小さかったけれども、小さかったからこそ。

 小学五年生のときに書こうと試みた、小説のあらすじをふと思い出しました。駅のホームで電車待ちという、まったく現実の、思い出の世界とはぜんぜん関係のない時間を過ごしているときに。



 主人公の女の子は、内気で引っ込み思案で、クラスで浮いている存在。その子にはひとりだけ幼馴染の友達がいるのだけれど、その子はとても人気者で、主人公はちょっとだけ寂しさや嫉妬を感じている。

 そんなある日、クラスの子たちが主人公にはわからない話をしているのを聞いてしまう。造語を使ったりして、楽しそうに笑いあっている。そのなかには幼馴染の彼女もいた。後で主人公は幼馴染にさりげなくそのことを訊くのだけれども、彼女は教えてくれない。

 どうやらパーティーの約束らしい、と主人公は話の端々から推測し、その待ちあわせ場所の空き地に向かう。しかし主人公が到着すると、クラスメイトたちは一斉に「例の場所に集合ね!」みたいなことを言って去っていってしまう。幼馴染の彼女も、主人公を一瞥すると去っていってしまう。主人公は空き地にぽつんと取り残される。



 記憶による脚色はあるかと思いますが、だいたいこんな感じの筋でした。

 ああそういえばこの頃は一番集団に居づらかった時期だなぁ、としみじみ思いました。今ではずいぶん慣れたほうです、これでも。

 幼い頃の思い出って、時が経つにつれて美化されて、一般化されることが多い気がします。あの時は幼かったから、小さいときにはよくあることだ、若いころにはそういうことを考えてしまうものだ、それが成長のプロセスだ……なんて。

 でもそのとき感じた感情、苦い痛みも何もかも、ほんものの感情だと思います。その生々しさを乾かして、風化させて、「誰にでもあること」と一般化してしまったとき、年少の人々のことを、またその当時の自分自身のことを、真に理解出来なくなるのだと思います。

 小学生だって本気で生きている、小学生だったそのときはそんなこと当たり前のことだったはずなのに、いつの間にか忘れそうになってしまう。

 忘れてはいけない、と思います。必死の毎日を、記憶の隅に押しやってはならない。

 ずっとずっと、この生々しい、ストレートで一途な痛みを覚えていたいです。もうこれからは、感じることの出来ないものだから。この痛みはぜったいに宝ものになると信じています。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る