第7話 エピローグ
コンコン。
ドアをノックする音が聞こえた。
「はぁい」
リビングで長椅子に体をもたれさせて、ぼんやりしていたティは、ハッとした。
誰かが外にいる。そう思うと、嫌な記憶がよみがえった。体が硬直しているのがわかった。
誘拐事件から1週間ほど経った午後のことだった。
あれ以来、仕事は体調不良を理由に休載扱いにしてもらっていた。怪我を理由に外に出ることも躊躇われた。明らかにPDSTの症状だ。
コンコン。
また、ノックの音がした。
「ティ、俺だ。開けてくれないか?」
(ギィ…)
彼女は顔を赤らめた。自宅にいるため、化粧もしていなければ、着飾ってもいない。部屋着の花柄ワンピースを着て、おまけに爆発の怪我で頭には包帯が巻かれている。今、男性の顔を見るのは恥ずかしかった。でも、彼ならという想いもあったし、彼の顔を見たいという思いもあった。彼の顔を見て安心したいとも思った。
鏡で自分の姿を映し、髪の乱れを手で撫でつけ、そばにあったグレイのカーディガンを羽織るとドアへ向かった。
ギルバートは予告もなくここに来てしまったことを少し後悔しながらも、彼女に報告することがあったのでいつものように待っていた。
ティはドアを開ける前に、ひとしきり深呼吸をした。そして、小さく「うん」とうなづいて、静かにキーチェーンをつけたままドアを開けた。
「はい?」
「よっ、どうだ?具合は?」
いつものギルバートの笑顔がそこにあった。なんだか、ほっとした。
「なんか…。怪我も治ってきてるし、でもなんか…、ギィ、ごめん。私のせいで、」
「あのな、そこは謝るところでも、泣くところでもないからな。俺は一般市民を守るっていう職務を全うしただけで、お前には何の非もない。そうだろう?」
ギルバートは人差し指で彼女の額をトントンと軽く小突いた。
「あ、ごめん。今、ドアを開けるね」
「いいって、そのままで。突然来たんだし、まだ、怖いだろう?報告に来ただけだからここで、聞いてくれれば」
「う…ん」
「犯人の身元は特定。捜査上詳しくは言えないけど、ずいぶん前からネットとかで過激な発言を繰り返してたストーカー君だ。特に、ティのな。ハンドルネームはBBJ。聞き覚えはあるかい?」
「ううん」
聞き覚えがない名前に首を振った。
「編集部にも今、聞き込んでいるんだけど、嫌がらせメールも結構送られてきてたみたいだぜ。」
「知らなかった…」
「まあ、熱烈なファンのよくあることだって判断して、知らせなかったのかもな。お前、心配性だし。で、そっちの方に今回の事件の予告や殺害予告めいた文章も見つけたので、そのメールが本人によるものかどうかを確認中だ。こっちの結果はすぐわかるだろ。で、それが本当だった場合、罪状を誘拐・監禁・強姦未遂・薬物不法所持から殺人未遂に変更してさらに捜査を行う方針です。」
「!」
そんなに多くの罪状が付くとは驚きだった。また襲われるのではないかと不安の中にいたのに、それをギルバートは分かっているようだった。
「それに公務執行妨害と警官殺害未遂などなど数々の罪状が付与され、立件される。裁判所もちゃんとしてくれるだろうから」
ティは目を閉じて、うなづいた。
「お前は、もう心配しなくていい」
「うん。」
「それと、ほれ、これも」
「え?何?」
「あの事件で棚を固定するのと粉を吸い込まないようにって、お前のお気に入りのスカーフを壊しちまっただろ?」
脇に抱えていた小さな箱を彼女に差し出した。淡いブルーのリボンが付いていた。
「安もんだけど、使ってくれ」
ティは促されるままに、箱を開けてみた。彼女によく似合いそうな明るいオレンジ色がベースのスカーフが入っていた。
「で、それ、着けてさ、レグリースに行こうぜ。もう、ケイトさんがうるさくてうるさくて。お前に直接、弁明してもらわないと、きっと信じてもらえない。」
「一体何の話よ」
「俺とお前が付き合ってるって言ってきかないんだよ」
「何でそういうことになるのよ!」
ドアチェーンが付いているため開け放てないドアの隙間で彼女はじたんだを踏んだ。
その隙間からグーに握った手でギルバートを叩き始めた。
「俺は何もしてない!元はと言えば、お前が階段から落ちたのが悪い」
カラ元気でもギルバートはうれしかった。なんとか元気を取り戻せたいと思っていたからだ
「誰だって階段から落ちたりするでしょ!」
「普通のやつは頭からなんて落ちたりしねぇよ」
「運動神経がないって言うの?」
「そうは言わんが、」
ティの手が止まり、真面目な顔つきなった。
「じゃ、さ、ギィ」
「んー?」
「ひとつ条件があるの」
もらったスカーフを首にふわっと巻きつけた。その様子を見て、『よく似合う』とギルバートは思った。
「今回のこともあるし、また起きるかもしれないから、私に…」
「私に?」
「護身術教えてっ」
その言葉を聞いて、頭を抱えた。だが、彼女のらしい。転んでもタダでは起きない。いつもの彼女に戻ったと思った。
「まず、一番先にのされるのは俺のような気がするが、ま、いいか。OK」
(お前が笑っていられるならそれでいいさ)
「頼むから、小説ネタにするのだけはやめてくれw」
「ダメなの〜?」
やっとふたりにいつもの笑顔と笑い声が戻った。
秋の深まりを告げる風とは反対にふたりは温かい気持ちになっていた。
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