16.わたくしは、やれば出来ると思うの。
聖力が魔力と違って、眠りさえすればすぐに回復する物で良かったと、しみじみと思った。
「お嬢様らしいとは思いますが、あまり無理をするのはおやめ下さいませ……。作業中にいきなり眠られてしまって、私たちがどれほど心配したことか……。また何日も眠ってしまうかもしれないと思うと心配で心配で……」
「ごめんなさいね、ナール。皆も……。これからはちゃんと気をつけるわ」
「本当に、そうして下さいませね」
朝起きてからずっと、その目に涙を溜めて訴えてくる侍女たちに、リーリアはこれ以上ないほどに申し訳なく思いながら、こくりと頷いた。表情の乏しいナールでさえ、うるうると瞳が光っている。三日間眠り続けたという前科があるものだから、彼女たちの心配は尚更だろう。
ことの発端は昨日のお茶の時間。クラキオが自分の元を訪れた時だと言って差し支えないだろう。聖石を一つにするという、暗礁に乗り上げていた実験に、クラキオは新たな筋道を与えてくれた。それ自体は、有り難い以外の何物でもなかったのだけれど。
問題は、彼が去ったその後である。
自分がやってみたいことではなく、あくまでも仕事を優先させるべきと思い、聖石を加工する仕事に戻ったまでは良かった。繰り返しの作業を行うことは別に苦ではなく、ひたすらに仕事をこなしていたのだけれど。
どうしても、心は実験の事を考えてしまうわけで。そわそわと実験のことについて考えながら、手だけは異様に早い速度で仕事をこなしていき、その結果、いつの間にかいつもの倍近くの聖石を加工していて。
聖力の枯渇により、椅子に座ったまま作業机にうつ伏せに倒れるようにして眠りについてしまったのだった。おかげで夕飯も食べ損ねてしまった。
夕食の席につかなかったから、クラキオ様にも心配をかけてしまったみたいだし……。
申し訳ないの一言に尽きるというものだ。
ナールたちによれば、クラキオは今日の朝も彼女たちにリーリアの容体について訊ねてきたらしい。まだ眠っていると伝えれば、起こさず休ませるよう命じられたという。おかげで今日は、昨日の疲労など一切感じない、すっきりとした気分である。
無理せずいつも通り仕事をこなして、今日こそは試してみないと……!
それでなくても昨日の、聖力が枯渇してしまうほどの無意識の作業のおかげで、今日までに課されていた仕事はほとんど終わっている。半月分とまではいかないが、リーリアがこの屋敷に訪れる前の聖石は、屋敷の魔族たちの手によりすでに加工されていた。リーリアの仕事はその続きと、すでに加工されているはずなのだが、どうしても大きさや形がおかしく見えてしまう物の加工のし直しだったのだ。それも、今日の午前中で全て片が付くだろう。
明日は狐の月の一日のため、国中の魔物たちにひと月分の加工済み聖石が配布される。そしてその代わりに、新たにダズィル王国中から聖石が集められ、この屋敷に届けられるはずだ。
つまり、残りの聖石の加工を終わらせてしまえば、明日聖石が届くまでの間は仕事の予定がないということなのである。この機を逃すわけにはいかなかった。
机の上に置いてある歪な聖石の山も、随分と小さくなりつつある。一つ一つ、手にとってはその形を変え、皿の上に移動させて。
最後の一つを皿の上に山となった聖石の、その頂上に置いた時、リーリアは思わずというように深く溜息を吐いた。これですべての作業が完了である。
「お疲れ様です、お嬢様。休憩時間にはまだまだ早いですが、作業も終わったことですし、お茶にいたしましょう?」
リーリアの作業の終了を見計らっていたかのように、茶器の乗ったワゴンを押しながらナールはそう言って小さく微笑んでいた。リーリアの仕事が予想よりも早く終わって嬉しそうである。微笑み返しながら「そうね」と言って頷けば、ナールはいそいそと机の上にお茶の用意を始めた。
その様子を横目に、リーリアは積み上げられた聖石の山から適当な物を一つ手にする。仕事も終わってしまった今、早速試してみようと思ったのだ。
まずは、クラキオ様が仰っていたように、わたくしの聖力を付加する方法を。
とぽぽ、と紅茶が注がれる音を聞きながら、リーリアは聖石を両手で包み込み、祈るようにその目を閉じる。ある意味では、つい先ほどまで行っていた、聖石の加工の応用。体内から流れ出す聖力を、手の中の聖石にゆっくりと張り付けていく。薄く、薄く、何重もの層を作るように。いつも自分の手の平に聖石を造り出す時のことを考えながら、ゆっくり、ゆっくりと聖力を付加させて。
いつの間にか詰めていた息を吐きながら、その目を開けた。おそるおそる、両手を開いていく。
「……あら。 いつもの物よりも少し大きな聖石ですわね」
紅茶を入れ終えたらしいナールが、リーリアの手元を覗き込みながら不思議そうにそう呟いた。ちらりとそちらに視線を遣った後、笑みを浮かべる。ナールもそう思ったということは、自分の勘違いではないらしい。
本当に成功したのだわ……!
「昨日クラキオ様が仰っていたことを思い出して、やってみたの。小さな聖石を加工する時と同じように、聖石の上に聖力を張り付けていったのだけど、上手くいったわ」
実験が成功した喜びに、高くなりそうな声音を努めて淑女らしく抑え、ナールの言う通り、いつもよりも一回り大きくなった聖石を指先で摘まみ上げながら応える。二つの聖石を一つにすることばかり考えていたから駄目だったのだ。いつも行っていた作業にこそ、その答えがあったのだから。
この方法ならば、大きくなってしまうけれど、もう少し聖力を付加させることが出来るかもしれないわ。
浮き立つ頭で思い、もう一度手の平で聖石を包み込む。これ一つでいつもの聖石の倍の聖力は摂取できるだろうけれど、クラキオの場合、それでも百個は口にしなければならない。それならばと思いながら、再度目を閉じ、先ほどと同じように聖力を貼り付けていって。
はて、と首を傾げた。
「どうかされましたか? お嬢様」
リーリアの様子を不思議に思ったらしいナールがそう声をかけてくる。それに、「いえ、ちょっと……」と答えにならない応えを返し、もう一度聖力を手の中へと送って。
ぱちりと、閉じていた目を開いた。
「だめだわ。ここまでが限界みたい」
言いながら、開いた手の平へと目を向ければ、先ほどとほとんど変わらない大きさの聖石がそこには転がっていた。しゅんと、僅かにその肩を落とす。
「だめ、ですか?」とナールがまた不思議そうに問い掛けてくるのに、今度はしっかりと頷いた。
だめだ。これ以上は。
「何と言えば良いのか分からないのだけど、聖力が、これ以上付加できないの。周囲を覆っても、表面を滑り落ちていくような感じかしら」
薄い聖力を二、三度張り付けた後から、するりするりと、張り付けたはずの聖力はその表面を撫でて空気の中へと溶け込んで行くのだ。何度か試してみたのだが、全て結果は同じだった。おそらくこの方法では、これが限度なのだろう。聖石二つ分より、ほんの少し聖力が多い程度である。
傍らに手元の聖石を置いて息を吐き、リーリアはナールが淹れてくれた紅茶へと手を伸ばす。鼻孔をくすぐる茶葉の香りが心地良かった。
「三つ以上は無理でも、二つ分の聖力を宿す聖石を造ることが出来たから、ひとまずは成功かしらね。知恵を貸して頂いた以上、何らかの成果が出れば良いと思っていたけれど、これで一安心だわ。夕食の時にでも、ご報告しないと」
もしかしたら、休憩時間にまたここを訪れるかもしれない。クラキオもまた、少なからずこの実験に興味を持っていたようだから。
そういえば、屋敷中の音が聞こえる、とも仰っていたわね。もしかしたら成功したというわたくしの言葉も聞こえているのかもしれないわ。
だとしたら、それほど驚かれたり、感動したりすることもないだろうけれど。一応報告するのは義務であろう。
一人納得し、リーリアは作業机の隅に置いていた袋を手にする。淡い水色の生地で出来たその布の袋は、それほど大きくはないものの、ぼこぼこと歪に膨らんでいた。まるで数日前までリーリアの背後に置かれていた、あの白い袋のように。
袋の口を開き、出てきたのはやはりというべきか、真っ白な聖石である。あの不思議な本を読む夢を見た翌日から、何かの役に立つかもしれないと、リーリアが造り出し、少しずつ溜めていたものだった。
その内の一つを摘まみ、聖石の積まれた皿の上に置く。先ほど、一つ取って実験したから、その代わりである。
そして、もう二つ。今度は手の平の上にそれを置いた。
「元は二つとも、わたくしの中にあった聖力だもの。……出来るはずだわ」
呟き、深く息を吐き出して、その目を閉じる。両手を先程と同じように組み、今度は体内ではなく、手の中の聖石に宿った聖力に意識を向けた。一つ目の聖石の薄い壁を壊し、聖力だけの姿へと導いていく。とろりとした液体の感覚に、それが成功したことが分かり、続いてもう一つの聖石へ。
……いつもならば、ここでもう聖力が霧散していたけれど……。
二つ目の聖石もまた、少しずつただの聖力へと姿を戻して。薄く開いた視線の先、緩く組んだ手の平の中には、白い塊など一かけらも残ってはいなかった。二つの聖石は、透明な聖力だけの姿となり、溶け合ってそこにある。
思わず、ほっと息を吐いた。ここまでは、成功の様だ。
次は、この聖力をまた、聖石の形へ……。
目を閉じて、意識を集中させる。液体のようなそれを、いつも聖石を造り出す時と同じように、ゆっくりと固めていく。少しずつ、少しずつ。心を落ち着かせ、息を潜めて。
どのくらいそうしていただろうか、背後に控えていたナールが心配そうに「お嬢様……?」と呟く声で、リーリアはその目を開いた。ゆっくりと、組んでいた手を緩め、手の平を晒して。
ぱちりと、一つ瞬きをした。
「……? いつもと同じ、聖石、ですわね」
肩越しに覗き込んで来たナールがぽつりと呟く。リーリアもまた、それに頷いた。どう見ても、いつもと同じ聖石。それが、一つだけリーリアの手の平に載っているのである。二つの聖石を持っていたはずなのに。
「……聖力が逃げたようには感じなかったのだけれど……」
どういうことかしらと、リーリアは首を傾げた。確かに自分は二つの聖石を手にし、その一つ一つを聖力へと変えた。そしてそれを聖石の形へと戻したはずで。
……まさか。
「二つ分の聖力を、一つの聖石に閉じ込めることが出来た、ということ……?」
思うも、確かめる術などあるはずもなく。ナールと二人、顔を見合わせる。
だがもし、その仮定が真実であれば。
「……もう少し、試してみようかしら」
言って、リーリアは更に一つ、袋の中から聖石を取り出し、手の平へと載せる。全く同じ大きさの二つの聖石を、もう一度同じ方法で溶け合わせていって。
完成したのはやはり、いつも通りの小さな白い聖石であった。
「ねえ、ナール。わたくし、ちゃんと聖石を追加したわよね? ……わたくしの見間違いでも、勘違いでも、記憶違いでもない、わよね?」
「私もこの目で見ておりましたので、見間違いでも勘違いでも記憶違いでもないかと」
思わず真顔で問いかければ、同じく真顔で返された。やはり、見間違いでも、勘違いでも、記憶違いでもないらしい。
この小さな聖石の中には、三つ分の聖力が宿っている、ということになる。
つまり自ら造り出した聖石ならば、こうして溶け合わせることも可能だと、そう証明されたことに他ならないわけで。
これは凄い発見かもしれないと、目を輝かせるリーリアに、ふとナールが不思議そうに口を開いた。
「……どのくらいの数まで、この大きさで収まるのかしら……」
誰かに聞かせるつもりもなかったような、ぼそりとした独り言。しかしそれはしっかりと、リーリアの耳に届いていて。
ばっと、リーリアは淑女らしからぬ速度でそちらを振り返った。
「確かにそうね……! いくつまでこの大きさなのかしら? もっと増やせば、さすがに大きくなるのかもしれない……。でも、この大きさで、いつもの数倍の聖力を宿すことが出来るのだとしたら……」
使えると、思った。
視線を聖石に向けたまま紅茶のカップを取って、それを口にする。この実験を始めた当初は、クラキオの食事について考えていただけで、成功するかどうかも分からなかった。そのため、このようなこと考えもしなかったけれど。
もしかしたらこの小さな聖石によって、心中するという運命を変えることが出来るかもしれない。
「もう少し実験してみましょう」
わたくしの、未来のために。
口に出すことなく決意し、リーリアはカップを戻すと、また一つ、袋の中から聖石を取り出した。
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