「天気の子」に関する感想と考察 ~思春期の心理に焦点を当てて~

阿賀沢 隼尾

「天気の子」に関す感想と考察 ~思春期の心理に焦点を当てて~

 さて、これから新海誠監督の最新作『天気の子』についての感想と主観的な考察を述べて行こうと思う。その際に注意して欲しい点をいくつか述べる。


 一つ目は、これは私の勝手な考えであって、あくまで個人の勝手な主観的な考えということを肝に銘じてほしいのである。だから、むやみやたらな批判や非難は一切受け付けない。

 二つ目は、本作はかなりネタバレを含み、「天気の子」を観に行った方用に書くので、まだ「天気子」を観ていなくてネタバレは見たくないという方がいれば、本文を読むことはあまり推奨出来ない。

 この二点だけはよくよく肝に銘じてほしいと思う。


 それでは、考察と感想に入ろうと思う。まず初めに一言言っておきたいことがある。

 取り敢えず、ヒロインの陽菜ちゃん可愛いいいいいいいいいい!!!! 

 これは萌える。

 三つ編みツインテ―ルも最高だと思った。


 流石、新海誠監督である。

 それ以外の主要キャラも立っているし、君の名はとはまた異なる魅力が盛りだくさんだった(似ている部分はかなりあったが……)。

 本作のストーリー展開は以下の様になっている。


 起:主人公の帆高が東京の街に迷い込む。須賀という大人に会う。→ヒロインと会う(伏線)。

 承:陽菜との関係が深くなる場面。晴れ女の仕事→陽菜は自分の生きがいややりがいを見つける。

 転1:児相と警察に追われ、三人で逃げる(次の転へのステップ)。

 転2:ヒロインが消え、世界の危機が訪れる。帆高は彼女を助けに行く。

 結:ヒロインを助ける、日常を取り戻す。


 という感じのストーリー展開となっている(かなり大雑把だが)。

 時系列を追って考察を進めて行こう。

 主人公は15歳の少年である。家出をしているが、詳細は語られていない。彼は、須賀という怪しい大人に拾われてライター(?)の仕事をすることになる。須賀は本作では主人公の「父親」的存在であり、社会の代弁者とも言うべき存在だ。


 次に、彼は本作のヒロイン陽菜と出会う。

 彼女は弟と二人で、貧乏な家庭環境の中で過ごしている。

 本作では主人公とヒロインの親は存在しない。

 これは他多くのライトノベル作品にも見られる傾向である。

 これをホフマンらの『安心感の輪』理論に沿って考えてみると、子供は成長するときに探索(冒険)をする。


 が、それは危険を伴う。

 誰かにその気持ちを受け止めてくれること。

 誰かとその気持ちを分かち合うことで、安心して子供たちは親の元に帰ることが出来る。


 この安心感の輪は成長するにつれて変化していく。

 親から友達。友達や部活仲間。友達や部活仲間から職場仲間へと、社会的に精神的に成長するにつれて外へ外へと親から離れた社会的枠組みに自分の「安心感」を求めていく。


 だが、子供が一番安心できるのは親の所だ(ケースバイケースではあるが、一般的に)。

 が、本作品では彼に親はいない。

 知っている友達もいない。

そこで彼が安心感を求めたのは陽菜兄弟と須賀の場所である。


「承」の方へ話を展開していこう。

 主人公の帆高は二つの家族の形の間に挟まれて話が展開していく。

 一つは子供の世界(陽菜兄弟)。二つ目は大人の世界(須賀の所)。


 15歳という思春期の大人と子供の間にある帆高はこの「大人」の家族と「子供」の家族の間で東京都内を生活することになる。

 そこで、ヒロインである陽菜と帆高は「晴れ女」の仕事を始めることになる。

 陽菜はこの仕事に生きがい、やりがいを感じているように見えた。

 その証拠に彼女は以下の様なセリフを述べている。


「私ね、自分の役割みたいなものが、やっと分かった――」


 自分の力が誰かの役に立つということが嬉しかったのだろう。


 この陽菜の「晴れの力」に関して少し考えてみようと思う。

 彼女の力は、彼女が「天気神社」を潜ることによって覚醒することになる。


 この力は巫女の「雨乞い」の能力とは反対になる。

 「雨乞い」は天ヶ降らない地域に米や稲の豊作を祈る時にされる儀式だ

 作品の中でも語られているが、巫女の役割というのは「人々の願いを叶える」という所にある。


 作中でもかなり強調されているが、曇りは人々の気持ちを落ち込ませてしまう。

 「晴れ」というのは人の気持ちを明るくさせる。

 気持ちよくさせる。


 その「人々の願い」というのも本作品のネックとなっているだろうと思う。


 続けて、「転」の方に話を続けていきたいと思う。

 「転」では陽菜兄弟が児相と警察に追われ、主人公の帆高は須賀の事務所から「このままでは俺の生活の邪魔になる。そろそろ自分の家に帰れ」といったニュアンスの事を言われて、退職金だけを渡されて事務所から追い出される。その後、帆高と陽菜兄弟は行動を共にすることになる。

 帆高と陽菜兄弟は大人の「規律」に追い出されることになるのだ。


 つまり、「大人の世界」に追い出されることになる

 藤森旭人(2016)の「小説・漫画・映画・音楽から学ぶ 児童・青年期のこころの理解」では、「親に失望し、幻滅した子どもたちは自分たちの世界を構築しなければなりません。多くの場合、「一時的な共通ラベルで識別できる思春期グループ」が形成されます。――――このコミュニティの特性として『自ら苛まれているはずの極度の混乱状態を理想化し、興奮と共に開き直っている』ことが挙げられます。そして、共通目標は『大人が牛耳る権力構造を乗っ取ること』」と述べている(この共通目標は1900年代の学生運動や赤軍、暴走族等の心理に繋がってくるのであろう)。


 この「大人の世界」に失望した彼らは「大人の規律から自由になる」という共通ラベルによって一つの一体感を得ているのだと考えられる。

 これは、三人が「大人」になることを拒否しているとも捉えて良いのかもしれない。


 作中では、須賀は帆高に「大人になれよ少年」と言う。

 これは自分の過去と照らし合わせているのだろうと推測される。

 須賀は妻を亡くし(作中では語られない)ている。


 彼は指輪をはめており、帆高が補導され、警察が来た際、安井刑事が「大丈夫ですか。あなた、泣いていますよ」と述べているシーンがある。

 他にも、須賀が家出をして東京に出たことや夏美(大学生のお姉さん)が「二人って似てると思わない?」と述べているシーンがある。


 他にも須賀が帆高と同じ運命を辿ってきたのではと思わせるシーンがあるが、ここでは省略しよう。

 本作品での須賀の役割というのは、パンフレットで新海誠監督が述べているように「須賀はむしろ常識人で、世間や観客の代弁者でもあって、社会常識に則って帆高を止めようとする――――帆高と対立するんだとしたら、それは社会の常識や最大幸福なのではないか」と、世間や「大人」の常識である。


 つまり、思春期の子供たちと敵対する役割をもつのである。

 自分の失敗や経験を剣にして子どもたちにそれを押し付けようとする――――大人や社会の代弁者――――それが須賀というキャラの役割なのだろう。

 よって、須賀のセリフに「その方がみんなにとって幸せだろ」、「家に帰れよ。な。それが全員幸せになる方法だろ」というのがあるのも納得できる。


 帆高たちはホテルで泊まることを決める(ここのシーン本当にすこ♪)。

 この時、帆高は陽菜の「こんな雨が止んでくれると良いって思う?」との問いに、帆高は「うん」と軽いノリで答えてしまう。

 次の日、陽菜は消え、帆高は警察へ凪は児童相談所に連れて行かれてしまう。


 ここからの展開が最高だ。帆高は陽菜を助けに行く。

 その際、「天気神社」がある場所で彼は須賀に会う(この時、須賀が彼の行き先を知っていたのも、前述したように彼の妻が「晴れ女」で消えてしまったという過去があるからだと考えられる)。


 そこへ警察が来て帆高は捕まりそうになる。

 その時彼は、「俺はただ、もう一度あの人に――――」、「――――会いたいんだっ!」と叫ぶ。

 須賀はこの時彼と自分との過去を重ね合わせたのだろう。


 本当は妻と会いたい。

 自分の妻と会いたい。

 自分がした、行った後悔の日々を。

 そして、自分と同じ過ちを犯して欲しくなくて――――自分の押し込んでいた思いを、気持ちを帆高に託した。だから、彼は帆高を彼女の元に行かせたのだろうと考えられる。


 これは、我々の社会も同じことが言えないだろうか。

 法律が、規律がと言って自分たちの本音を隠して子供たちと正面切って話そうとしない。

 子供の戯言と、生意気だ、子供だと下に見て適当に受け流して自分の意見を押し付けていないだろうか。


 正面から話をすることが彼らの「アイデンティティ確立」の為に役に立つのではないだろうか。

「規律」や「常識」の障害を壊してこそ、大人と子供の間にある思春期、又は青年期の子どもたちと本当の意味で向き合うことが出来るのではないだろうか。

 そうすることが子供が本当の意味で「自立」すること――――自分の足で自分の人生を選ぶことが」出来るのではないかと私は思う。


「天気の子」のパンフレットの新海誠監督は「やりたかったのは、少年が自分自身で狂った世界を選び取る話」と述べている。


 本作品は思春期の人々の心と、それを取り巻く「常識」な大人のセカイを凝縮した物語であると私は思う。

 が、ここで述べた考えは私の主観であるし、考察に必要なシーンしか述べていない。

 また、他にもさまざまな視点で本作品を考えることが出来る。


 他にも別の切り込み口から考えた「天気の子」に関する考察を別の機会に述べようと思う。

 本文で「天気の子」をより良く楽しくするための力に少しでもなれたら私は心から嬉しい。


【参考文献】

 新海誠 (2019). 天気の子. 角川文庫.

 藤森旭人 (2016). 小説・漫画・映画・音楽から学ぶ 児童・青年期のこころの理解 ——精神力動的な視点から——

 天気の子パンフレット

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