第10話 流浪のゴート 1
交渉は決裂した。山賊たちの
「あばよ、クズども。」
ゴートは捨て
「二度と来るんじゃねえぞ。」
カシラは低い声で
「おう、二度とあんたの前には現れねえさ。」
ゴートは
「何であんなこと言ったんだよ、ゴート。」
カシラに届かぬよう
「何でもへったくれもあるかい。欲をかき過ぎだろ、あのジジイ。」
「
「約束分は渡したろ。それ以上を求めやがるのは強欲ってもんだ。」
ゴートは腰に差した
「要塞一つ持ってるくらいで調子に乗りやがってよぉ。」
「
かつての仲間は小声でゴートを
「カシラはあれでもお前のことを買っているんだぜ。今は頭に血が上ってるからよ。ほとぼりが冷めたら戻って来いよ。」
「……ありがとよ。」
そう答える一方で、ゴートはひどく冷めきった内心で呟いた。お前と会うことも二度とないだろうよ、と。
「じゃ、カシラにこれ渡して、機嫌を取っておいてくれ。」
ゴートはみっちりと何かの詰まった、その割には軽い袋を若い盗賊に手渡した。中には
「おうよ! 戻って来るのを待ってるからな、ゴート!」
その素直な反応に、ゴートは若干の苦みを覚えた。
だからと言って後戻りはしなかった。
*
寄せては引く波のように襲い来るヒトハミの群れを
ヒトハミの波が
「ティエラはいつも、街道から離れて旅をしているのですか?」
エルバたちは夜までに次の宿場に着いているはずだったので、野営の設備はごくささやかなものしか持っていなかった。今晩の野営に用いられる燃料も
「私の気配を隠し切れる守印はなかなかないからね。」
ティエラは慣れた様子で火を扱う。
ここの人々は
ティエラは微妙に形の違う燃石を風の通る形に積み重ねると、
「その力は軽率に用いるべきではない。」
ティエラは慣れた手つきで火種を作り、
文明から離れた夜は暗い。三人は闇から逃れるようにじりじりと炎に体を近付けた。赤い炎はそれを囲む人々の肌に
ティエラは干し肉を口に
得体の知れない獣の肉に、原材料を想像したくない香辛料と塩を加えて臭いを消し、干し上げた代物である。香辛料の匂いが非常にきつく、それでもなお仄かに残る獣臭さを
「食べておかないと
「そうですよ。とても美味しいのに。」
心配そうな二人に
「獣の肉は苦手かな? まあ、仕方のないことではあるか。」
ティエラは苦笑して立ち上がると、荷物の中から軽石でできた箱を引っ張り出してきた。箱を開けると、中には丸められたパン生地のようなものが入っていた。
「な、何ですか、これ?」
エルバは警戒心を刺激された。見た目は確かにパン生地だが、どうせ得体の知れない原材料を使っているに違いない。
「バムですよ。」
フューレンプレアは優しく言った。しかしそれはエルバの求める答えではなかった。
「マイを
そう言って、ティエラはそれを箱ごと火の中に入れた。
「ティエラさん?」
「まあ待ちたまえ。」
ティエラは炎の中の箱をしばらく見守った後、おもむろに
「君にあげよう。」
ティエラが箱から取り出したのは、きつね色に焼けたパンだった。エルバはティエラが炎の中に平然と手を差し入れた怪異をすっかり忘れて、パンに
「……パンです!」
エルバは感動した。まともな食事を久しぶりに口にした。
「エルバ、ずるいです! 私にもください!」
フューレプレアに言われて、エルバは
「旅の途中でバムって、すごく
「ああ。どうにも虫が苦手でね。」
ティエラは肩を竦めてそう言って、コウテイミツアリを口に投げ込んだ。虫が苦手でもそれは食べるのか、とエルバは震えた。
「コゥジはどうしているのですか?」
「自分で育てている。」
ティエラはパン生地を収めていたのと同じ箱を出してきて、自慢げにフューレンプレアに手渡した。箱を開くと、白いペーストが薄く広がって入っている。
「温度と湿度と風通し、それから質の良い餌が大切だ。」
ティエラは
「えっと、これは何ですか?」
「だから、コゥジだ。マイを
今日は元気そうだな、とティエラは冗談ともつかないことを付け加えた。
「コゥジは含まれる微生物の種類が菌床の具合によって変わるので、街ごとに売られているものが違ったりするのですよ。持ち歩いている旅人は多いです。」
フューレンプレアはそう
「人によってはコゥジを大切に世話するあまり過大な愛情を注ぐこともあるようです。」
「聞こえているぞ。」
ティエラは心外だ、と呟いてコゥジの箱に
「あ……ええと、それにしても、ティエラは本当に強いのですね。あなたほどの人、
フューレンプレアは
「
彼女の視線の先には、優美な白い槍があった。その槍とブーツがヒトハミに対して殺傷能力を持つことは昼間見た通りである。どちらも
「確認するが、君たちの向かう先もヘリオだということで良いのだな?」
「ええ。当面は。」
ティエラと無邪気に会話するフューレンプレアを横目で見て、エルバは気を引き締めた。
ティエラがエルバとフューレンプレアの命の恩人であることには間違いないが、一方で彼女は得体が知れない。こんな人物に何も尋ねないなんて、エルバからすれば
思えばエルバを助けた時もそうだった。フューレンプレアはエルバに事情を聴いたリーダーに反発さえしていたのだ。危ういほどに彼女は優しい。
「これまでのペースを維持できれば明日の昼には砦に到着できるだろう。念のために聞くが、エルバ。君、戦えるか?」
不意に水を向けられて、エルバはぎょっとした。
「そ、それは、精神面のことを聞いているのですか?」
「いや、技術面の話だよ。その武器から察するに――」
ここでティエラは
「――君はヒトハミに対して無力なのだろう。だが、何ら
「期待されても困ります。」
エルバはきっぱりと答えた。ティエラの表情に
「そうだろうね。見ていれば解るよ。訓練を受けたことのない動きだ。その短剣だって全然様になっていない。相手を突き刺したらそのまま抜けなくなってしまう、なんてドジを踏みそうだものね。」
「そんなことは――」
ない、と言いかけて、エルバはつい最近そんなドジを踏んだことを思い出した。あの後、ヒトハミの体に突き刺さっていた短剣はどうしたのだったか。エルバの手の中に戻っていることは確かだが、自分で回収した記憶がない……。
ティエラから返してもらったのだと気が付いた瞬間に、エルバは頭から血の気が引くのを自覚した。ティエラは探るような目でじっとエルバを見つめていた。それが解っていても、血液の流れを制御できるはずもない。フューレンプレアの言葉に従って
ティエラの緑色の瞳が淡く輝いている。ヒトハミと同じ目の色だ。その目はまるでエルバとは違うものを見ているようだった。眼光が
「プレアは、対人戦の経験は?」
ティエラの視線はあっさりとエルバから外れた。エルバは拍子抜けした。考えすぎだっただろうか。
「いえ。盗賊討伐の任務に同行したことはありません。」
「そうか。なかなか厄介だぞ。人間はヒトハミとは比較にならないほど反応が多様で複雑だから。」
動物の観察結果を述べるように、淡々とした口調でティエラは言った。
フューレンプレアは握り締めたカテドラルの
「勝算はありますか?」
「あるよ。」
ティエラは軽い調子で答えた。
「
無感動なその言葉は、圧倒的な強さに裏打ちされたものだった。
その夜、エルバは見張りを買って出た。昼間の
受けた衝撃は意外にも小さい。むしろ自分が衝撃を受けていないことに驚いていた。あんなことがあったのに、自分はいつも通りに食事をし、その不味さに不平を持ち、故郷の味に近いものに喜びを感じた。人が死ぬのを見たにも関わらず、だ。あの
炎に照らされる二人の少女の寝顔に、エルバはじっと視線を注いだ。彼女たちにとっては衝撃的でもない出来事だったのだろうか。この場所ではあの惨劇は日常の一部でしかないのか。
エルバは立ち上がり、炎の光が届く範囲に何か動くものが見えないかと目を凝らした。
腰を下ろすと、エルバはまた昼間のことを思い返した。ヒトハミを殺したいと心底願い、しかしそれは叶わなかった。何か手順を間違えたのだろうか。助けられたかもしれない人の死に顔が、
「エルバ、ちゃんと見張らないとダメですよ?」
エルバは飛び上がった。眠っているとばかり思っていたフューレンプレアが起きていて、エルバに悪戯っぽい笑みを向けている。
「申し訳ありません、考え事をしていました。」
「どんな考え事ですか?」
「その……僕は本当に無力だ、と思いまして。」
フューレンプレアは
「僕が特別な英雄だと、そう思われたから、僕はこの旅に送り出されたわけですよね。」
「そうですね。」
「でも、昼間の僕はその力を使うことができませんでした。あの日、僕は確かに大きなものと繋がったのを感じていました。でも、それをどうやったのか、今日は解らなかったのです。あの日のことは、偶然タイミングが合っただけかもしれない。だとしたらこの旅は前提から見直すべきではないかと。あなたの身を危険に
「それは違いますよ、エルバ。」
フューレンプレアはきっぱりと言った。
「あれはあなたの起こしたことです。私は確信しています。あなたはただの短剣をヒトハミに突き立てたではありませんか。」
「だから何です。結局、戦力にならないではありませんか。使えもしない剣をぶんぶん振り回すばっかりで。」
「剣の腕など
炎に染められた二人の頬は仄かに赤く染まっている。温められた夜気が二人の間にわだかまり、 体を
「僕はあなたが思っているほど優秀でも偉大でもありませんよ。」
「あなたはあなたが思っているほど無能でも卑小でもありません。それはとても重いことだけれど、尊いことですよ。」
だからエルバ、とフューレンプレアは
「清く正しくあることに怯えないで。」
フューレンプレアのその言葉を素直に聞き入れ
きっとエルバはこの先も人を
「ありがとうございます、プレアさん。もう休んでください。見張りくらいは
「そうさせてもらいますね。疲れたらいつでも声をかけて下さい。交代しますから。」
フューレンプレアは火から少し離れた場所で防水布に包まると、目を閉じて寝息を立て始めた。
ティエラが薄く目を開けて二人を見つめていたことに、エルバは気が付かなかった。
*
砦がヒトハミに取り囲まれてからどれほどの日数が過ぎただろう。
初めは皆、
けどヒトハミは減らなかった。それどころか、日ごとに数が増えていった。山賊たちは要塞から外に出られなくなった。身を守るはずの要塞内に閉じ込められたのである。
補給が停止した。街道を通る商人を襲うことはできなくなった。ヒトハミに襲われた通行人の荷物を漁りに行くことも勿論できないし、奪い取った宝石類を食糧に替えに行くこともできない。
結局のところ、
要塞内には水も食料も酒さえも、たっぷりと溜め込まれていた。しかし
初めこそ要塞の壁を虚しく
食糧難はもはや隠しようもない。幸いなのか、食料の残量ばかりが気になって、食欲は鳴りを潜めていた。日に日に寂しくなる食糧庫を見やって、仲間内の空気が張り詰めていく。
もとより、他人から奪うことを
粛清が始まった。立場の弱い者、カシラの不興を買った者から順に、防壁から落とされた。かつての仲間の悲鳴に耳を塞ぐ者もいれば、せめてもの
一人減り、二人減る。何人の
部屋一つを占拠する宝石や金貨が
ついには食料を巡って相争い、最後には生命を失った人体だけが要塞内に取り残された。
ヒトハミは
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます