6.俺は、面倒な従者を持ったかもしれない。

 リーリアが去って行ったツォルン公爵邸では、リーリアが『花嫁』となってくれることが決まったことを喜ぶ声があちこちから上がっていた。耳の良いクラキオは、その気になれば屋敷中の声を拾うことが出来るため、思わず苦笑する。その必要もないくらいに上がる、嬉しそうな声。

 「全く」と、後ろでぼそりと呟く声が上がり、クラキオはちらりとそちらに視線を向けた。茶色の短髪に赤みがかった金色の瞳。長年、侍従としてクラキオの傍にいる青年、レンディオは、どこか呆れたような顔で扉の方を、しいては扉の向こうで声を上げる使用人たちに視線を向けていた。


「いくら面倒な仕事とはいえ、仕事がなくなったことに対してあのように喜ぶとは。……ああそうだ。仕事が一つ減った分、別の仕事を押し付けても良いでしょう。それぞれ何か考えておきましょうかね」


 レンディオが続けた瞬間、ぴたりと喜びの声が止んだのは、間違いなく彼の声を皆が聞いたためだろう。この屋敷の中の者は皆、人間の姿を取れる魔物、魔族ばかりだから、人間に比べて何倍も耳が良い。その上、主人の動向を常に把握しておこうとしているため、クラキオの周りにはいつも聞き耳を立てている。おそらく今のレンディオの言葉も聞こえたはずだ。

 「そう脅すんじゃない」と、クラキオは苦笑しながら座っていたソファから立ち上がる。首元のタイを緩め、しゅるしゅると音を立ててそれを取り去ってしまい、レンディオに渡した。


「むしろ俺が花嫁を選ばないがために、苦労をかけてしまったんだ。多めに見てやってくれ」


 本来ならばする必要のない仕事を、それも彼らが一番苦手とするような類の仕事をさせていたのは主人である自分である。そう思いながら言えば、レンディオは眼鏡の奥の赤みがかった金色の目を伏せ、「分かっておりますよ」と溜息交じりに呟いていた。


「そもそも私が言いたいのは、喜ぶにしろ喚くにしろ、主人であるクラキオ様や側近である私に聞こえないようにしろということです。使用人の品位のない行動は、全て主人の評価へと繋がります。クラキオ様が皆に甘いので、私がこうしてぐちぐちと言うくらいが丁度良いのですよ」


 「言ってもどうせ聞きませんけどね」と言う彼は、疲れたように遠くを見ながら渡されたタイを控えていた侍女に渡していた。

 そんな彼に、また少し苦笑を漏らし、シャツのボタンを上からいくつか外す。首元が緩くなり、ほっと息を吐いた。


「それにしても、お美しい方でしたね。リーリア様」


 ふと、思い出したようにレンディオが呟く。クラキオはびくりと肩を揺らし、おそるおそるレンディオの方を見遣った。

 いつもは冷たい雰囲気を醸し出す整った容貌は柔らかく崩れ、赤みがかった金色の瞳はきらきらと輝いていて。

 ああ、また彼の面倒な性分が出てしまった、とクラキオは頬をひくりと引きつらせていた。


「王国の金の薔薇と言われるだけあります。白い肌に透き通るような緑の瞳。絹糸のような金の髪。指先の動きから歩き方、ドレスの捌き方まで。完璧な令嬢とは、彼女のような方をいうのでしょうね……」


 夢見心地、とでも言うのか、うっとりとしたように言葉を紡ぐ彼は、どこか遠くを見つめていて。ただひたすらに今しがた目にしたばかりの少女の美しさを褒めたたえる。

 別に、おかしなことでもない。彼女が美しいのは間違いない。社交界でも注目の的であるし、クラキオもそう思っている。思っているのだけれど。

 彼の場合、それが少し過剰すぎるのである。


「……アイル嬢の場合、美しい者好きもある程度にしておかないと、カイネス侯爵に殺されてしまうよ。少なくとも、ずっと見ていたいからって付き纏うのは絶対にやめておいた方が良い」


 淡々と、クラキオはそう忠告する。レンディオは先ほどまでのうっとりとした表情はどこへやら、いらぬことを聞いたとばかりに顔を顰めると、「もちろん、分かっておりますよ」といつも通りの静かな声音で応えていた。

 どうだか、と思ったけれど、さすがにそれは口にしないでおいた。


「花嫁になって頂けると承諾を得た以上、付き纏う必要もない位置においでになるのですから、無意味に危険な橋を渡る気は有りません。元々、クラキオ様だけでも十分な目の保養ですし。……ですが、お二人が並んだ姿はさぞお美しいでしょうねぇ……」


「…………」


 再びうっとりとした表情になるレンディオに呆れつつ、まあ良いかとクラキオは放っておくことにした。

 部屋を出て、書斎の方へと歩いて行く。魔物の公爵という特殊な立場とはいえ、仕事がないわけではないのだから。ダズィル王国以外の国の魔族や魔物たちについては、クラキオはそれほどきちんとした規制をしていなかった。王国内の魔物に関しては、契約上しっかりとした規制をし、人間たちと衝突することのないようにするのがクラキオの最も大きな仕事と言っても良い。だが、国境を越えてしまえば関係のない話。無差別に人間を襲うことはある程度止めているが、あくまである程度である。

 加えて、魔物としても確実に供給のあるダズィル王国の方が住みやすいため、クラキオの領地に住む者のほとんどは今、このダズィル王国で暮らしていた。人間の姿を取れる魔族など、人間に交じって生きている者もいるくらいである。彼らは魔族でありながら、きちんと人間の規則に従って生きていた。そういった者たちの動向を把握しておくのもまた、クラキオの仕事なのである。


「失礼します、クラキオ様。本日分の聖石をお持ちしました」


 執務机の上に置かれていた書類を読み込んでいたクラキオは、かけられた声に顔を上げる。差し出されたのは、小ぶりの皿に山のように積まれた透明の聖石の山。

 知らず、溜息を吐いた。


「置いておいて」


 言って、クラキオはまた書類に目を向けた。

 聖石は、魔物の怪我や病を治すことの出来る万能の薬であると共に、魔物の生命線のような物である。魔物は、自らの魔力を自らの力で補給することが、あまり得意ではない生き物だった。魔力を使えば使うだけ魔力は減り、力の弱い魔物が魔力を全て失えば、命はない。魔物は人間の十倍近く長い年月を生きるが、そのほとんどの死因はこの魔力不足である。身体を休めれば、とてもゆっくりではあるが魔力は少しずつ戻る。だが弱った魔物は他の魔物たちの格好の餌になってしまうのだ。魔物同士の共食いでもまた、魔力を補うことができてしまうから。まあそれも、体内に残っている僅かな魔力を取り込むことが出来るだけの話ではあるのだが。

 この魔力を純粋に補うことが出来るのが、聖女たちが生み出す聖力を固めた物、聖石である。聖女は魔物とは違い、身体を休めることで完全に聖力を回復することが出来るから。

 だが、この聖石の摂取にも色々とまた問題があるのも事実であった。それが、今クラキオの傍らに置かれている聖石の量である。

 と言っても、こればかりはどうしようもないわけだが。


「そういえばクラキオ様。リーリア様に何かを訊ねたいと仰っていたのは、良かったのですか? 結局何もお訊ねにならなかったみたいですけど」


 ふと、思い出したように控えていたレンディオが問いかけて来るのに、クラキオはちらりと視線を向ける。

 訊ねてみたいことは、確かにあった。けれど。


『わたくしの聖力については、黙っていてくださいますか?』


「……あそこまで頑なに聖力のことを隠そうとしているんだから。何で聖力が強いことを隠したいのか、なんて聞いても教えてくれないだろうと思ってね」


 ただそのためだけに、たった一人でこの屋敷にやって来たのだ。まだ社交界に出て一年目の少女が、魔公という特殊な立場の自分の屋敷に。それ以上の話など、出来るわけもないと分かっていた。

 「それに」と、クラキオは書類を捲りながら呟く。その端正な口元は、ささやかに弧を描いていた。


「……これからは、だからね。そんなに慌てる必要もないだろう?」


 言えば、レンディオは「それもなんですが」と、少し困ったようにぼそりと呟いた。


「クラキオ様、リーリア様にお伝えしてませんでしたよね。わざとですか?」


「……さあ、どうかな」


 疑いの眼差しを向けてくるレンディオに、クラキオはまたにっこりと笑って返す。レンディオは呆れたように息を吐き、「確かに、お伝えしていたら、受けて下さらなかったかもしれませんからね」と続けた。


「花嫁となったら、……彼女が二十歳になるまでの五年の間、、なんて」


 「さすがです」と言うレンディオの顔は、尊敬と言うよりは呆れの表情を映していたけれど。クラキオは気にせずに微笑み、傍らの聖石を一つ、口に運んだ。

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