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 あの夏の騒動から1年経ち、俺が生まれてから10年経った夏。この夏は俺が運命を知った夏だ。いまだにこの時の夏は夢に出る。夢の世界ではなぜか背景の色は黄色、道路は白色というものだ。空は薄く、地上に近いところは濃い黄色。その不思議な背景に黒塗りの高級車がやってきて比奈岡に頼まれたおつかいの荷物を持っていた俺の前に泊まる。高級車から降りたのは俺と同じくらいの歳の男の子。彼は俺に声をかけてきた。

 「ねえ、喫茶ゆりかごって店知ってる?」

 「知ってるよ。一緒に行く?」

 「うん、よろしく」

 俺が世話になっている喫茶ゆりかご、商店街の中にある普通の喫茶店。市民の憩いの場になっている。すごい人気というわけではなく、これといった特別なことはない。遠くから訪れるほどの価値はあるのかわからない。まあ、占いをしてくれるというのと甘いスイーツが喫茶ゆりかごの一番なので多少それで少しは有名なのかもしれない。比奈岡 朱美は占い師として慕われていた。高級車の男の子はもしかしたら比奈岡 朱美の占いに興味があってここに訪れたのだろうかとその時の俺は楽観していた。男の子の本当の狙いを知ったのは喫茶ゆりかごに着いたときだ。

 喫茶ゆりかごに着くと比奈岡 朱美がドアから出た。帰る常連さんに頭を下げてから俺たちを見る。

 「ただいま」

 何気ない一言が重なって聞こえた。いつものように言う俺の声と少し震えたような男の子の声。比奈岡 朱美が反応したのは男の子の声だった。比奈岡と男の子は互いに走って、そして抱きしめた。比奈岡は涙を流していた。彼女がなくところを俺は初めて見る。男の子は母さんと言って再会を喜んでいるようだった。

 「……」

 俺は二人を見て悟る。そういうことなのかと、脳に電流が走る。二人の再会を背に俺は走り出した。1年前の火事のその後のことを思い出しながら俺は逃げた。

 

火事から一夜明けて俺は比奈岡の自宅があるギフに連れられる。俺は比奈岡から与えられた衣服に着替えて、そして朝食をとる。衣服はサイズがぴったりだった。着替え場所として入った部屋を見る。部屋の主は男の子のようだ。机の上に男の子の写真があった。にこっとピースサインをする男の子がいる。その写真をじっと見ていると声をかけられた。

 「私の息子よ」

 振り返ると比奈岡がいた。写真を愛おしそうに見ている。

 「私たちも一緒に旅をしていたの。君と同じホテルに泊まっていてね」

 「名前は?」

 尋ねると比奈岡は写真立ての裏を見せて返す。

 「かける」

 比奈岡は朝食ができたと言って部屋の外に出た。


 比奈岡にはかけるという名の息子がいた。数日後に火事の犠牲者の一覧が新聞に出たときに調べたのだがかけるという名前はなかった。

 「あの子は生きていると思うわ。これは母親の勘。多分、君のように大切に保護されたと思う」

 「……」

 「そんな顔するなよ。君とかけるが入れ違うのは運命だったんだ。私と君が出会うのも運命。そういうことだったんだ」

 「でも」

 俺はかけるがいるべき場所にいる。本当なら両親の元にいるべきなのにとうつむく。比奈岡はそんな俺に励ますように笑った。

 「今はゆっくりと休みな。昨日は大変だったんだ。ちゃんと休んで、火事のことは忘れて」

 それからは比奈岡の元で世話になった。家事や喫茶店の手伝いをしてたくさんと生活の知恵というものを学んだ。トーキョーにいた時とは違う生活だ。トーキョーの家にはお手伝いさんがいたが、ここではなにもかも自分で済ませる生活だ。様々な人と関わった。時には嫌なこともあったが、この世はこういう人間もいるのだと常連さんや比奈岡から教わった。トーキョーよりも平和で心地よく、ボロを出さないように建前を必死に取り繕うこともない。何かにおびえることもなかった。

 

 「待って」

 喫茶ゆりかごから走って逃げていたら追い付かれた。商店街の南の方の公園、いつのまにかそんなに走っていったのかと俺は息を整える。

 「……」

 比奈岡と感動の再会をしていた男の子と俺は息が落ち着いてから話をした。

 「相沢くんだよね、相沢 彰くん」

 「……あんたがかける、比奈岡 翔か」

 目の前にいるかけるは写真のとおり、いい笑顔をしていた。無表情な俺にはできない笑顔をかけるは持っている。笑顔のまぶしさに俺の目が眩んだ。

 「そうだよ。彰くんに伝えたいことがあるんだ」

 「……俺に?」

 かけるはふとうつむく。数秒してから口を開いた。

 「かけるくんのお父さんとお母さんがこの前お亡くなりになった」

 「……」

 「それよりも前に彰くんに伝えなければならないことがたくさんあるんだ。聞いてくれるかな」

 かけるは知っていた。俺の知らないことを知っていた。俺が知らないのは当然のことだった。1年前の火事の入れ違いは俺を守るために行われたことなのだから。

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