STORY5◆嘘と正義と変化◆

『46』

 ————キ、——ダ————ヨ?



 イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、イタイ、




 ——————痛いよママァッ助け……っ




 ————っっ




 麗音の意識が回復する。



 まだボヤける視界で天井を見上げるが、見えたのは天井ではなく心底心配そうに麗音を見る母の姿だった。


「……っ……はぁっ、はぁっはぁ……」


「麗音? 大丈夫? 凄くうなされてたわよ? 怖い夢でも見たのかしら?」


「……マ……マ……?」


(わたし、生きてる……?)


 愛おしい母の優しい顔を見た麗音は大きな瞳を見開いた。大きく波打つように潤んだ瞳、震える唇、両手は腹部にあて、道端に捨てられた子犬のような表情で母を見つめている。


 母は何も言わずに麗音の小さな身体を抱き寄せ、サラサラした栗色の髪を優しく撫でる。

 帰って来た事を実感した麗音の瞳から、小さな飴玉ほどの大きな涙の粒が溢れ出した。止まらない涙は母の服を濡らす。


 麗音は何を言うでもなく、ただ、泣いた。

 それは刺されたから? 違う、理由は別の部分。


 勿論刺された恐怖、一瞬の痛みは麗音の幼い心を抉るように傷付けただろう。

 仲間達の安否も気になるだろう。しかし、麗音の心を一番深く抉ったのは、そのどれでもなく。



 ————ウソツキナンダヨ?



「うぅっ……な、んでっ……うそ、なんで! なんでなんで!? なんで嘘つくの!?」


「れ、麗音?」


「嘘つき、嘘つき、嘘つき嘘つき嘘つき……」


「麗音? 学校で何かあったの?」


「うそつきうそつきうそつきうそつきうそつきうそつきっうそ……っ!?」


 ————————「麗音っ!! しっかりして!」


 思わず声を張り上げてしまった母はビクンと身体を震わせ唇を噛み締めた麗音に気付く。すぐに「ごめんね」と謝り麗音の頬を伝う涙を指ですくう。

 麗音は相変わらず両手を腹部にあてている。それを見た母は麗音の目をまっすぐ見つめ、ゆっくり、丁寧に、諭すように問う。


「お腹、痛いの? 学校、おやすみする?」


 麗音は膨れて首を横に振った。


「ううん、ごめんねママ。ちょっと怖い夢を見ただけ」


 麗音は渾身の笑顔を見せる。そして母と共に部屋を後にするのだった。



 ——



「「れおんちゃんっ!!」」


 玄関を開けると、いつもの仲良しグループである桜と舞が元気に出迎える。


「おはよー、さくらちゃん、まいちゃんっ!」


 麗音も笑顔をお返しする。

 赤いランドセルを背負った少女の目の下は真っ赤に腫れていて痛々しい。


「れおんちゃん、目が赤いよ?」と、桜。


「そ、そうかな? あ、そうそう、朝起きたら目にこ〜んな大きなゴミが入っててね、た、大変だったんだ〜」


 麗音は大袈裟に両手を広げて悪戯に笑う。桜は首を傾げ瞳を瞬かせ、舞は「おお!」と謎の唸り声をあげる。


「すっごいね〜れおんちゃん!」


 疑う事を知らない舞はまん丸お目目を更に丸くして何故か嬉しそうに跳ねる。

 麗音が異世界で刺されたなんて、知る由もないから仕方ない事ではあるのだが、そんな舞にも笑顔を見せる麗音は何を思うのか。



 ——



 うわの空——


 今の麗音を一言で言い表すのならば、うわの空だ。

 授業なんて全くと言っていいくらい頭に入って来ない。腹部に痛みはない。

 しかし気になり何度も確かめる。やがて安心した麗音の脳裏によぎるのは、サイの最期の姿だった。思わず涙が溢れそうになったのを堪える麗音。


(……サイ……みんな……)


 途端に皆の事が心配になる。早く魔界に帰らないと、あの勇者達が皆を殺してしまうかも知れない。あの後サイがどうなったのかなんて、麗音は考えたくもなかった。しかし、やはり戻らない事には。


(……もし、授業中眠ったら間に合うかも知れないよね……)


 麗音が密かに居眠りを決意した時だった。頭の中にあの声が大音量で響き渡る。


『無駄ダゼ、コノロリガ!』


「はっ! クマデビル!?」


 麗音は机をバンと叩き勢いよく立ち上がると思わず声を張り上げた。

 途端にクラスメイト達の視線が突き刺さる。すると算数の授業中である担任の大山照男、照り焼きが白い歯を光らせながら言った。


「陽向さん、クマデビルがどうかしたのかい?」


 教室にクスクスと笑い声が走る。麗音は顔を真っ赤にして「なんでもありません!」と席に座る。

 そして心の中でクマデビルに語りかける。


(も〜、クマデビルのせいで笑われちゃったじゃない! いきなり話しかけるんだもん!)


『ウルセーヤイ! オマエ、ソレ逆ギレッテイウコト知ッテンノカ? コノロリガ! ハッ』


(ほんっと口が悪いよね……そ、それより無駄ってどういう事? 早く眠れば少しでも早く魔界に行けるんじゃないの?)


『違ウナ、オマエハ勘違イシテルゼ。オマエガコチラ側ニ帰ックル原因ハ魔力ノ枯渇、ツマリ、エネルギー切レガ原因ダ』


(エネルギー、切れ?)


『ソウダ。オマエノヤワナ身体ジャ、一回ノ変身デ一週間ノ昏睡状態ニナル。コレハ今マデノ事ヲ考エリャ馬鹿デモワカルワナ? 一週間クライノ昏睡ナラコチラ側デ一日モ過ゴシャ回復スル。ダカラ夜眠ルトムコウ側、ツマリ魔界ニ行ケル訳だ』


(じゃぁ、今日の夜眠ればまた魔界に行けるんだよね?)


『無理ダナ』


 クマデビルの言葉に麗音は思わず声を荒げ、再び机をバンと叩くとピンと立ち上がった。


「な、なんで魔界に行けないのっ!?」


「……陽向さん? 魔界って、何かな〜?」


 黒い肌に浮かぶ真っ白な歯が眩しい大山先生が、少しばかり引き攣った笑顔で麗音に問う。

 麗音は「な、何でもないですー!」と不機嫌な表情で頬を膨らませた。しかし、すぐに我に返り気まずそうに肩を竦めた。


「陽向さんは後で職員室に来る事、わかったね?」


「は〜い……」


(もう! クマデビルのせいだからね!)


『バッカヤロウ! 知ルカ!』


(汁とか言わないで!)


『アーー、面倒ダ!! ロリマオー、ヨク聞ケヨ! 魔界デノオマエハ重症ダ! ツマリ、ソレダケ回復ニモ時間ガカカルンダ。早クテ三日、コチラ側デ三日ハ過ゴサネート、魔界ニハ戻レネー。

 ッタク、オマエガ勇者ヲトットト殺サネーカラ、仲間モ危険ナ目ニ逢ウ、自分ハ怪我ヲスルンダコラ、聞イテンノカゴルァ!?』


(仲間が危険な目……ね、ねぇクマデビル!?)


『ナンダ、クソロリ』


(クマデビルは向こうの状況がわかるの?)


『マァナ、俺様ノ見レル範囲ノコトシカワカラネーガ』


(じゃ、じゃぁ……み、皆んな無事?)


『アノ後、サイノ野郎ガ奮闘シタガ結局フルボッコニサレテヤガッタナ、ソノ後、犬ト猫ガ何トカ勇者ヲ殺ッタヨウダゼ。

 マ、猫ノ方ハ完全ニ暴走状態ダッタガナ。

 ダカラ安心シヤガレ、今ハ魔王城ニイヤガルカラヨ。ナ、ナンダ、ダカラヨ、オマエハ自分ノ心配ヲシヤガレ……タダデモロリ幼女ナンダ、ソンナ身体デ魔王ノ力ヲ行使スルダケデカナリノ負担ナンダカラナ』


(クマデビル……良かったぁ、ほんとに良かった……ふふっ)


『笑ッテンジャネーゾ』


(クマデビル、優しいじゃん)


『ソ、ソンナンジャネーヤイ! カスガ! クソガ! ロリガ調子コイテンジャネー!』



 こうして殆ど授業を聞かず、放課後、麗音は言われた通り大山先生の待つ職員室へ重い足を運ぶのだった。職員室のドアを開けると、大山先生が白い歯を光らせながら優しく言った。


「やぁ、何か悩み事でもあるのかい? 先生で良ければ話を聞くよ?」


 怒られるであろうと覚悟していただけに、麗音はキョトンと首を傾げる。

 そして安堵の笑みを浮かべた。

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