5.わたくしは、選択肢を見つけられないのだけど。

 自らの耳が受け取った情報を、頭が上手く処理できず、リーリアは首を傾げる。今、この人は何と言っただろう。いやまあ人ではなくて魔族だが、そういうことではなく。

 花嫁とか言わなかったか。


「? アイル嬢、どうかした?」


 困惑するリーリアに、クラキオはそう問いかけてくる。「い、いえ」と笑ってそれに応えるけれど、頭の上にはただただ疑問符がぐるぐると回っていた。


 花嫁……? 花嫁って、あの花嫁よね。


 むしろそれ以外の花嫁なんてあっただろうか、と思う自分は別に悪くないはずである。だが一体何故急に、そのような言葉が出てきたのか。どれだけ考えても、分からないばかりである。

 聖力調査式典が行われた翌々日。カイネス侯爵家のタウンハウスに、一通の招待状が届いた。送り主はクラキオ・ツォルン公爵。

 リーリアは一気に、血の気が引いた気がした。


 誤魔化せたとは流石に思っていなかったけれど……。 


 ここまで早い段階で呼び出されるとは思っていなかった。

 招待状に書かれていた日付は、リーリアの元にそれが届いた日から更に二日後の牛の月の五日。社交界シーズンの終わりにささやかな茶会を開くので、ぜひ来てほしいというものだった。

 父、トーキアロンによれば、ツォルン公爵家は公爵家でありながら特殊な立ち位置にあるため、今までに茶会や夜会などの主催をしたことなどないと言う。そもそも公爵であるクラキオ自身が、王家の主催でもない限りそういった場に顔を出さない。立場上、自主的にそうしているのだろうとトーキアロンは言っていた。

 そんなクラキオからの、茶会への招待状。書かれていた名前が自分のものだけだったこともあり、リーリアはなぜ彼が自分に招待状を送って来たのか、理解せざるを得なかった。

 そして、牛の月の五日。覚悟を決めて、一人ツォルン公爵邸を訪れたわけだが。


 ……茶会とか言っておきながら、客人はわたくしだけって……。


 その事実を知った瞬間、クラキオの目的は自分と話すことだったのだろうと悟り、観念したのだった。


「クラキオ様。口を開くことをお許し願えるでしょうか」


 不意に、リーリアの頭の上に浮かぶ疑問符を見るに見かねたのか、部屋の扉の傍に控えていた一人の侍従が、そうクラキオに声をかける。「何だい?」と、クラキオは不思議そうな表情で、僅かにそちらに顔を向けて。

 侍従は深々と頭を下げると、「おそらくリーリア様は、誤解されておられるのかと」と口を開いた。


「クラキオ様が前回『花嫁』をお選びになったのは、三十年以上も前のこと。リーリア様はまだ十六歳ですので、『魔公の花嫁』という制度を知らないのではないかと思いまして」


 すらすらと言う侍従に、クラキオは数度瞬くと、「そうなのかい?」と呟きながら真っ直ぐにこちらを見た。黄金色の瞳に、不思議そうな色が混じる。

 そういう顔をすると、少しだけ子供っぽく見えるんだな、なんて、少し思った。


「申し訳ありませんが、そちらの方の仰る通りですわ。花嫁、と言われてもよく分からなくて。良ければ教えて頂いても?」


 まさか花嫁という言葉に本当に別の意味があったなんて知っているはずもなく、リーリアは素直にそう問いかける。クラキオは「そういうことか」と言って、納得したように微笑んでいた。


「『花嫁』……、『魔公の花嫁』というのは、先代の魔公がダズィル王国と契約した際に取り決めた制度の一つだよ。簡単に言うと、魔物たちに聖石を配る際の手伝いをしてもらう聖女を、王国から魔公に貸し与えるという制度だね」


 すらすらと、クラキオは教えてくれた。

 何でも、五日に一度、ダズィル王国中の聖殿から、聖石と呼ばれる聖力を固めた石が、クラキオの元へ集められるのだという。それこそが、彼が王国と契約している条件の一つなのであり、クラキオはそれを月に一度、領地内の魔物や魔族たちに配るらしいのだが。

 聖石というのは、持ち主の聖力によって大きさがまちまちになってしまうのだという。

 聖力が強い者がどれだけ小さな聖石を作っても、聖力が弱い者の作り出した聖石より大きくなってしまい、そのまま魔物や魔族たちに配ってしまうと、平等ではないと言いだす者がいるというのだ。聖石は魔物や魔族にとっては万能薬でもあり、不公平があってはならない。

 そんな不公平をなくすために、魔公の花嫁がいるのだという。


「ある一定以上の聖力を持つ聖女は、他の聖女が作った聖石の大きさを変えることが出来るんだ。簡単に言うと、聖力調査式典で使っていたあの聖なる杯を、完全に水で満たせるくらい強い聖力を持っている聖女なんだけどね」


 それほどの強さを持つ聖女の数はそもそも少なく、いたとしてもクラキオが声をかけるまえに王族や有力貴族の子息の婚約者になってしまったりして、魔公の花嫁はこの三十年程の間、空位のままだったそうだ。

 「俺に、父ほどの威圧感がないのも問題なんだろうけどね」と、クラキオは苦笑交じりに呟いていた。


「父は結構強引に話を王家の方に持って行っていたらしいから。激情の魔公という名に相応しく、いつも怒ったような顔してたからね。だけど俺はほら、こんな顔だし。三十年前までは、何度か頑張って『魔公の花嫁』として来てもらっていたんだけど、その最後に来てもらった三十年前の子が、まあ、色々すごい子でね」


「……? すごい子、ですか」


「そう。すごい子だったんだ。毎日のように俺の寝室に押し入って来ては、本当の花嫁にして欲しいと襲いかかって来てね……。何度貞操の危機を感じたか……。おかげで、若干女性不審気味になってしまって」


 「一年で『魔公の花嫁』を降りてもらってから、ずっと空位なんだよね」と、クラキオはどこか乾いた笑い声を混ぜながら続けていて。よく分からないけれど大変だったんだろうなと、リーリアは同情交じりの笑みを浮かべた。


「その点、アイル嬢ならば大丈夫そうだと思ってね。俺がこうして傍にいても、嬉しそうな目をしないから。君も社交界デビューしたのだから、分かるだろう? こちらのことを、としか見ていない、ぎらぎらした目」


「…………」


 「あの目には、一生かかっても慣れそうにないな」と溜息交じりに言うクラキオに、リーリアもまた素直に頷いていた。

 『ダズィル王国の金の薔薇』と呼ばれるほどに派手な見た目のせいか、社交界デビューしたばかりだというのに、自分の事をそういう相手として見る視線には、嫌というほど覚えがあった。頭の先からつま先まで、まるで品定めでもしているように不躾に視線を向けられる。エスコート役の兄、カインセントがすぐに間に割って入ってくれてはいたけれど、好奇の眼差しは絶えることがなく、恐怖さえも感じるようになっていて。けれど、カイネス侯爵家の令嬢として、相応しく有らなければと思えば思うほど、そういった視線の中であっても、必死に笑っていることしか出来なかった。


 そういえば、この人はからはそんな気配が全く感じられなかったわ。


 先ほど、自分の髪に触れてそれを弄んでいた時も、どこか上辺だけの笑みを張り付けていて。滲み出る色気に辟易したのは本当だけれど、恐ろしいとは思わなかった。そうでもなければ、こうして隣に座った時点で恐怖を感じ、飛び出して行っただろうから。

 「花嫁がいない今は、どうされているのですか?」と、リーリアは問い掛ける。クラキオは困ったように笑って、「それが、大変なんだよね」と呟いた。


「聖石が届くと同時に、屋敷中の魔族や魔物たち総出で、手作業で聖石を同じ大きさに削っていくんだ。魔族も魔物も力が強いものだから、その過程で聖石を粉砕してしまうことも多くてね。……正直なところ、君のことを屋敷の者たちに話したら、是が非でも花嫁になってもらうようにと言われていてね。多分、頷いてもらえるまで、何度でも呼び出すことになると思うよ」


 「俺、地位だけは高いから」と、クラキオはにっこりと笑って見せる。あまりに艶やかな脅しの笑みに、リーリアは知らずひくりと頬の端を引きつらせた。


 ……でも、まあ、悪い話ではない、のかしら。


 つまり、魔公の花嫁という役職について、仕事をこなしさえすれば良いわけである。クラキオの話を聞いていても、本来の花嫁という役割を与えられているわけではないので、身の危険を感じることもないようだし、屋敷の人たちはむしろ歓迎してくれているようだから。それに。


 この方と話す機会が増えれば、この方が暴走するのを止めることが出来るかもしれない。


 夢の中で読んだ文章は、頭の中に焼き付いている。何よりも、周囲の人々の被害を少しでも抑えることが出来るならば、それに越したことはないのだから。


「……その申し出を受ければ、あのことは、……わたくしの聖力については、黙っていてくださいますか?」


 これだけは訊いておかねばならないと思い、リーリアはそう静かに問いかける。クラキオはことりと首を傾げながら、その唇の端を持ち上げた。「もちろん」と、答えながら。


「君の聖力について知っているのは、俺とそこにいる従者、レンディオだけだから。君がこの役割を引き受けてくれるのならば、一切他言しないと誓うよ」


 柔らかい笑み、うっそりと細められた瞳。その目の奥にはやはり、どこか冷ややかなものが隠れていたけれど。

 リーリアは一つ息を吐き、にっこりと微笑んだ。聖力調査式典で一人聖力を測っていた所を見られたことは、失敗だったと思っていたが。

 もしかしたら、考えようによっては、最も良い道を選んだのかもしれない。人々の被害を減らし、自分の心中フラグを叩き折る道を。


「それでは、これから『花嫁』として、よろしくお願いいたしますわ。ツォルン公爵様」


 リーリアは聖女然とした張りぼての笑みを浮かべてそう告げた。クラキオがそれに応えるように艶然と微笑んでリーリアの手を取り、「こちらこそ、よろしく。アイル嬢」と呟きながら、その甲に口付ける。

 どう考えても、何もしないで死ななければならないよりは、抵抗出来るだけまだ良い。上目遣いに投げられた金色の視線にやはりばくばくと心臓が鳴るのを聞きながら、リーリアは自分をそう納得させていた。

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