海の底から。

 文章が淡々としていると言われることがある。静かだと。


 やはり文章というのは、人が出るとつくづく思う。その人でさえ自覚していない奥底。私は自分が静かな人間だと思ったことはあまりなかったのだけれど、よくよく文章をみてみれば、そうかも知れないとすこし思った。というよりか、そういうところもあるのかも知れないと。



 言葉で言い尽くせないことは、もちろんある。言葉より奥の微妙なニュアンスや心の機微は、確かに存在する。

 でも言葉にしなくては仕方ない。言葉にしなくては伝わらない。言葉がなければ、人間としてわかりあえない。言外のコミュニケーションというのは、その後の話だ。もしくはそれ未満の話だ、と言うべきか。どちらにせよ、深い理解には言葉が必要。言わなきゃ何にも始まらない。


 もちろん言葉にしたからといって、伝わるとは限らない。人と人との間には、絶対的な隔たりがある。そしてそれを埋めることは、不可能だ。

 でも限りなく、近づくことは出来ると思う。小数点以下の世界が、どこまでもどこまでも広がるかのように。

 だから私は話さなければならないし、話したい。挑戦しつづけたい。たとえそれが不毛な戦いだとしても、一生涯言葉を武器としてゆきたい。



 話はすこし、変わるけれども。

 吉本ばななを、久々に読んだ。五年ぶりくらい。書名は、『うたかた/サンクチュアリ』。

 以前読んだときは感じ取れなかった、かなしみ、を感じることが出来た。悲しみでなく、かなしみ。浅く白くうつくしい、海の地面のようなかなしみ。

 書いていて思った。今日マチ子の『センネン画報』に、そんなような気もちを起こさせる作品があった。小さな浮き輪を手放して、どこまでも沈んでゆくの。

 海の底というのは、やっぱりかくも、静かだ。静かでせつなくて、一種胸が苦しくなるきらめき、泡の弾ける音。もしかしたらだけれど、原体験に近いものがあるのかな。



 海の底のような文章が書けたら、良いなと思う。

 自分のなかに在る海の底を、大切にしてゆきたい。

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