4.無数の瞳のその意味を
ステージを眺めていたはずの観客たちの視線が、今は全てこちらへと向いていた。
――いや、正しくは観客の数だけいる「夏菜子たち」の全員が、私の方を見ていた。いつもの、小春日和みたいな笑顔を貼り付けながら。
ゾクッと、背筋が凍りつく。
今まで夏菜子がたくさん見えたことなんて、一度もなかった。いつも、人ごみの中にぽつんと浮かぶように、一人だけ立っていたのに……今はそれが数十、いや百人近くいる。
私の頭の中は、もうパニックそのものだ。意味が分からない。訳が分からない。どうすればいいのか、分からない。
(――そうだ。とりあえず逃げなくちゃ!)
なんとかそう考えるだけの正気を取り戻して、私は会場を離れるべく非常口の方へと駆け出して――すぐに足を止めた。
(……待った。待つんだ私)
「夏菜子」の姿が、あんなにたくさん見えたことは今まで無かった。だったらもしかして、あれは「今までにない災難が起こる前兆」なんじゃないだろうか……? 何の根拠もないけど、何となくそんな予感だけが漠然と私の中に湧いてしまった。
このまま逃げれば、私は災難から逃れられるかも知れない。けれども、会場にいる人達は? 今、夏菜子に見えている観客の人達は?
今までだって、私が難を逃れても、私以外の人が事故や災害に巻き込まれてしまったことが、何度もあった。本当はそういう人達のことも助けたかったけれども、私自身、何が起こるのか分からない中では、無理な話だった。
例えば私が、「なんか、この辺りは危険らしいんで逃げましょう!」だなんて言い出したとしても、一体誰が信じてくれるだろうか? せいぜい「なんだこの危ない女は?」と思われるのが関の山だったことだろう。
(――だったら、今回も出来ることは何もない?)
自問自答して――周囲を見回して、私はその問いかけに「ノー」を突きつけ、再び駆け出した。非常口……ではなく、その近くにある、壁に埋め込まれた屋内消火栓へと。
屋内消火栓には、大概の場合「非常ボタン」が付いている。それは消火栓用ポンプのスイッチであると同時に、警報ベルのスイッチでもあって……。
屋内消火栓の前に辿り着いた私は、考える間もなく、ボタン覆っている透明プラスチックのカバーごとそれを押し込んだ――。
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