10.わたくしは、どうにかしなければいけないと思うの。

 夕食の時間だと呼ばれるまで、結局リーリアは手にした本を読むことに集中していた。内容はほとんどリーリアの知識にあるものと変わらなかったけれど、やはり魔物の公爵の屋敷にある本は、魔物の視点で書かれた物ということだろうか、新しく分かったこともあった。

 その最たるものが、魔物の発生と、魔核の位上げの方法である。

 学園に進んだら、こういった魔物の事も、聖女教育の一環として教わるのだろうかと、少しだけ不思議に思った。

 魔物はここダズィル王国から北東に進んだ、いくつかの人間の国を越えた先にある、高慢の魔公の領地で自然発生するのだそうだ。生まれた時は最も位の低い赤の魔核の魔物であり、弱い魔法を使う以外は、気の荒い野生動物と大差ないとされる。その発生場所を知るのは高慢の魔公のみである、とも書かれていた。

 魔物が位を上げるには、大きく二つの方法があるという。その一つはリーリアも知っている、聖女の心臓を食らうというもの。ダズィル王国では激情の魔公であるクラキオがそれを取り締まっているため、年に一度聞くか聞かないかという話だ。もちろん、ダズィル王国から一歩出れば、珍しい話ではないとも聞いている。

 そして今回新しく知ったもう一つの方法が、魔物を食らう、所謂同族食いである。魔物の心臓にも等しい魔核を、同じ位の魔物であれば大量に、上位の魔物であれば一度だけ食らうだけで、その位を上げることが出来るのだという。


 確か、四つ目の位である緑の位より上の魔物は魔族と呼ばれるようになり、人の姿を取ることができるようになるはず。


 一つ位が上がれば、下の位の魔物とは比べ物にならない強さを持つことになり、魔族ともなれば人間の十倍の寿命を有するようになると聞く。実際、魔公であり、紫の魔核を持っているであろうクラキオも、二百年以上生きているのだと社交界で聞いたことがある。彼の言葉の端々に、長い年月を生きてきたことを思わせるものがあったことにも、リーリアは気づいていた。正直、想像もつかないけれど。


 二百年以上生きていて、見た目は二十代半ば、というところだもの。相容れる存在ではないということだけは、分かるわ。


 恐ろしく強い魔物である、ということも。


 魔物は、自らの父親の魔核を引き継いで生まれてくるとあるし、生まれた時から紫の魔核の持ち主だったあの方に、敵なんていないでしょうに……。


 それでもこれから先の未来では、そうではないのである。わからないことが多すぎると、リーリアは深く息を吐いた。

 自然界に存在する魔物はほとんどが赤や橙の魔核の魔物ばかりで、黄ですら稀。それ以上の緑や青、藍の魔核を持つ魔族たちは人に紛れて生活しているというし、数も絶対的に少ない。紫の魔核を持つのは魔公だけで、藍の魔核を持つ魔族たちが束になっても、魔公には敵わない。


 一体、なんでツォルン公爵様は魔力が枯渇したのかしら……。


 知識を得れば得るほど答えが分からなくなる。それほどまでに、魔公の強さというのは絶対的なものなのだ。

 魔力が枯渇したということは、相手の魔物に負けるか、少なくとも相討ち程度であったはずなのだから。


 ここまで考えると、いっそのこと相手が同じ魔公の誰かだったと言われた方が納得できるわね。


 強さだけを言うのであれば、の話だが。

 魔公同士が戦うことには、何の利もないため、それもまた頷きかねるのであった。

 魔公というのは、あらかじめ決められた領地を治める領主である。隣の領地の魔公に勝ったとしても、また別の魔公が現れるだけで、その領地が自分のものになるわけでもない。紫以上の位があるわけでもない。純粋な戦闘狂であるのなら、わからないでもないが、現在の魔公にそのような性質のものがいるというのは聞いたことがなかった。


 魔公は皆長生きだから、わたくしたち人間でも彼らのことを知っているもの。


 それこそ、関連の書物を読めばすぐに分かるほど、知られた知識の一つである。

 肉欲の魔公は兎の魔物で、辺りの聖女たちをその魅力で虜にしている。

 大食の魔公は虎の魔物で、領地の人々は彼を神のように崇めている。

 貪欲の魔公は狐の魔物で、格下の魔物たちに金銀財宝を貢がせている。

 堕落の魔公は熊の魔物で、唯一領地を持たずに様々な場所で眠ってばかりいる。

 羨望の魔公は蛇の魔物で、美しい物が好きで自分が大好き。

 高慢の魔公は蝙蝠の魔物で、激情の魔公と同じように領地の国と契約している。

 それぞれがそれぞれの領地を好きなように支配しているため、他の魔公を襲うとは考えにくいのである。

 これでもかと言うほどに首を捻るリーリアに、「リーリア様」と控えめな声がかかる。そちらを振り返れば、いつの間にやらリーリアのドレスを手にしたナールがこちらを見て微笑んでいた。


「そろそろお食事の時間ですので、お召し替えを」


 続いた言葉にもうそんな時間かと納得し、リーリアは本に愛用の栞を挟んで椅子から立ち上がった。




 食事の時間だと部屋を訪れたクラキオの侍従、先日、一人でこの屋敷を訪れた際にも顔を合わせた、レンディオという名の眼鏡をかけた青年に案内されたのは、たった二人で食事をするには随分と広い食堂であった。そもそもカイネス侯爵邸のそれよりも一回り広いというのに、席に就くのがカイネス侯爵邸の半分なのである。広くも感じるというもの。

 六人程がかけられるであろうテーブルの真ん中の席に、屋敷の主人であるクラキオと向かい合って座り、食事を取る。と言っても、食事が並んでいるのはほとんどが自分の前だけで、クラキオの前にあるのは本日のメイン料理である仔牛のステーキと、角砂糖のような白い四角の塊が大量に盛られた皿だけであった。


 わたくしの勘違いじゃなければ、あれは聖石みたいだけれど。後からまた何か出てくるのよね……?


 何とも不思議な光景に首を傾げていたら、くすりと小さく笑う声がした。びくりと肩を竦ませ、そちらに目を向ける。真っ直ぐにこちらを見遣るクラキオは、「すまない、驚かせたね」と言いながら、楽しそうな表情で口許に手を当てていた。


「俺の夕食がそんなに気になるのかなって。人間の君たちから見ると、やっぱり少し変かな?」


 笑み交じりの問いかけ。思わずこっくりと頷きかけて、慌ててこほんと一つ咳払いをする。「変というよりは、不思議ですわ」と、リーリアは言葉を選びながら応えた。


「わたくしよりもずっと大きな身体でいらっしゃるのに、それだけの量で足りるのかしら、と。そちらの、白い塊は聖石ですわよね? それがあるから、メイン料理だけで充分ですの?」


 彼ら魔物にとって、聖石が魔力を補う重要な物であることは理解している。だからこそ、人間と同じ料理には、あまり意味がないのかと思ったのだが。

 クラキオはちらりと自分の目の前に置かれた聖石の山に視線を投げると、その端正な顔に少しばかりの苦笑を載せた。「どちらかというと、逆かな」と言いながら。


「俺は最低、これだけの量の聖石を摂取しなければならないから、他の料理を口にする余裕がないんだ。本当はもっと多くて、朝から少しずつ減らして、この量になったんだけどね」


 「すごい量だろう?」と呟く彼は、どこかうんざりしたような表情で、聖石の山をリーリアに示した。

 今度は素直に頷き、リーリアはその聖石の山を見遣る。真っ白なそれは、その見た目と同じような味がするのだろうか。つまり。


「見た目は角砂糖のようですけれど……、味はありますの? やっぱり、甘いんですの?」


 おそるおそる訊ねかける。リーリア自身も、聖石を造り出すことは出来るけれど、口にしたことはなかったから。

 クラキオは少し困ったような顔になった後、「そうだねぇ」と、彼にしては間延びした返事をした。


「味は、あるにはある、らしい。君の言うように、角砂糖みたいに甘いって聞いたことがあるから。……けど、聖石の味は、その効力と同じように、魔力が強い者になるほど感じられなくなる」


 クラキオによると、この白い聖石は一個で、一番力の弱い赤の魔物の一食分程度の聖力となるらしい。つまり、赤の魔物は一日にこの聖石を三個程食べれば良いのだ。しかし次の位の橙になるとその倍の六個程度、黄ならば十二個程度と倍数で増えていくので。


 ツォルン公爵様のような紫の位の魔族ならば、二百個近く口にしなければならなくなるというわけね。


 その上、魔力が強くなるほどに味が感じられなくなるということは。


「つまりツォルン公爵様くらいの強さの魔族になると……」


「……無味だね」


 ぼそり、と零された言葉にひくりと頬が引きつる。聖石とは、その名の通り聖なる力を込められた石のようなものである。触れた感触も石とそう変わらないくらいには、硬いのだ。それを口にするというのに、味が何もないというのは。

 何とも言えない表情を浮かべたリーリアに、クラキオはまた苦笑を浮かべた。


「大丈夫。もう二百七十年以上も食べてるから、さすがに慣れたよ。最初は硬いんだけど、一度噛むと液体みたいになるんだ。前に聖石を食べてみたいって言った『花嫁』がいたけど、噛んでも噛んでも砕けなくて、結局吐き出してたね。魔物じゃないと噛み砕けないみたい」


 「だから君は、食べない方が良いよ」と言って、クラキオは聖石を指先で摘まみ、口に運んだ。がりっ、と耳に痛いような音が彼の方から聞こえて来て、リーリアは素直に頷いた。あんな音がするほど硬い物を、口にしようとは思えなかったから。


 ……でも、味のない物をあんなにたくさん食べるのも、大変なことね。


 「俺のことは気にしないで、食べて」と言うクラキオに促されて、自らも夕食を口にしながら、ぼんやりと思う。慣れていても、美味しくないものは美味しくないのだから。


 魔力の強さに比例して味がなくなるというならば、聖石に込めた聖力そのものを強い物にすれば、味が感じられるようになるのかしら? そんなことは出来ない? 大きくなるだけ?


 どうなんだろうと考え込むリーリアは、部屋に戻ったら色々と試してみようと心に決めたのだった。

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