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 トーキョーに行った翔はギフに帰らなかった。帰ったのは比奈岡 朱美が亡くなったときだけ。ゴールデンウイークも、盆も正月も、翔はトーキョーにいた。世界を変えるために翔はずっとトーキョーににいた。翔の決意は固く、俺はその信念に震える。ああ、翔は本気で世界を変えようとしているんだって。

 

 法律が新しくできる、改正されるという知らせが来たのは今年4月になってから。世の話題はそれでいっぱいだった。ついに日本もLGBTに対して真正面に向き合うときがきたのだ。LGBTという言葉は聞いたことがあるが、何が何なのかすべてを把握していない。俺は喫茶店の休憩時間の間に、軽く調べものをした。この法律の話題を見る度に俺の脳裏に出てきたのは翔だった。トーキョーの一族は政治の世界にも足を踏み入れているので翔はそこに注目していたようだ。俺が翔に運命の人として好きだと言ってから翔は考えていたのだ。俺の恋を実現するために必要なことを。

 L=レズビアン

 G=ゲイ

 B=バイセクシャル

 T=トランスジェンダー

という意味の集まりがLGBT。俺の場合はGに該当する。LGBT関連法案では同性の婚姻届が認められる、社会的地位の確保など昔は考えられなかったことが法律で認められるらしい。それに伴ってLGBTについて知ってもらおうと教育に力を入れるそうだ。今まではさらっとLGBTについては保健体育や社会の授業で行われていたらしいが、ガイドラインを整えてすべての県で平等にLGBTに関する教育を受けられるように手配するとのことだ。教育実態は地域それぞれで異なっていたらしいが、これがきっかけでちゃんとした教育を受けることができる。


 新しい法律の話が出るたびに俺の脳裏に浮かんだのは翔だった。翔が言った一言が流れてくる。

 『彰、待ってて。必ず彰を幸せにするから』

 翔がいなくなってから本当に世界は変わった。世界は俺みたいに同性を好きになる人に対して過剰な反応が少なくなった。まだ理解できないとかそういうのはあるけれど、昔よりはよくなりつつあると世論はそう言っている。

 新しくなる世界の空気を吸って俺は目を閉じる。翔に告白しようとしたきっかけになった中学時代のこととか、翔と初めて会ったときのこととか。いろいろと回想する。家の事情や自分の事情で諦めていた何かが今、つかめつつあることを実感した。もう、俺は自分を守るために心を閉ざさなくてもいいんだ。翔に会うために心の準備をする。家族として、いや、大切な人として俺は翔を迎えよう。


 ドアのベルがカランコロンと揺れて鳴った。目を開けて振り向くと1年ぶりに見る相手が笑って立っていた。

 「ただいま、彰」

 「おかえり、翔」

 翔の表情は初めて会った時と変わらない素敵な笑顔だった。ああ、この笑顔だ。俺はこの笑顔が好きだ。太陽みたいに輝いて優しいこの笑顔が好きだ。あの日から俺は翔が好き。この笑顔に救われた。何もわからない絶望から俺は翔に救われた。

 「お疲れ様。お昼ご飯は、済ませたっけ?」

 「うん、新幹線で弁当食べた。着いて早々なんだけど思い出の場所に行きたくてね」

 「母さん、喜ぶだろうね」

 「うん」

 俺は妹に留守を頼んで家を出る。家から自転車で10分、俺と翔の思い出の地である河川敷に行く。

 俺と翔と妹の母親である比奈岡 朱美は1年前に眠りについた。それは突然のことだった。比奈岡 朱美は病気に倒れて亡くなった。病院嫌いであったのが死因につながったのか、倒れた時には余命宣告された。あと3ヶ月くらい。比奈岡 朱美はしばらく入院して常連客に囲まれながら余生を過ごした。あの人は本当に太陽のような人で俺みたいに比奈岡 朱美に救われた人がたくさんいた。亡くなってからも比奈岡 朱美を慕いに喫茶ゆりかごに訪れる人がいるほど、あの人は本当に愛されていた。


 あの日から5年。俺と翔はあの日から同じ場所に立つ。ここであの日、俺は翔の宣言を聞いた。

 『世界を変えて見せる』

 それは本当に起きた。世界は本当に変わっていった。ぐるっと回転するように俺たちが生きる世界が大きく変わった。

 

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