11.私は、自ら動けば良いのだ。

 例えば、何かの式典があるとする。これから初めて行われる式典のため、予行練習として一度、簡易的にその式典を行うことになったとしよう。予行練習は無事終了し、全ての手順を理解して、さあ次は本番だと、そう意気込んで。

 その本番で、全ての手順が直前に変わってしまったとしたら、どうだろう。正直、訳が分からなくなると思う。もちろん、それを顔に出すことはなく、周囲の流れに沿って動くだろうが。

 今のキースリールの心境は、まさにそれである。


「……何一つ、記憶と違うのだが」


 書類を手にして眺めながらぼそりと言うキースリールに、応接用に置いていたソファに腰掛けていたリアグランが不思議そうに「え? 本当ですか?」と問いかけてくる。どうやら書類の中身についてのことだと思ったらしい。違う。そうじゃない。


「こっちの話だ。気にするな」


「……? 分かりました」


 僅かに溜息を吐いて言えば、やはり彼は不思議そうな顔をしていたけれど、すぐに気を取り直して手元に視線を戻していた。彼も彼で、また仕事を抱える身である。本来ならば部下がソファに座って仕事などおかしな話だが、キースリール自身は気にならないのでそこを使うようにと指示していた。近頃、ダズィル国内でも魔物が活発に動いているため、第五騎士団の副騎士団長も兼任している彼はいつも以上に忙しないのである。何しろ、第五騎士団と言うのは十ある王国騎士団の中でも対魔物に特化した討伐部隊なのだから。

 いつも背後に控えている彼が自らの仕事をしているので、キースリールは自分もまた書類を捲りながら、こうして物思いに耽っているのであった。すなわち。

 なぜ、記憶とこれほどまでに違うのか、である。


 リーリア様は確かに最高位聖女となられたが、『奇跡』の称号はなかった。それどころか、いつの間にかクラキオ様に目を付けられ、『花嫁』となってしまった。


 本来ならば、『奇跡の聖女』と呼ばれるほどに強すぎる聖力を持つ彼女を国の管理下に置くために、年の近いキースリールの婚約者となるはずだったというのに。


 前回、クラキオ様とリーリア様が父上の元を訪れた際も、確かに同じ空間にいることは出来たが、声すらかけられなかった。


 漆黒の長い巻き毛に褐色の肌を持つ長身のクラキオと、金色の長い髪に透き通るような肌を持つリーリアが二人並ぶ姿に、正直な話、何と美しい二人なのかと見入ってしまったが。

 「……私の婚約者になるはずだったというのに……」と、書類を捲りながら思わずぼそりと呟けば、先程と言い耳聡く聞きつけたリアグランが、「ああ、アイル嬢の話でしたか」とやっと納得したというような顔でこちらを振り返っていた。


「大丈夫ですよ。花嫁とはいえあくまで役職。同じ屋敷に住むとはいえ、客人扱いだと聞いています。それに、ツォルン公爵はお忙しいお方。仕事がら国中どころか、下手をすれば隣国まで飛び回っておられるはずですので、それほど頻繁に顔を合わせるわけではないと思いますよ」


 「そうでなくても、アイル嬢にも『花嫁』としての仕事が割り振られるわけですし」と言うリアグランに、それは確かにその通りだとキースリールもまた頷いた。

 激情の魔公の領地は何もこのダズィル王国だけではないため、クラキオは余程の式典や要件がない限り、屋敷に留まっていないのが普通。対してリーリアは屋敷の中で仕事を行うことになる。最初の内こそ不慣れな彼女を思い、公爵邸で寝起きするかもしれないが、そう長くはもたないだろう。彼が治めている領地は、それほどまでに広いのである。


 配下の魔物たちや、クラキオ様自身の能力を使って探ることは出来ても、何か問題が起きればクラキオ様自ら赴かねば収まることはない。……魔物は、絶対的な強者の前には絶対服従。反抗的な態度を取れば、一瞬で命を取られると分かっているから。


 キースリールの記憶に間違いがなければ、公爵邸には他に、藍の魔核を持つ魔族が一人いる。青の魔核であっても言葉には従うだろうが、下手をすれば数で返り討ちに合う可能性があった。単身で問題を解決しようとするならば、最低でも藍の魔核の魔族である必要がある。

 しかし、現在公爵邸にはリーリアがいる。クラキオが屋敷を留守にするならば、代わりに藍の魔核を持つ魔族が屋敷に留まることになるだろう。そうなると、クラキオが一人で飛び回る時間がより増えるということになるはずだ。

 リアグランの言う通り、リーリアがツォルン公爵邸にいるからと言って、彼ら二人が顔を合わせることは少ないのかもしれない。そう思い、少しだけほっとしていた。


「それに、気になるならば伺ってみるのも良いかもしれませんね」


「……? どこにだ」


「どこにって。ツォルン公爵のお屋敷に、ですよ。カイネス侯爵邸にアイル嬢がおられた時は、カイネス侯爵のお許しがなければお会いできませんでしたが。ツォルン公爵邸に『花嫁』として入られたのであれば、屋敷の『女主人』としての役割も担っているはず。そうなると、応対もアイル嬢が行う可能性が出てきます。……何せ、魔物には女性がいませんからね」


 続けられた言葉に、キースリールは納得しながら頷いていた。彼の言う通り、魔物という種族には、女性という物が存在しないのだ。それが一体何故なのか、魔物という種族が生まれたその起源関わっているという説が一番濃厚だというが、詳しくは分かっていない。まあ、その話は置いておくとして。


 ……今私がクラキオ様の屋敷を訪れれば、リーリア様に会えるかもしれない。


 そのことは、自分が思うよりもずっと、キースリールの胸中に光を呼び込んでいた。あの少女の元に行ける、言葉を交わせる。あの美しい、金色の少女の元へ。


「理由はほら、『花嫁』が決まったのは自分が生まれて初めてのことだから、少し話しがしてみたいとか、そんな適当なので良いのでは? 実際、私も気になりますし。『花嫁』って一体何してんですかね?」


 言葉だけではなく、本当に不思議そうに言うリアグランに、キースリールはふっと笑って見せる。「お前の場合、王弟妃殿下に聞けば良いだろうに」と冗談交じりに言えば、彼はひくりと頬を引きつらせ、「御冗談を」と乾いた笑みを零しながら応えた。


「かの方は、こう言っては何ですが、思い込みが激しすぎますから……。ちゃんと仕事を理解していたのかさえ怪しいですよ。『花嫁』に選ばれた当初から、自分こそがツォルン公爵の本当の花嫁に相応しいと言っておられたそうですし。ツォルン公爵に受け入れてもらえないと分かると、自ら寝所に忍び込んだとか何とか……。ああいや、このような場で話すことではありませんね。誰が聞いているか分からないのだから」


 苦笑交じりに呟くリアグランに同じような表情を返して、キースリールは彼の亜麻色の髪を眺めた。

 王弟妃であるニルヴィナは、彼と同じ亜麻色の長い髪に、深い青色の目を持つ淑女である。目許にある黒子が色っぽい、妖艶な雰囲気を持つ彼女は、どう見ても四十代半ばには見えないだろう。昔からとても美しく、社交界の花として有名だったという。

 そんな彼女の名が知れ渡った理由の一つが、先程リアグランが言った通り、『魔公の花嫁』の役割である。強い聖力を持っていた彼女は、クラキオからの依頼を受け、『花嫁』となったのだが。


 彼女はクラキオ様を愛してしまった。いや、らしい。……、と。


 冗談のような話だが、キースリールからすれば、あまりに身に覚えのある話だと思った。生まれる前、すなわち前世から愛している人が、キースリールにもまた存在していたから。そのため、ニルヴィナを責めるような考えは少しも浮かばなかったのだけれど。


 だからと言って、遣り方が悪すぎる。クラキオ様を想っていたというならば、彼がどのような聖女を愛したか、考えれば分かっただろうに。


 例えば、女神とさえ称えられる美しさ。例えば、愛する者や親友のために命をかけられる尊さ。そして。

 例えば、絶望の中に捕らわれながらも、決して諦めない気丈さ。

 それを持っていたからこそ、クラキオは彼女を愛し、そして。


「そういえば王弟妃殿下で思い出しました。先日に引き続き、また殿下が我が領地のカントリーハウスを訪れることになったそうです。今週末には出発するとのこと。療養のため、と仰っているようですが、何というか、私の目には、殿下の身に療養が必要のようにはとても見えないんですけどねぇ」


「……クランシウ伯爵領に療養、か」


 リアグランの言葉にキースリールはぼそりと呟く。リアグランの父、クランシウ伯爵が治めるクランシウ伯爵領と言えば、王都から南に二週間ほど下った場所にある自然豊かな土地である。これといった特徴はないが、かなり南寄りの土地のため、王都に比べて暖かいことで知られている。ニルヴィナがクランシウ伯爵の妹であるため、おかしな話でもないわけだが。


「……何もこのように、魔物の活発化が騒がれている時に、王宮を離れずとも良いだろうに」


 呆れたように言うキースリールに、リアグランもまた「本当に」と同意を示していた。

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