第7話 ティエラ 1 

 珍しい光景ではない。


 ヒトハミに襲われて滅びた村なんて、今時いまどきありふれている。


 人のいなくなった建物だけが残る村に乾いた風が吹き込んで、無音むおん世界をかき乱す。短い黒髪が風に泳いだ。


 ティエラはその村の中心に立って、大地に沁み込んだ怨嗟えんさの流れる様を茫洋ぼうようながめていた。


 人のいる場所は避けているつもりだった。こんなところに村があるとは知らなかった。


「私のせいか……?」


 つぶやきに答える声はない。視界は何故だかいつもよりもはっきりとしていて、無残むざんな光景をティエラへと突き付ける。


 獣に食い散らかされた小さな骨が、命の宿らぬ土の上でただく時を待っている。



              *



 ヒトハミの存在は人々の生存をおびやかし、文明のいちじるしい後退をもたらした。


 ことに影響が大きかったのが、生活圏の分断である。人、物、情報、知識の循環こそが人々の文明の土台だった。その土台が崩れたのだ。


 カテドラルはそれを立て直すべく務めた。


 カテドラルから北西の大都市ヘリオまでを繋ぐ街道を整備し、この区間をカテドラル‐ヘリオ人類じんるい共栄帯きょうえいたいとして移動する人への支援を行った。また、二つの大都市が価値を保証するレプト貨幣を流通させ、経済活動の円滑化えんかつかに努めたのである。


 その甲斐かいあって、カテドラルとヘリオの間では比較的多くの街が栄え、人々は一応にも文化的な生活を営んでいた。


 プエルートはカテドラルの南西に位置する港町である。地形の関係上、カテドラルとヘリオを結ぶ街道はカテドラルから出て南西に向かい、プエルートから北上し、やや東へ逸れた後に西へと折れてヘリオに至る。


 プエルートまでのエルバたちの旅路は、順調そのものだった。ヒトハミにも獣にも襲われることはなかった。カテドラルに入る際と同様の惨事さんじが待ち構えていると思い込んでいたエルバは、安堵を通り越して拍子抜ひょうしぬけしていた。


「ヒトハミは人の多いところに集まります。それを利用して、カテドラルでは西側の出入り口付近にヒトハミが集まらないよう、街の東側に人口集中地域を作っているのですよ。」


 しきりに首を傾げるエルバに、フューレンプレアはそう説明した。要するに、あの時エルバたちは一番ヒトハミの包囲網が厚い場所を突破してカテドラルに入ったということである。迂回うかいする時間さえあれば安全に街まで辿り着けたはずだったのだ。エルバは後ろ暗い心地になった。


「街道は祓魔師ふつましが巡回していますし、ヒトハミが集まりにくい工夫もあります。共栄帯の内側であれば、旅の安全性はかなり高いのです。」


 ヘリオまでは楽に旅することができるだろうと、フューレンプレアは得意げに言った。そして実際、プエルートまでの旅は非常に楽だった。


 カテドラルのそれと比較すると貧弱な印象を拭えない防壁を潜り抜けると、得も言われぬ悪臭がエルバの嗅覚を襲った。


「なんですか、この臭いは。」


「潮の匂いだと思いますよ。ここは港町ですから。」


 フューレンプレアはにこにこ笑ってそう答えた。


「港町とこの臭いに何の関係があるんですか……。」


「だから、海ですよ、海!」


「ウミ?」


「こちらに。」


 フューレンプレアは悪戯いたずらを思いついた子供のような顔でエルバの手を取ると、人々が急ぎ足で歩く大通りを駆け足で進む。


 不意に街が途切とぎれた。平たく慣らされた石の地面が何本かの線となって湖に向けて伸びている。港だ。それはエルバにも解った。しかしその向こうにある湖はどこか様子が違っている。


 まるで呼吸をするように水面が揺れていた。


「これが、海ですよ。川が流れ込む場所です。」


 フューレンプレアは得意そうにエルバを見た。


「川が……? 流れ込む?」


 エルバはフューレンプレアの口にした言葉を反芻はんすうする。異なる常識を突きつけられて、平静ではいられなかった。


「大陸はぐるりと海に囲まれているのです。」


 フューレンプレアの発言からエルバが受けた衝撃は甚大じんだいだった。


「ぐるりと? では、僕らは今、大きな島にいるということですか?」


「言ってしまえばそうなのかもしれませんね。」


 フューレンプレアはきょろきょろと周囲を見回して、海に浮かぶ巨大な木造船を見つけた。


「ほら、エルバ。見て下さい。船ですよ、船! 昔はあれで海を渡っていたのですよ。すごいでしょう。」


「船くらい知っていますよ。……昔は、ということは、今は海を渡れないのですか?」


 フューレンプレアは目をぱちくりと瞬かせてから、ええ、と頷いた。


「海にもヒトハミは出ますから。船は簡単に転覆させられてしまいますし、海中では身を守ることもままならないので、海の旅は危険すぎます。それに、今や木材は手に入りません。船が壊されてしまったら修復不可能です。迂闊うかつぎ出すことはできません。今となっては、浅い海で海藻をるのに小さな船が利用されている程度です。」


「……船って鉄製じゃないんですか?」


 エルバは素朴に疑問をていした。エルバの故郷の河で運行していた船がどのような素材によって構成されていたか、エルバは興味を持たなかったが、木製ではなかったような気がする。思い返せば鉄ではなかったか。


「何を言うのです、エルバ。鉄は水に沈むではありませんか。」


「言われてみればそうですね……。」


 それでもあの船は鉄製だったとエルバは思うのだが、鉄の塊が水に浮かぶかと言われると黙るしかない。この世界の海を渡る方法をエルバから提供することはできないのだった。


「さあ、エルバ。まずは守印しゅいんの発行をお願いしに教会に行きましょう。」


 小さな建物が乱立する街の中央に座す尖塔を示して、フューレンプレアは言った。


「出発は明日以降になると思います。」


 守印は制作するのに大変な手間と時間を要し、常に供給量が不足している。そのため多くの場合は順番待ちをして入手せねばならないのだという。


「カテドラルやヘリオであれば、旅人が使わなかった守印を教会に返納して余っていることもあるのですけれど、プエルートは多くの人にとって通過点ですからね。守印を求める人はいても返納する人は多くありません。」


「なるほど。カテドラルで多めにもらって来れば良かったですね。」


「それはできません。基本的に、守印は次の宿場に行くのに必要な量しか渡されません。」


 守印はカテドラルとヘリオで制作され、巡回する祓魔師の手で宿場に分配され、宿場の教会で次の宿場に到着するまでに必要な数だけが旅人に手渡される。


 この制度にはいくつかのメリットがあった。


 ひとつには旅人が守印の数に物言わせて道を外れるのを防ぐこと。旅人の行動を制限して彼らの安全をより確かにするとともに、大量の守印を紛失するのを防止している。これは盗賊などの良からぬ輩に渡る守印の量を減らすことにも繋がる。


 また、旅人は必ず宿場で足を止めることになり、各宿場は旅人と取引をする機会を得ることができる。人の循環が宿場にうるおいをもたらすように、と言うのも、守印の譲渡制限が意図するところである。


 さらに、もしも道中で守印を失ってしまったとしても、巡回する祓魔師ふつましから守印を受け取ることができるのだとフューレンプレアはエルバに語った。


「つまり、聖教会せいきょうかいいたレールから旅人が外れないようにするための守印制限ですか。」


「そうです。」


 エルバのとげを含んだ言葉に、フューレンプレアはただ頷きを返した。


「ちなみに、巡回中の祓魔師から守印を受け取る場合の料金はどうするのですか? 何も持っていなかったら守印は分けてもらえないのですか?」


「命の危険がある方をその場で追い詰めるわけがありません。守印を渡して、そのまま街まで護送ごそうし、然る後に対価を頂きます。通貨がなければ労働とか。」


 エルバは胸中で舌打ちをした。


 世の中はフューレンプレアほど善良にできていない。うっかり巡回中の祓魔師から守印を貰ったりしたら、どんな対価を要求されるか知れたものではない。切羽せっぱ詰まるほど命綱の価値は高騰こうとうするものだし、不動の基準があるわけでもないらしいのだから、迂闊に手を出しては火傷する。


 えて守印を持たずに出発して巡回中の祓魔師から受け取るという思い付きは、どうやら実行できないらしかった。




 長蛇ちょうだの列に並び、守印と交換するための石札を手に入れる頃にはとっぷりと日が暮れていた。エルバとフューレンプレアはそのまま宿に向かった。


 フューレンプレアの裁量さいりょうで選んだのは、老若男女ろうにゃくなんにょ入り乱れて雑魚寝ざこねする大部屋だった。申し訳程度のぼろ布で仕切られてはいるものの、衣擦きぬずれの音まで筒抜けだ。


「……もう少しまともな部屋が取れたのではないですか?」


 エルバは抑えた声で布の向こう側のフューレンプレアに尋ねた。


「ダメです。」


 フューレンプレアもまた抑えた声で言い返してきた。


「私たちにはあまり余裕がないのですよ。」


 法王さまから多額の補助金を受けたではないですか、とは、エルバは言わなかった。誰が聞いているのか解らない。朝起きたら荷物が消えているなんて経験は、二度とごめんだ。


 エルバは背嚢はいのうを抱え込んだ。中には六枚の金貨と何枚かずつの銀貨と銅貨が入っていた。カテドラル‐ヘリオ人類共栄帯で通用するレプト貨幣である。カテドラルとヘリオが価値を保証しており、然るべきところに持って行けば金貨一枚につきマイ十キログラム、あるいは塩四十キログラムと交換することができるのだそうだ。


 食材と違って貨幣は腐らないし、軽量であり、しかも価値が保障されている。物々交換の煩雑はんざつさから解放され、財の蓄積と運搬も容易になった。これにより共栄帯の人々の生活は安定したのだそうだ。


 マイと塩以外のものの値段は需要と供給のバランスによって変動する。エルバの見たところ、プエルートはカテドラルよりも物価が高い。


 先に進むにつれて物価が高くなるのかもしれないと思えばフューレンプレアが宿代を節約するのも解るのだが、エルバは慣れない旅で疲れていた。個室でしっかり休みたいという欲求には抗いがたいものがある。


 エルバは荷物の中にある剣に苦々しい視線を向ける。ヒトハミを殺す力を持つ対魔武器たいまぶきである。フューレンプレアのすすめに応じて購入したものだった。


 エルバが対魔武器に頼らずともヒトハミを殺せるのかもしれないという仮説についてはまだ検証していないが、それの成否に関わらず対魔武器を持つべきだと、彼女は主張したのである。間違っていればヒトハミ相手に戦えないし、正しければそれは人目にさらすべき事実ではない、と。エルバもそれに同意したため、高額な対魔武器を手に取った。


 手に取ったまでは良かったが、長剣であれ槍であれ、一般的なものはエルバにはあまりに重すぎた。持ち上げることも振ることもできた。だが何度も振るのは難しかったし、持ち続けるのも厳しかった。もっと軽くて小さい物を求めたが、カテドラルでは手に入らなかった。


 対魔武器の製造は聖教会が一手にになっているのだという。神に仕える者たちが作る武器は確かな品質と気品を備えているが、いかんせん四角四面しかくしめんに過ぎてバリエーションが少ない。


 要するに剣か槍しかないというのである。それ以外となると他地方から流れて来るものや遺跡から出土したものを求めるしかないが、滅多に出回らないとのことだった。ゴートが白枝の剣を盗んだ理由を、エルバはようやく理解した。


 結局、身長に見合うものよりも少し短い長剣を購入したものの、やはり重い。帯剣するのもエルバにとっては初めてのことで、腰から下げた剣の異物感と言ったらなかった。楽だったプエルートまでの道筋の中で一番難儀なんぎだったのが剣の運搬である。


 この先、移動が長くなるにつれて武器が重荷になるのは目に見えている。いっそ対魔武器はあきらめるか。


 普通の武器であればバリエーションも豊かだ。重荷にならないものもあるだろう。そもそも対魔武器は特別な人にしか扱えないわけで、多くの人は守印だけを頼りに移動しているはずだ。エルバもそれにならえばいいのでは?


 次第に考えは散漫さんまんになり、意識が途切れ途切れになっていく。明日、出発前に市場に行き、今持っている剣を売って軽い剣を購入しよう。記憶にめるようにそう思った直後、エルバの意識はすとんと眠りに落ちていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る