2.わたくしは、本の通りにはならないようにしなくては。

 リーリアが目覚めた時、ベッドの傍には、顔をくしゃくしゃにした母と弟、そして王宮へと出仕しているはずの父と、学園で寮生活をしているはずの兄がいて。それぞれがリーリアの目覚めを喜んでいた。随分と心配をかけてしまったらしい。

 自分がどのくらい眠っていたかを聞けば、なんとたったの三日間だったという。たったの、というのもおかしな話だが。


 三十日間以上、夢の中で過ごしていたものだから。とても不思議な感覚ね……。


 夢の中で見た、大きな紙に日付が書かれた表。それによると、夢の中のひと月は三十日もあるらしい。加えて、一年は十二カ月の様だった。ひと月が二十五日で、十四カ月あるのが普通のリーリアにとって、日付の感覚が違うというのはなんともおかしなものだった。

 加えて、夢の中ではすでにその三十日間あるひと月を過ごしていたというのに、こちらではたったの三日しか経っていなかったのだから、奇妙な感覚になるのは無理もないと思う。


 それにしても、やっぱりあれは、普通の夢とは違う気がするわ。


 いつもの夢は、大抵、目覚めた時におぼろげになるのだけれど。今回見たあの夢は、その本の中身までも詳細に覚えていて。そのことにより一層、気味の悪さを覚えるのだった。


 それに、気付いたら目覚めていたけれど、もう少し夢の中にいた方が良かったのかもしれないわね。


 目覚める直前に知ってしまったものだから、気付けばそんなことを考えてしまっていた。

 それは、いつも夢の中のリーリアが扱っていた、あの輝く薄い四角の物に映し出された、とある文字。書かれていたのは、リーリアやキースリール、クラキオなどの名が刻まれたあの本、『紫王子の優しい眼差し』の、続巻の発売日についての情報だった。日付の表と見比べた所、どうやらあと数日で発売され、夢の中のリーリアはそれを楽しみにしていたがゆえに、既刊であるあの本を読み返していたようだった。

 まあもっとも、あの本の中ですでにリーリアはクラキオと心中していたわけで。続巻を購入して読んだところで、自分の名前が出てくることはないだろうから、気にする必要はないと言えば、そうなのだが。


 後悔しても、どうしようもないもの。それに、またあの夢を見ることもあるかもしれないから。


 今はこれからどう立ち回るべきかを考えなければならないと思い、続巻については深く考えないことにした。

 昨日の第一王子であるキースリールの訪問は、一応は何事もなく終了したという。リーリアも同席するように言われていたのだが、眠っている状態のリーリアが同席できるはずもなく。キースリールには、体調を崩していると伝えたらしかった。母、ササラによると、キースリールはリーリアに会えずに大層がっかりしていたらしい。今回の訪問自体が、どうやらリーリアに関係するものだったらしく、リーリアの状態を聞いて寮から戻っており、偶然その場に居合わせた兄、カインセントによると、結局大した話もせずに王宮に戻ったということだった。

 次に会う時には、必ず話すことになるから、と言って。


 必ず、話すことになるから……? 次に殿下にお会いするのはいつかしら。


 社交シーズンもあと少しで終わりを迎える。リーリアもまた他の貴族たちと同じように、領地にあるカントリーハウスへと居を移すので、多忙な第一王子に会う機会などない気がするのだが。

 と、そこまで考えて、はっとした。肝心なことを、忘れているではないか。


「お父様。次に殿下にお会いするのは、来月の牛の月の一日にある、……聖力調査式典かしら」


 ベッドの傍らに腰掛けて、リーリアの様子を見ていた父、トーキアロンにそう訊ねれば、彼はその鋭い目の眦を下げながら、「ああ、そうだ」と言って頷いた。やはり、リーリアの思った通りらしい。

 聖力調査式典。それは、一年のおよそ半分、八番目の月、牛の月の一日に行われる、その名の通り聖力が宿っているか、その聖力がどれほどの強さなのかを調査するための式典である。

 人間の女性にのみ、稀に潜在的に宿る聖なる力を聖力と呼び、聖力を宿した女性を聖女と呼んだ。魔族や魔物の持つ力、魔力と対を為す力であり、武器に宿せば魔族や魔物を切ることが出来、聖女が祈れば魔族や魔物を封じたり、攻撃を弾く結界を張ることなど、様々なことが出来る力である。

 聖力調査は、国中の十六歳の少女たちが受けることになっていた。一般庶民の少女たちは一月ほど前に簡易的な調査を受け、聖力を宿しているか宿していないかをまず調べられる。聖力を宿しており、聖女と認められた少女だけが、ダズィル王国の王都であるここ、ルイニーズを訪れ、牛の月の一日に開かれる聖力調査式典に出席することが義務付けられるのだった。

 そんな彼女たちに加えて、王都にタウンハウスを構える貴族の令嬢たちもまた、式典に出席する。聖力は親から子に受け継がれる場合が多く、貴族の女性は、多かれ少なかれ、聖力を宿しているのが普通であった。

 それというのも、聖力の強さが女性の価値を高めるという、王国の風潮が理由だろう。式典で、際立って強い聖力を宿す聖女は、貴族の家に養女として迎えられる場合が多く、それを繰り返してきたために、貴族の令嬢には聖力が宿す者がほとんどなのだ。そしてそのような事情から、式典は最終的に王都で行われ、自分の家に令嬢がいてもいなくても、社交シーズンの締めくくりも兼ねて、貴族たちがこぞって出席するのである。


 夢の中の本が正しければ、わたくしはその調査式典で、今だかつてない程の聖力を有していることが知れ渡ることになるはず。


 毎年、最も聖力の強い聖女に与えられる、最高位聖女の称号。その歴代の最高位聖女たちを遥かに凌ぐ聖力の強さから、リーリアの『王国の金の薔薇』という呼び名が、『奇跡の聖女』という呼び名へと変わるのだとか。まあ、それは別に良いのだけれど。

 リーリアは夢の中でも考えていたのだ。もし、聖力の強さが女性の価値の一つであるという風潮により、奇跡とまで呼ばれるようになったリーリアの存在を王家が無視できなくなったとしたら。

 やはりあの本の通り、自分はキースリールの婚約者となるのではないか、と。


 キースリール殿下の婚約者になるのだとしたら、それはとても栄誉なことだけれど。……問題は、奇跡とまで言われる聖力を有しているということが皆に知られる、ということだわ。


 あまりに強い聖力を宿していたために、最後には敵対してしまったクラキオを鎮めるため、共に心中するしかなくなるのだから。


「さあ、キアンもカインもランティも、行きましょう。いくら起きたばかりとはいえ、リアを休ませてあげないと。わたくしたちがいると、リアも疲れてしまうわ」


 ふと、考え込んでいたリーリアを気遣うように、ササラがそう声をかけた。「今はゆっくり休んで、後でまた様子を見に来るわね」と母は微笑み、リーリアの頭を撫でて。そのくすぐったさに頬を緩めながら、「ありがとう、お母様」とリーリアは頷いた。

 ササラの言葉に頷きながら、トーキアロンにカインセント、弟のヒーラントも、座っていた椅子から立ち上がり、部屋を出て行く。扉を閉める直前に、ヒーラントが心配そうな顔で、「次は、ちゃんと起きてよ。リアお姉様」と声をかけてくるものだから、その可愛らしさにまた笑みを浮かべて、「もちろんよ、ランティ」と応えた。

 皆がいなくなった部屋の中は、途端に静まり返る。入れ替わるように入って来た侍女たちもやはり、心配そうに眉を下げながら、何か必要な物はないかと口々に訊ねてくれたけれど、今は大丈夫だから、後で飲み物をお願いすると微笑みかければ、ほっとしたように頷いて部屋を出て行った。彼女たちにも心配をかけてしまったらしい。きっかけはただ足を捻って転んだだけだというのに、申し訳ないことをしてしまったと、リーリアは自分に苦笑した。


 さて、問題は、あの夢の本の内容だわ……。


 考え、リーリアはベッドから起き出すと、机についてペンと紙を用意する。今は覚えていると言っても、人の記憶は曖昧な物。徐々に忘れて行くのが目に見えていた。

 リーリアはまず、紙の一番上に本の題名を書こうとして、手を止めた。万が一、誰かがこの紙を見てしまった時、不審に思われてしまうだろうと、そう思って。

 あ、と思った。


 夢の中で読んでいた、あの文字を書けば……。


 侯爵家の令嬢として、リーリアは幼い頃から様々な学問を叩きこまれていた。近隣諸国の語学もまた、その一つ。けれどそんなリーリアであっても、あのような文字を見たことはなかったから。おそらく読める者はいないだろうと、そう思ったのだ。

 リーリアはすらすらと、夢の中で読んだ文字を書き始める。一度も書いたことなどないはずの文字だというのに、書き慣れていると感じるのが不思議だった。


 物語は、主人公であるルルを中心に書かれていたから、わたくしのことはおおまかにしか分からないけれど。


 思いつつ、主だった出来事を書き始めた。

 始まりは騎士と聖女のための国立学園、ダズィル王国立学園に入るために、ルルがクワイト伯爵邸で慣れない準備をしている所から始まる。ごく普通の家庭で育ったルルは、聖力調査式典でリーリアに次いで二番目の聖力を有していることが分かり、クワイト伯爵家の養女となることが決まる。入学式が一ヶ月後に迫ったある日、王宮からの呼び出しでとある夜会に招かれ、そこで王家に捕らわれていたクラキオに選ばれ、彼の主人となるのだ。


 魔族や魔物は、その身体に魔核と呼ばれる物を持っていて、それを壊されれば命を失う、と聞いたことがあるけれど。


 だからこそ、魔核を奪われれば、魔族や魔物はその持ち主に従うしかなくなる。これを従属と呼ぶ。


 そもそも、クラキオ……、つまりツォルン公爵様を王家が捕らえたというのがすごいわ。だって公爵様は魔公だもの。


 この世界にたった七人しかいない、割り振られた領地の魔族や魔物を統べる魔族の公爵の一人。激情の魔公。それがクラキオである。そんな彼を、一王国でしかないダズィル王国の王家が捕らえることが出来るものだろうかと、本を読んでいた時からずっと思っていた。ダズィル王国の聖女の数が半数に減った、とだけ記述してあったが。


 確かツォルン公爵様が、他の魔族か魔物との戦いの末に傷つき、魔力が枯渇したために暴走したから捕らえたと書いてあったけれど……。


 そもそも魔公であるクラキオを相手に、魔力が枯渇するほどまでの戦いを繰り広げられる者がいるというのも信じられなかった。おそらくは、かなりの数の魔族や魔物を相手にしたのだろうけれど。

 それに、魔力が枯渇したために暴走した、というのもよく分からない。魔族や魔物は、魔力が枯渇すれば魔力が回復するまでひっそりと姿を消し、休むものだと学んだのだが。

 分からないことばかりのために、その都度考え込みながら、リーリアはすらすらと文字を書き連ねていった。

 クラキオの主人となったルルは、クラキオを下僕として学園に入る。そこで聖力や魔族、魔物について学びながら、クラキオの主人となった彼女を気にかける三つ上の学年に所属していた第一王子、キースリールや、貴族の生活に慣れないルルを気にかける、キースリールの婚約者、リーリアと仲良くなっていくのだ。


 そんな時、ダズィル王国の南方で、魔族や魔物の活発化が問題になったのだったはず。


 クラキオが人間に従属させられたためかと、クラキオの主人であるルル、責任者であるキースリール、そして奇跡の聖女とされたリーリアは、護衛の騎士たちと共に、魔族や魔物たちを鎮めるために南方へと向かうのだ。


 けれど実際はツォルン公爵とは別の、南方を統べる魔公、羨望の魔公の仕業で……。最後には彼を倒すために、王国中の聖女たちが駆り出された……。


 従属していたクラキオの働きもあり、羨望の魔公を倒すことは出来た。けれど、皆、力を出し尽くしてしまっていて。一瞬の隙をついて、クラキオはルルの持っていた彼の魔核を奪い取るのである。そして。


 今度はツォルン公爵様が……。


 逃げ惑うしかなくなった人々に、クラキオと彼の配下の魔族や魔物たちが襲いかかり、ダズィル王国はその存続さえも危うくなって。

 そんな時に、リーリアが自ら提案したのだ。自らの命と引き換えに、クラキオを封じることを。


 伏線、というのかしら。学園の授業で学んでいたものね。聖力がなくなった時に魔族や魔物を封じる方法。……聖力を生み出す命を捧げ、共に眠りに就く方法。


 奇跡と呼ばれるほどの聖力を有していたリーリアも、その時は聖力を出し尽くしていた。だからこそ、聖力を生み出す命を差し出すことで、クラキオを封じるしかないと、そう提案したのだ。

 自らクラキオを封じると、そう名乗り出たのだ。

 その時にはもう、ルルとキースリールは互いを想い合っていた。それもまた、リーリアが心中を決意した一因だったのだろう。

 結果として、リーリアはクラキオと共に眠りに就き、ルルとキースリールは新たに婚約者となるのだ。物語の終わりに、彼らは二人揃って、リーリアとクラキオの眠る廟に参り、ダズィル王国の繁栄を誓うのである。


「書き出してみたのは良いのだけれど、何をどうすれば良いのか、さっぱり分からないわね……」


 この話が現実になるかどうかはまだ分からない。だが、知らないふりをしておくわけにもいかないわけで。どう手を打てば良いのかを考えてはいるのだけれど、そもそもリーリアが介入できる問題が少なすぎるのである。


 絶対に止めなければならないのは、お話の最後、ツォルン公爵様がルルから魔核を奪い返して、王国を滅ぼそうとすること。……いいえ、それよりも、ツォルン公爵様が捕らえられるきっかけになる、魔力の枯渇による暴走というのを止められれば良いのだけれど。


 双方とも、人々に多大なる被害が出ている場面である。それを知っていながら、無視することなど出来るはずもなかった。

 それに、クラキオを捕らえるきっかけとなる、彼の暴走を止められれば、その後の話もまた大きく変わってくると思う。クラキオは魔公の中でも、自らの領地の魔族や魔物たちを常に統率している理想的な統治者である。その暴走さえなければ、王宮に捕らえられることもなく、最後に王国を滅ぼそうとすることもないはずなのだ。

 けれど、物語の最後は分かるが、捕らえられるきっかけについてはその内容さえも詳しく語られていなかった。手を打とうにも、何も出来ることなどないと言われている気さえしていて、リーリアは深く息を吐いた。


 ……待って。そういえば、ツォルン公爵様の主人を選ぶ夜会に、わたくしは招かれていなかったのではなかったかしら。


 第一王子の婚約者を魔公の主人にするわけにもいかないため、当然といえば当然だろうけれど。そして、だからこそ、リーリアの次に聖力の強かったルルが、クラキオの主人として選ばれたわけで。

 ではもし、リーリアが第一王子の婚約者ではなかったら、どうだろう。ルルよりも強い聖力を有していて、けれど奇跡と呼ばれるほどの大仰な強さでなかったならば。

 キースリールの婚約者になることはなく、クラキオの主人となる可能性があるのではないか。


「……もしそれが出来れば、わたくしがツォルン公爵様に話を聞いて、彼が王国を滅ぼそうと思うよりも前に、説得できる機会が出来るかもしれないわ……」


 そうすれば少なくとも、物語の最後に起こる事態は避けることが出来るかもしれない。ダズィル王国の人々が傷つくことも、自分が心中することもなく。

 それにキースリールが、次に会う時には、必ず話すことになるから、と言っていたのだ。クラキオが捕らえられるきっかけについても、その際にキースリールと話し、備えることが出来るかもしれない。

 その時のリーリアには、それこそが自分に出来る、最善の策だと思えたのだった。

 そしてそれから数日後に行われた聖力調査式典。結果としてその策は、半分が成功、そして半分が失敗して。ある意味では最も良い状況に落ち着こうとしていたのだった。

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