少数派の気持ち。
重松清さんの書いた、『ステップ』を読んでいます。母に先立たれた、父と娘の小説です。
『あじさい』と題された、娘が小学一年生のときの話があります。母の日のお話です。
母の日ということで、授業参観日に学校に来た母親が見ることのできるように、「お母さんの絵」をみんなで描いて、教室の壁に張り出すことになります。でも、ものごころつかないころに母に先立たれた娘は、母親の顔がわからない。だから描くことができない。父がそれを担任の先生に相談すると、先生は「じゃあ、写真を持たせてください」と言う。そのあとに仕事に向かった父は、上司に向かってこうこぼします。以下、本文から引用させていただきます。
「学校っていうのは、普通の子どもや家族のための場所なんですよ」(重松清『ステップ』本文より)
ほんとうにその通りだと思いました。
多数決の原理。民主主義はこれで成り立ちます。少数派は、ほとんど無視されてしまう。
母親がいない子供がいる、なんて考えない。母親がいて当たり前だと思っている。そういう人って、案外いるものではないでしょうか。
それは、当たり前、のことじゃないんです。母親がいることを前提に話をして、その言葉が母のいない子供に与える影響すら考えていない、そういうことって、結構あるんじゃないでしょうか。
ひっそり傷は増え、深くなっていきます。母親がいるのが当たり前でふつうなこと、じゃあ、うちは「ふつう」ではないの。
今回は母親のことについて書きましたが、このことはいろいろなことに当てはまると思います。多数派の、無意識のうちでの少数派への言葉。それはどれだけ、少数派とされる人々の気持ちを蹴り飛ばしていることでしょうか。たとえ無意識だとしても。無意識だからこそ。
何においても、よく考えていきたいものです。
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