰に帯びた剣が目に入ると、抑えがたい怒りで震え出した。


「なんだなんだぁ? お前ら、どうやってここに入って来た? まだヒトハミに囲まれてるはずだろぉ?」


流浪るろうのゴート!」


 寝ぼけ眼のならず者に、エルバは襲い掛かった。ゴートは驚いたような声を上げつつ、エルバの足を払った。エルバは無様ぶざまに玉石入り混じった無機物の山に突っ込んだ。


「エ、エルバ?」


 慌ててエルバに駆け寄るフューレンプレアをよそに、ゴートは気怠けだるそうな欠伸あくびをする。


「なんだい、あんちゃん。オレに恨みでもあんのかよ?」


「とぼけるな! お前のせいで、僕がどれだけ――」


「覚えてねぇなぁ。」


 ゴートは大仰おおぎょうに肩をすくめて見せた。その様子を見て、フューレンプレアは杖を彼に突き付けるようにして構えた。ゴートは下卑げびた視線で彼女を舐め回す。


「……まだ、と言ったか?」


 成り行きを見守っていたティエラが、不意に口を挟んだ。ゴートが怪訝けげんそうにティエラに視線をやった。彼女の顔を見た途端、ゴートの表情から毒気が抜けた。その瞬間においてゴートの顔は全くの無を表現した。一瞬の後に彼は我に返り、ふてぶてしい態度を取り戻した。


「なんだ、すげえ別嬪べっぴんさんじゃないの。」


「質問に答えろ。君は今、ヒトハミに囲まれているはず、と言ったか? 間もなくヒトハミが包囲を解くということか?」


「……おっと。」


 ゴートはにやけた口元を手で隠した。


「君がこの砦に何か細工をしたのか?」


「……さぁて。どうだったかねぇ?」


 おちゃらけた口調とは裏腹に、ゴートの視線は油断なく逃げ道を探っている。ティエラはその動きを制そうとはしない。仮に彼がこの要塞に何か仕掛けを施していて、それが間もなく効果を発揮しなくなるとしても、ヒトハミを寄せる体質のティエラがここにいるせいで彼の逃亡ルートは潰されているのである。


 皆が恐らく同じことを考えて、わずかに警戒を緩めた、その瞬間にゴートが抜剣ばっけんした。空気をいてティエラに向かった刃は、あっさりと槍の柄で受け止められていた。


「変わった剣だ。」


 斬りかかられたことには頓着とんちゃくせず、ティエラは剣に言及した。優美な曲線を描く片刃の剣だった。刃から柄まで、全てが純白。柄は明らかに木製で、葉を茂らせた白い蔦が根を張っている。


「なかなかの業物わざものだろう? 頭も体も貧弱そうなお坊ちゃんからかっぱらったのさ。」


「この野郎!」


 エルバが抗議の声を上げると、ゴートがちらりと視線をエルバに向けた。無関心だった目が、大きく見開かれる。


「あれ、お前? ……その目……どっかで見たな。」


「ああ……。僕が頭も体も貧弱そうなお坊ちゃんだよ。」


 エルバはゆるりと短剣を抜くと、ゴートに切りかかろうとした。すかさずフューレンプレアが杖を掲げてエルバの動きを制した。


「ダメです、エルバ。実力が違いすぎます! 斬り殺されますよ!」


「止めないでください、プレアさん!」


 エルバとフューレンプレアがもみ合う隙に、ゴートは何気なく取り出した球体を床に叩きつけた。爆発的に広がった粉塵ふんじんが、瞬間的にエルバたちの視界を奪う。


 視界が戻った時、当然のごとくゴートの姿は消えていた。エルバは憤慨ふんがいして地団太じだんだを踏んだ。


「エルバ、いい子ですから落ち着いてください。」


 フューレンプレアが優しくエルバの頭を撫でた。


「子ども扱いしないでください。僕はこれでも十七です。」


「え? 同い年?」


 目を丸くするフューレンプレアを横目に、エルバはティエラを振り返った。


「逃げましたよ、ティエラさん!」


 ティエラは何事かを考え込んでいる様子で、ゴートを追おうともしていなかった。


「ん?ああ。……あの剣は君のものだったのか?」


「そうです。故郷を出る時手に入れたのですが、あの男にだまし取られたのです。」


 エルバは抽象的な真実を述べた。ティエラはふぅんと頷いた。


「焦らずともいいだろう。どうせ脱出はできないさ。」


 ティエラの言う通りだった。ティエラが守印を使わない限り、この砦はヒトハミの海に囲まれた孤島も同然だ。抜け穴があるならここを根城にしていた山賊たちが殺し合いまでするはずもない。


 エルバたちは余裕を持って要塞内にゴートの姿を探した。しかし、どうにも見つからない。


 高いところから見てみようと防壁に上った時、エルバたちは愕然がくぜんとした。あれほど砦を取り囲んでいたヒトハミの姿が、きれいさっぱり無くなっていた。



               *



 美しいものを初めて見たような気がする。ヒトハミのいない荒野を歩きながら、ゴートは槍を持った女の顔を思い返していた。


 あの女は本当に美しかった。あまりの美しさに、一瞬我を忘れた。視界から流れ込む膨大に過ぎる情報が、脳の処理能力を超えた。熱もなく劣情もなく、ただ無心に彼女に魅入みいった。欲望を喚起かんきしない清浄なる美を、ゴートは初めて知った。


 いかんいかん、とゴートは頭を振る。惚けている場合ではないのだ。ヒトハミ寄せの石を時限式で起動することで周囲のヒトハミを別の場所に寄せはしたが、いないとは限らない。


 そもそも、ここまでの量のヒトハミを寄せるはずではなかったのだ。何故だかヒトハミの分布が変動していて、仕掛けたゴート自身が驚くほどの数のヒトハミが集まってしまった。おかげで砦に再侵入を果たすのがすこぶる大変だった。苦労して入ったというのに、あの三人のおかげで財宝は殆ど持ち出し損ねたし。


 別に構わない。元よりさほど人と関わらずに生活しているのだ。それに、強力な武器を得た。これがあれば気楽に生活していけることだろう。


 ゴートはその剣を空に掲げた。どこまでも優美な白い剣の輝きは、奇妙な万能感をゴートに与えた。

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