17.わたくしは、新しい可能性を見たわ。

 リーリアはただただ、目の前にあるその塊を注視していた。いや、注視することしか出来なかった、というのが正しいかもしれない。言葉さえも、口から零れることはない。ただただ、驚きゆえに。

 何を言えば良いか、分からなかったのだ。


「……わたくしにだけ見えている幻、というわけではない、わよね」


「そう、ですね。私にも見えておりますので……」


 ぼそりとリーリアが呟けば、背後に控えているナールもまた、何と言えば良いか分からないというような、困惑した声を上げた。それも、仕方がないことだと思う。

 見たこともないのだ。このような物。


「赤い、聖石」


 ぽつりと、リーリアは呟いた。手の平にちょこんと乗った、真っ赤に染まった聖石を見つめながら。


 何で、こんな色に……? わたくし、何かしてしまったかしら……。ただ聖石を溶け合わせていただけなのに……。


 大きさだけを言うならば、通常の聖石と一切変わらないのだが。禍々しいまでに赤い、血のようにさえも見える、聖石。

 自らの聖石ならば、大きさを変えることなく溶け合うことが分かり、ナールの言葉もあって、一つ、また一つとリーリアは聖石を溶け合わせていたのだけれど。

 まさか、こんな物が出来るとは。


「聖石は、今溶け合わせた物で十個目、だったかしら?」


「はい。そうですわ、お嬢様」


 十個目の聖石。とてもきりの良い数字。まじまじと赤い聖石を眺めながら思う。果たしてそれは、偶然だろうか。

 リーリアは手にしていた赤い聖石を机の上に置くと、また袋の中から二つ、聖石を取り出した。

 この袋の中には、リーリアが作り出した聖石が八十個ほど入っている。リーリアが一日に、無理なく作り出せる聖石がそのくらいだからだ。と言っても、通常は一日に三個から十個ほど、余程聖力が強い聖女でも、三十個近くが限度らしいので、普通に考えるならば有り得ない数字であることは理解していた。

 二つの聖石を、手の中に収めて溶け合わせる。十回とはいえ、同じことを繰り返しているため、この作業にも少しずつ慣れてきていた。

 二つの聖石はあっという間に溶け合い、一つの聖石へと姿を変える。そこにまた一つ、同じ大きさの聖石を追加するというのを繰り返して。

 「……やっぱり」と、リーリアは小さく呟いた。手の中には、机の上に置いてある物と同じ、真っ赤な聖石が一つ転がっていた。


「十個の聖石を溶け合わせると、赤くなるのね。何か意味があるのかしら……。ねえ、ナール。何か聞いたことはある?」


 赤い聖石を見つめ、首を傾げながらリーリアはナールへと問いかける。ナールは少し考えるように唸った後、「……思いつきません」と答えた。

 予想のついていたその答えに、「そうよね」とだけ答える。そもそもこのような物、見るのさえも初めてなのだから、分からなくとも無理はない。リーリアもそうならば、幼い頃から共にいるナールも同じだろう。自分で作り出した物のはずなのだが、やはりよく分からない。


「十個……。十という数字に意味があるのかしら。分からないわね……」


 それに、もう一つ気になることがあった。それは、先ほどからこの作業を行っていた、その理由。

 すなわち、いくつまでこの大きさのまま溶け合わせる事が出来るのか、ということである。


 色は変わってしまったけれど、今のところ大きさが変わる様子もないもの。……もう少し、溶け合わせてみようかしら。


 そう思い至ったリーリアはしかし、その考えを実行に移すことなく動きを止めた。控えていたナールが、「お嬢様、昼食はどちらにご用意いたしましょうか?」と訊ねてきたからである。ただでさえ昨日から心配をかけてしまっているのだから、ここで無理に続けるわけにもいかないだろう。

 そう自分を納得させ、リーリアはこの作業部屋で食事をとることにした。行儀が悪いと言われてしまいそうだが、この仕事に携わるようになってからはいつものことなので、ナールも何も言わなかった。

 聖石の山が載ったままの作業机に食事の用意が出来るはずもなく、しばらく待っていると、ナールは小さなワゴンに手洗い用の水と、手掴みで食べられるサンドウィッチを載せてやってくる。手早く両手を洗い清めて、リーリアはサンドウィッチへと手を伸ばした。

 ふんわりと柔らかいパンの間には、新鮮な野菜とハムが挟んである。はむ、と口に含み、端の方を噛み切って咀嚼すれば、瑞々しい野菜の香りと共に、しゃきしゃきと心地良い音が口の中に広がった。


「美味しいわ。とても。こちらのお屋敷のお料理は、素材そのものの味を大事にしているわね。薄味で、程良い塩加減で。腕の良い料理人を雇っていらっしゃるのね」


 なおもしゃきしゃきと音を立てながら、リーリアはぺろりとサンドウィッチを一つ食べ終えた。集中して作業をこなしていたため気付かなかったが、随分と空腹だったらしい。二つ目のサンドウィッチに手を伸ばしながら、ナールにそう言葉をかける。

 ナールは紅茶の用意をしながら、「ええ、本当に」といつも通りの静かな表情で応えた。


「このお屋敷の方は皆さん魔族だという話ですから、人間の私たちよりも味覚が鋭いのかもしれませんね。見た目には、違いは分からないのですが……。ただ、魔族だから男性しかいらっしゃらないので、お嬢様への対応はもちろん、私たち侍女への対応にも不安を覚えておられる方はいらっしゃいますね」


 「そのせいか、お願いしたら何でも出てきます」と、淡々と言うナールに苦笑を漏らす。「あまり無理を言ってはだめよ」と告げれば、彼女はこくりと頷いて「もちろんです」と応えた。

 そんな軽口を言い合いながら、リーリアはふと思う。自分への対応もそうだが、彼らは侍女たちにもまた、嫌われるわけにはいかないのではないか、と。

 魔物や魔族には男しかおらず、赤、橙、黄の魔核を持つ魔物は伴侶を得ることが出来ないため、子を為すことが出来ない。しかしそれ以上の魔核、つまり人型を取る魔族に限っては、子孫を残すことが出来るのである。人間の、聖女を伴侶として。

 リーリアがツォルン公爵邸に連れて来ている侍女は皆、ある程度以上の力を持つ聖女たちでもあった。そのことを、クラキオには事前に伝えている。そしてこの屋敷内において、リーリアたちに関わっている者たちは皆、緑以上の魔核を持つ魔族なのだ。侍女の中から伴侶を、と考えている者もいるだろうから。


 ただでさえ、聖女は貴族の養子になる場合が多いし、傍目からでは聖力を持っているのかどうかも分からないもの。貴族の場合は、簡単には魔族と婚姻なんて結べないものね。


 こうして、侯爵令嬢の侍女という立場であり、聖女であるという確信がもてる相手ならば、魔族の者たちからすればこれ以上にない相手といえる。彼らがそう思うだろうという考えに至ることは、リーリアにも容易かった。

 しかし、それを伝えて侍女たちがどう考えるかは分からないため、何も言わないでおこうと決めたのである。わざわざ魔族の者たちの未来を奪う必要もないのだから。

 二つ目のサンドウィッチを平らげてしまい、再度手を清めた後、リーリアは再び作業へと戻った。目の前には、真っ赤に染まった二つの聖石。その内の一つを手に取り、また袋の中から白い聖石を取り出す。同じ作業の繰り返し。

 一つ、二つと赤い聖石と白い聖石を溶け合わせていく。大きさも変わらず、色は赤いまま。


 ……でも、この赤い聖石は、外側から少し聖力を使わないと溶けないみたい。


 自ら造り出した白い聖石は、内部の聖力を利用することで、それその物を溶かすのだが、赤い聖石の場合は外側の膜を溶かすのに別に聖力が必要のようだ。内部の聖力だけでも溶けないことはないのだが、時間がかかるように思う。聖石十個分の聖力を固め、それを抑えているのだから当然かもしれなかった。

 そんな風に、一つずつ聖力を調整しつつ、作業を繰り返して。

 次の十個目、つまり二十個目の聖石に到達した。


「十個目は赤くなったけれど、それじゃあ、二十個目はどうなるのかしらね」


 ぽつりと呟き、十九個の聖石が溶けた赤い聖石と、白い聖石を両手に持つ。目を閉じ、二つの聖石を溶かし、合わせて。

 目を開いたリーリアは、知らずその顔をきらきらと輝かせる。面白いと思ったのだ。この聖石というものは、リーリア自身が考えていたよりもずっと、可能性に満ちているのだと。

 開いた両手の中には、橙色の聖石が一つ、ころりと転がっていたから。


「ナール、見て! 今度は橙色になったわ! わたくしの見間違いではないわよね?」


「はい、私にも見えております。鮮やかな橙色ですわ」


 両手で掲げるようにして、ナールへと見せる。やはり自分の見間違いではなく、橙色の聖石がそこには確かに存在していた。


 十個目で赤、二十個目で橙……。では三十個目は? いえ、その前にもう一度、聖石を二十個溶け合わせてみましょう。数が間違っている、ということはないでしょうけれど、万が一ということがあるもの。


 思い、再び白い聖石を二つ手にする。傍に置いてある赤い聖石は、そのままにしておいた。後ほどクラキオがこの場を訪れる可能性があるため、その過程を説明するのにあった方が良いと思ったからである。

 この屋敷にある聖石は全て彼が管理するもので、それはリーリアが個人的に持ち込んだ物だとしても変わりはないと、リーリアは認識していた。だからこそ、その変遷を分かりやすく示し、説明すべきだと思ったのだ。

 一つ、二つと作業は繰り返され、あっという間に二十個目の聖石に辿り着く。すでに一つは赤い聖石となっており、再度手の中で、赤と白、二つの聖石を溶け合わせて。

 「間違いないわね」と、リーリアは手の中から現れた聖石を見て、呟いた。


「何かに記録しておきましょう。十個の聖石を合わせると赤くなり、二十個の聖石を合わせると橙色になる、と。ナール、紙とペンを用意してくれるかしら」


「もちろんですわ。少しお待ちください」


 言うが早いか、ナールはさっと部屋から出て行くと、紙と墨つぼ、羽ペンを持って現れる。それを受け取って、リーリアは今起きたことを記録していく。簡単に簡潔に。

 そしてまたその紙とペンを脇に置き、今度は橙色の聖石へと向き直る。白から赤、赤から橙へと変わった聖石。その色の変化が、ここまでとは思えない。


 一体、どこまで変化するのかしら……。


 当初の目的もどこへやら、好奇心に顔を輝かせて、リーリアはまた一つ、白い聖石を手に取った。

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