『63』



 魔王少女レオンのマントが風に靡く。




 顔を左に向けたまま、右の眼球は黒フードの男を睨んでいる。見開いた瞳は大きく揺らぎ、今にも溜まったものが溢れ落ちそうだ。


『オイコラ、ロリマオー! シッカリシヤガレ!』


 レオンは動かない。否、動けずにいる。両手を握りしめながら息を荒げ、一歩、後ずさった。


 恐怖——


 当たらない。何故か攻撃が擦りもしない。


 頼みの綱のミサイル攻撃ですら、地面を抉っただけで、ただの一発も男には当たっていないのだ。それどころか、クマデビルにはしっかり当たった。


(だめ……負けないもん……負けないもんっ!)


 レオンは『大きく息を吸い込んだ!』


 そして目の前で絶叫ボイスを発動、その瞬間、強烈な衝撃波が発生し男の後方に建つ石造りの家屋を粉砕した。当たれば怪我では済まない本気の攻撃を仕掛けてしまったレオンは罪悪感に苛まれ、更に一歩、また一歩と後退あとずさった。


 しかし、後退した先に男は居た。


「……え?」


 乾いた音——


 少女の悲痛な声、


 乾いた、音、音、


 地を滑る靴の音、少女の短い悲鳴、


 レオンの頬は真っ赤に腫れて、髪は乱れ、ランドセルは肩からずれ落ちそうになった。


 涙が出る、しかしレオンは諦めなかった。


「クマ……デビウ、おね、がいぃっ!!」


 決死の思いで絞り出した声は、あの元気が取り柄の少女の声とは思えない程に弱々しい。


『クソガ!! オマエハソコデミテヤガレ! 俺様ガ分身シテ仕留メテヤルカラヨ!!』


 数百の群体と化したクマデビルが黒フードの男に一斉攻撃を仕掛ける。男はヒラリと跳躍し距離を取ると一体の攻撃も浴びる事なく本体のクマデビルを叩き落とした。しつこい虫を払うかのように。


『イデッ……クハァッ!』


「クマデビルゥッ!?」


『クソッ……ロリマオー……一旦ヒケ……』


(いやだよ……クマデビルを置いて逃げたくない)


 男は地面に這いつくばるクマデビルをレオンの足元まで蹴り返し口元を緩めた。


「もう、おしまいかい? 可愛い魔王様?」


「……っ!?」


「なら、次は……こちらの番かな?」


 瞬間、レオンの懐に侵入した男は驚く少女の額を指で打つ。パチン! と弾かれた事でレオンは尻餅をついた。次の瞬間、男の履いていた革靴が小さな身体に接触、


 転がる。


 数メートル先まで無残に転がりながらうつ伏せで倒れたレオンが何かを思うより先に、追撃、


 脚を掴まれ、城門付近まで勢いよく投げ飛ばされる。再び無様に転がり最後には壁に頭を打ち付けてしまう。もう片方のリボンも解け、髪が肩にかかる。頭を強打した事で意識が朦朧とする。


 それを見たサイは自らに群がる勇者達を強烈な一撃で薙ぎ払うとレオンの前に立った。


 黒フードの男は遠くからそれを見ているが、近寄っては来ないようだ。

 それはこの男の言葉の所為か。


「アンタは引っ込んでやがれ! コイツらはオレが全員殺してやるんだ!」


 スフレと交戦中の赤い勇者だ。


「……他の勇者達は皆、やられてしまったが。君ならこのモノ共を殺せる、と?」


「当たり前だ……その為にっ、あの方からチートを貰ったんだぁっ!」


「チートね。わかった。なら、好きにするがいいさ。こちらは見学しておくよ。可愛い魔王も倒したしね。君が死んだら、代打は任せてくれ」


「笑わせんじゃねぇっ! このオレが死ぬかっ!」


 顔面崩壊勇者はスフレから狙いを変更。何とか起き上がったケルヴェロスに照準を合わせ槍をけしかける。真っ直ぐに伸びた光の槍はケルヴェロスの尻の穴、ではなく、今度は頭部を貫かんと迫る。


「のじゃっ!? 危ないのじゃぁっ!!」


 瞬間、ケルヴェロスを庇うように飛び出したスフレだったが、


「……ゔぅっ!?」


 ケルヴェロスの代わりに槍がスフレの肩を貫く。


 そのまま伸びた槍が壁に突き刺さる。貫かれた状態で壁に磔にされたスフレに勇者は躊躇なく魔法攻撃を放った。


 直撃、光の球体がスフレを完全に捉えた。


 壁は砕け、スフレはそのまま壁の先の崖に身を放り出された形となる。


「のじゃっ……お、落ち……」


 スフレの声がそこで途切れる。スフレは橋と城を結ぶ深い峡谷に姿を消した。

 一瞬の出来事だった。瞬時に場の空気が凍る。


『スフレーーーー!! 我の所為でっ!! ぬおおおおおぉぉぉ!!!!』


 何とか立ち上がったケルヴェロスがスフレを追うように崖に飛び込んだ。

 サイは叫ぶ。しかし、二人に声は届きそうもなかった。レオンは起き上がれず、スフレ達の落ちた崖に視線をやる。——真っ暗。


(スフレ? ベロちゃん?)




「くっそぉぉっ!! お前は許さないぞ!」


 サイが赤い勇者の前に立ち全身を更に巨大化させた。その時だった。


「皆さんっ!?」


 シルクの声が後方で聞こえてきたのだ。サイは慌てて振り返る。


「シルク!?」


「サイ……スフレは……はっ、レ、レオン、しっかり! 今、回復薬を……!」


 どうやら状況を見たシルクがいても立ってもおれず人魂から飛び出して来たようだ。


「まおーしゃま〜しんじゃいやでしゅ〜!」


「リリアル!? 西塔で子供達と待ってなさいって言ったじゃありませんか! ここは危険です!」


 シルクについて来て戦場に出たリリアルは頭の白蛇をピンと立てて反論する。


「リリアルもたたかうでしゅ! ふぬぬぬ、でしゅ〜っ!」


「そんな勝手な事を言ってはいけません! はやく安全な場所に……」


 二人が言い争っていると、赤い勇者が不敵な笑みを浮かべ片手に魔力を込めた。


「西塔ね、そうか、西塔か」


 放つ。


 勇者の放った魔法が西塔に直撃。

 子供達が隠れていた西塔は音を立てて崩れ去り、煙をあげた。


 シルクは言葉を失う。

 リリアルは、何が起きたのか理解出来ていない。レオンは崩れていく塔を見て目を見開いた。しかし、声が出ない、あまりにも衝撃的過ぎて、口を開けても声が出なかった。


「くっはっはぁ〜! ありゃ死んだな。 あーそうだ、あの歌も邪魔だなぁ! 真ん中にでも隠れてんのかねーー、おりゃ!」


「や、やめろぉぉぉぉぉっ!!」


 サイが飛び出したが、時既に遅し。第二射が中央塔、セイレーヌのいる最上階を打ち砕いた。


 ——歌は、途切れた。塔の崩れる轟音に掻き消されるように、プツリと。


「ちっくしょぉぉっ、おまえーーー!!」


 サイの凶拳が地面を砕く。勇者はそれを躱し槍でサイを貫いた。サイの肩から真っ赤な血が噴き出し、橋を染め上げる。


「そんな、もんでぇっ! 子供達を、スフレを、セイレーヌをっ、うおおぉぉっ!!」


 サイの拳が勇者を捉える。勇者は尋常ではない衝撃により地面を転げた。

 しかし、まだ立ち上がる。

 血反吐を吐いた勇者は息を荒げ、槍を両手で構え脚を広げた。


「がはぁっ、なんて野郎だ……骨がっ……ぐっ、はぁっ、ぐがっ、ミ、ミストルティンの槍よ……オレに力を寄越せ! このデカブツを貫けるような、強い力を!」


 勇者の身体を光が包み込む。やがてその光は槍に充填され巨大化し、凄まじいまでの光を放った。


「必殺! ミストラル・バースト!!!!」


 顔面を崩壊させながら唾を飛ばし勇者が吠えると同時に槍が激しく発光して伸びる。激昂するサイ目掛け、一直線に。


「サイーーーッ!」


 貫通————しかし、


 碧色の少年は真っ赤に染まっても尚、気を失いかけの魔王少女、そしてメイド、メデューサを守るように壁となり立ちはだかっている。


「くっそぉぉっ!!!!」


 立っているのが不思議な状態、胴体を太い槍に貫かれた状態で勇者の前に立ち塞がっている。


(サイ、もうやめて……死ん、じゃう……助け、ないと……わたし、が……みんな、を……)


『クソ、マオー……』


 麗音の頭の中にクマデビルが語りかける。その声は弱々しい。


(クマデビル……? 良かった、生きてた! お願い、皆んなを助けたいの……何かっ、何か……方法は……)


『……アル。ダガ、ソレハ……』


(お願い教えて……この人は倒さないと……わたしがぁっ……だから……)


『防犯ブザー、ダ……ソレヲ使エバ、魔王トシテノ能力ヲ百パーセント、イヤ、ソレ以上発揮出来ル……時間制限ハアルガ。

 シカシ……下手スリャ……オマエハ帰レナクナル、魔力ガ暴走シテ、完全ナ魔王、ツマリ、魔物ニナッチマウカモ知レネェ

 ……ツマリ、向コウ側ノ存在ジャナクナル』


(……帰れなく、なる……?)


「ゔぁぁっ!! ぐっ、そぉぉっ!!」


 サイは槍が刺さったまま前進する。その都度、血が噴き出し辺りを染める。しかし、更に前進する。

 一歩、また一歩と勇者に迫る。


「サイ!? もう、やめてくださいっ……サイ!!」


(防犯、ブザー……)


 ——鼓動トクン


「シルク、お願いが、あるんだ」


 ——鼓動トクン


(防犯、ブザー……帰れなく……)


「サイ?」


(ママに……二度と、会えないの……?)


「レオンとリリアルを連れて、緊急用の人魂から逃げてくれ……」


 ——鼓動トクン


「バ、バカな事は言わないで下さいっ! 皆んなで、皆んなで逃げれば……」


「シルク!」


「嫌ですっ!」


「……頼むから! ……僕も後で行くから……僕は、コイツを倒してから……行くっ……からっ」


 サイの身体からおびただしい量の鮮血が噴き出す。


 ——鼓動ドクン


「出来ませんっ! 貴方をおいて逃げるなんてわたくしにはっ……サイ!」


 ——鼓動ドクン


「せめてリリアルと……レオンを……! 行くんだシルク!! 今なら海に船がある! もしもの時の事は、僕とシルクとで決めていた筈だろ! 今、レオンを……リリアルを守れるのは君だけだ! スフレも……セイレーヌも……ケルベロスも……子供達も……きっと生きてるから……今は二人を連れて逃げてくれ!」


 ——鼓動ドクン


 それ以上、彼女は言葉を放てなかった。



(……皆んな、ごめん……わたし……こわいよ)



 レオンの変身が解除される。片指は防犯ブザーの紐にかかった状態で震えている。


 引けば、音が鳴る仕組みの防犯ブザー。


 引けば、魔王の力を百パーセント以上発揮出来る、切り札の防犯ブザー。


 引けば、この場を乗り切れる可能性を秘めた防犯ブザー。


 引けば、二度と帰れなくなるかも知れない、


               防犯ブザー


(ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさ、い……)


 麗音の真っ赤に腫れた頬に涙がつたい、ポツリと落ちると地面を濡らした。


「レオン!? くそっ、シルク! はやく!」


 麗音の意識は失われた。指を紐にかけたまま、それを引けずに。


 その間も、サイは歩みを進めて行く。


「クソがっ!? く、来るんじゃねー!!」


「お前だけ、は……っ、ゆる、さ……」


 そんな中、普段は声を荒げないシルクの声が響く。


「サイ! 約束です……絶対に死なないで……!」


 シルクは大粒の涙を流しながら、真っ直ぐにサイを見つめながら言った。

 サイは振り返り、大きな眼でシルクを見た。とても、とても優しい眼で。


「シルク……僕は……」


 シルクはサイの言葉を遮るように言い放つ。


「それは……帰った後に……無事に帰って来た後に聞かせて下さいっ……約束、です!」


 シルクはレオンを抱き上げ浮遊形態になる。暴れるリリアルを宥めながらサイに背を向け、緊急用転送ポータルへ向かって飛んだ。


 紫色の月の光を反射する涙の粒を残しながら。



「シルク……ありがとう……これで……心置きなく掟を破れる……ゔおおおお!」


 既に赤い勇者の目の前まで前進したサイは両手で勇者を握りしめては拘束した。


「ぬがぁっ……は、はなせっバケモノがぁっ!!」


「お前は、スフレとケルベロスを殺した」


 力を込める。勇者の肩が外れ、バキッと鈍い音が響く。


「黙れぇっっ、ぎぁっ!?」


「お前は、セイレーヌを、殺した!」


 更に握りしめる。勇者の肋骨が粉砕する音が響き渡る。


「ぐっはぁっ……あががっ」


「お前は……子供達を……ころしたぁっ!!」


 勇者の眼に映る少年は、立派な魔物だった。血走った眼球に剥き出しの歯茎、鋭い牙に鋼鉄のような筋肉、燃えるような肌の色と禍々しい瘴気、


 サイクロプスのサイの本当の姿だった——


 巨大な両の手のひらがゆっくりと閉じて行く。まるでスクラップ工場のプレス機のように、対象を容赦無く押し潰していく。


「ゔぇぉっ、や、やべでっ……おでにはっ、か、家族ぅぇっぐごげっ!? ブェッ!?」



 サイの両の手のひらの中で、水風船が弾け飛んだ。



「僕にだって、家族はいた……」



 真っ赤な水を含んだ水風船だった。



(レオン、ごめん……僕、人殺しになった、


 ……シルク、ごめん。約束は守れないや、


 あの男には、勝てそうにないから……)



 サイの大きな単眼から涙が溢れ落ちる。槍は砕けて消え、サイは元のサイズに戻ってしまう。

 胴体には大きな穴が空いていて、膝をついたサイは天を仰ぐ。


 ヒューヒューと、呼吸もままならないサイは、それでも両手を広げて城門を守らんとした。


 紫の月が、そんなサイを優しく照らした。



(シルク……シルク……シルク……


 ……結局、言えなかったや…………




 …………ずっと…………




 ……す…………




 ——————————





 次回


 STORY8◆魔王の資格◆










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