『内的体験』を勝手に読んでみる、3。

 昨日で「序」を読み終わったので、私のわかった範囲のものを書き連ねます。


・既存のものとは違う、革命的な思想についてこれから語るらしい。「謎」と表現されている。(解決出来ない類の問いが、ひとつの思想になっているのかも知れない。)

・「全一者」でありたいという欲望について語るらしい。

人間は「全一者」でない、という思想の側にバタイユはいる。

・「全一者」についての具体的なことについては不明。

・人間「全一者」でないことに絶望しているふうに見える。しかしそこから、ひとつの思想が芽生えているらしい。

・(要は「人間が全一者でないことへの絶望」と、そこから生まれる観念やら思想やらを語るのだろうか。)

・(だとしたら、不可知論にはわりとすんなり結びつく。無神論については何とも言えないが、宗教的な瞑想を否定している時点で無神論的な雰囲気はある。)



「第一部 内的体験への序論草案 Ⅰ教義的隷属(および神秘主義)批判」に入ります。やっぱりどちらにせよ、バタイユは無神論者な気がするよ、この時点で。


・内的体験とは、通常、「神秘的体験」と呼ばれているもの。しかしそれは、信仰告白のことではない。(「悟り」状態に近い気がやっぱり私はするのだけれど、これを読む限りだとそれは否定されている。)

・内的体験とは、すべてのことを疑問に投ずるという急務に答えるもの。(根源的な問いに接する体験ってことかな。)

・信仰をもたないほうが、内的体験はもちやすいらしい。

・目的があって内的体験がもたらされるのではなくて、内的体験が「その欲する場所へ私たちを導いていく。」その場所とは、「非‐意味」。(「非‐意味」って「意味のないこと」ってこと?)

「私の望みは非‐意味が体験の原理となることだった。」(人知の及ばない場所に触れて、そこから内的体験が起こるということだろうか。)

・「体験は何ごとをも啓示せず、」(内的体験は、一般的な意味では「役に立たない」ということだろうか。)



 短いですが、今日はここら辺までにしておきます。

 哲学書をきちんと読もうと試みると、時間がかかるものだ。

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