第719話 王都出発
用意してあった馬車に乗り込んだサミーはリカルドに聞いた。
「それでこれからどうなさるのですか?」
「私は元々このまま出るつもりだったから準備が出来ているが、君はどうかい?」
「俺も準備は出来ています。
短期遠征用の数日分ですが」
「十分だ。
今日は夕暮れまではこの馬車に乗っている。
ただこの派手派手しい衣服は着替えたいな。
これからただの勇者に過ぎないのだから」
「勇者にただのというのはおかしいような気がします」
「フフフ、そうだね。
君も着替えた方がいい。
平民用の衣服はあるかな?」
「はい、大丈夫です。
それよりエマ様はいかがされます?
迎えにいきますか?」
するとリカルドは居住まいを正して言った。
「それを今から説明というか、私のすることを信じてもらいたい」
「もちろんです」
「今から私と君、そしてソレイユ=リュンヌとモリーにも忘却の魔法をかける。
一時的にだがエマのことを完全に忘れるのだ。
これはどうしても避けられないことなのだ」
「どういうことですか?」
「これまでのヴァルティス神の加護を突破して王都に侵入しようとしてかろうじて生き残った罪人の資料を読んだ。
その中にアリステア公のような空間魔法の持ち主が、馬車に空間を作って中に人を入れて無断で王都に入ろうとしたことがあった。
だが無事に門を通って安どした途端、空間の中のヒトたちのほとんどが死んでしまった。
唯一生き延びた者の証言が、みなでよかったと思った瞬間に地面に叩きつけられたのだそうだ」
「それは!」
「私が思うに空間魔法で、通用門自体は潜り抜けることはできるのだ。
でもその後の心の動きを見る何かが仕掛けられているのではないかと思う。
いないはずの人間たちの感情を感じて、それに攻撃を加えている。
門周辺にそういった魔法陣が隠されているのかもしれないと考え、探すと見つかった。
再現不可能なまでに複雑で、かなり高度な古代文字が使われていた。
それで輸送の中身を伏せて、空間魔法を施した馬車で何人も人殺しをした盗賊を数人王都に連れ込むことにした。
野放しにしておけば、王都を脅かす存在だ。
確実に加護で排除されるはずだし、されなくてもどちらにせよ処刑だ。
だが罪人に王都へ入ることを知らせず、連れてきた騎士も中身を知らないと無事に通れることが判明した。
協力してもらった盗賊は全員処刑したよ。
王都の安全と秘密保持のためにね。
つまり害意があるかどうか、目的や感情が排除の鍵になるんだ。
だがその魔法陣を撤去することは、さらにこの国を危険に晒すことになる。
それで我々の記憶から一時的にエマのことを失くしてしまうのだ」
「ですがどうやって記憶を取り戻すのです?」
「実はそれをモカに頼んであったのだ。
通信鏡で彼女に合言葉を言ってもらうことになっていた。
ビリー殿が先ほど詫びてくれたのはそういうことだ」
「ではどうするのですか?」
「合言葉ではなく、他の条件を付けようと思う。
そのためにもミランダと連絡を取らなければならない。
カイオスと別れたということは彼女は今孤立しているはずだ。
魔導馬車に乗っていたはずなので、今もそこにいると思う。
サミー、通信鏡を出してくれ。
彼女が出てくれることを祈ろう」
サミーが鏡の魔石に魔力を込めると、1つの鏡と繋がった。
ミランダが鏡の上に乗って、こちらを覗き込んでいる。
ずっと1匹でいたのだろう。
不安そうな様子がぬぐえなかった。
「みゃーみゃー」
「ミラ、無事だったんだね。
危ないことや怖いことはなかったかい?」
「ぎゃ」
「なかったんだね。よかった。
ビリー殿から伝言だ。
王が魔族との契約を破棄したため人間たちと離れることになった。
それで従魔契約をしていたモカがビリー殿の元へ自動的に行ってしまったそうだ。
彼女は無事あの方の元にいる」
「みゃみゃー」
「うん、心配だったよね。
今馬車は止まっているようだけど、ステルス機能を使って隠れているのかい?」
「みゃ」
「ではそのまま隠れていて欲しい。
道の脇ではなく、すこし森か草むらに入った方がいいかもしれない。
できるかい?」
「みゃ」
「それでね、あと2時間ほどしたら、この通信鏡を使って我々に連絡を入れて欲しいのだ。
時間がわからなければ……そうだな、陽が暮れかけたらでいい」
「みゃ」
「ありがとう。
必ず合流するからもうしばらく我慢してくれ」
「みゃみゃ」
「すまない、ミランダ。
君はやさしいね。
ではまた」
そこでミランダが通信を切ったのを確認して、リカルドはゆっくりと鏡を閉じた。
「えっと、リカルド様は彼女の言葉がわかるみたいですね?
いつの間にミランダと仲良くなったんですか?」
「フフフ、仲良くなったのはエマのために別館に泊りに来てくれた時だよ。
エマを寝かしつけたら、彼女は私のことを観察しに来るんだ。
それで基準はよくわからないが、合格点が取れたらしい。
慣れてくれたら、よく僕の膝の上で丸まるようになったんだ。
言葉の方は、何となくだね。
彼女はとても賢い子だよ。
『みゃ』と短く鳴いたのは、『はい』や『わかった』だよ。
『ぎゃ』と鳴いたら、『いいえ』や『わからない』だ。
彼女の顔を記憶のカギにしようと思う。
顔を通信鏡で見たら、すべてを思い出すようにする。
だが記憶、つまり心に触れる魔法を使う。
もしどうしても嫌なら、この馬車を降りて後から遅れて来て欲しい」
誰も馬車を降りなかった。
「では魔法をかける」
「御者はいいんですか?」
「彼は今回雇い入れたクライン家と何の関係もない人間だ。
王都の門を抜けてセードン方面に走って、夕方に着いた町か村まで送ってもらう依頼をだした。
詳しいことは何も知らせていない」
「わかりました。
忘却の魔法を受けましょう」
ソレイユ=リュンヌとモリーも頷いた。
皆で手をつなぎ(羽や触手も使って)、リカルド以外は目を閉じた。
「それでは一時的に記憶を封じる。
エマのこと、私が勇者なこと、どこに行こうとしているのかを忘れよ。
繋いだ手の内側からリカルドの闇魔法が発動し、皆静かになって聞こえるのは馬車のガタゴトいう車輪の音だけだった。
夕暮れになり、とうとう馬車が止まった。
リカルドは従者らしい採取専門だと言わんばかりのチュニックに短剣と言った軽装に、サミーはいかにも冒険者の戦士といったいで立ちになり、2人とも背嚢を背負っていた。
リュンヌとモリーはリカルドの肩の上にいた。
「今日は世話になった。
これは後金だ」
「ありがとうございます」
「ここは……まだセードンではないようだね」
「出るのが少し遅かったので、少し手前になりますがレピンという町に止めました。
村ですと宿屋が少ないですから」
「心遣い、感謝する。
これは主からの礼だ」
リカルドは御者に銀貨を数枚渡した。
金貨だとさすがに多すぎるからだ。
御者と別れて、リカルドはサミーに振り返った。
「それでは宿探しに行こうか、主様。
残念ながら僕は王都の宿しか泊ったことがないけど、何か大きな違いはあるかい?」
「あなたに主と呼ばれる日が来るなんて思いませんでしたよ。
特にないですが、設備は整っていないと思ってください。
まず貴族向けの宿に泊まらないなら、部屋に食事や風呂がついていません。
食事はだいたい1階の食堂か近所の飯屋に行きます。
それと風呂のかわりに、桶に湯を貰って拭くぐらいです。
雑魚寝で後から客が増える形式でなければ、部屋の全員そろっていれば鍵をかけることはできますね。
値段は安い分、安全性は低いです」
「それでかまわないさ。
カイオスに最低の宿にも慣れろと雑魚寝の部屋に入れられたことがあったからね。
酔っぱらいが暴れてね、腹を蹴られて食べ物を吐いて大変だったよ。
その時はかなり薄汚くして頭から布を被って寝たふりをしたが、今回も必要かな?」
「俺もいますし、そこまでしなくてもいいと思います。
どちらにせよリュンヌ様は今のまま従魔舎に行ってもらうか、小さくひよこになってもらうかはした方がいいでしょう」
「リュン、ひよこになって僕のポケットにお入り。
モリーもね」
見つけた宿で運よく2人1室の部屋が取れたので、素泊まりで入ることになった。
朝に顔を洗う水を貰うだけにして、宿の主人は下がっていった。
「やっと落ち着きましたね」
「ああ、ミランダの連絡が思ったより早かったのも良かったね」
「ええ、ですが連絡がなければ重要なことを忘れていたかと思うとゾッとします」
「だがちゃんと無事に王都を抜けることができた」
「ええ、でもまさかエマ様を人形にしてしまうとは……驚きました」
「今回のような緊急事態にしか使いたくないね。
これは特級魔法士の『
通常は従魔や敵に掛けるものだが、エマに断って使わせてもらった。
このスキルの問題点は、術者である僕とあまり離れることができないことだ。
つまり王都から出られなかった僕ではエマを連れ出せなかった。
それに人形にしていても、我々がエマの存在を忘れなければ彼女はバラバラだったかもしれない」
「エリーがいたら、あなたは王都にいるはずですよね。
どうされるおつもりでしたか?」
「彼女にこの『ガーブルパペット』を取得させるつもりだった。
僕にスキル取得特大があるのを知っているだろう?
それでハヤトの強奪スキルを取得して、改変した。
それによって僕のスキルを自由に複写して、一時的に付与できる。
それでエリーに付与するつもりだった。
でも嫌がれば、パペットメイドにつけるつもりだった」
強奪スキルの取得改変と聞いてサミーは気が遠くなりそうになったが、相手は尊敬するリカルドでただの勇者ではないのだと気を取り直した。
「リカルド様のパペットメイドはすでにレント師の作ったものを越えていますから」
「レント師の無機物の魔道具は素晴らしいが、パペットは生物らしさがないからね。
僕のは血を使ったホムンクルスを作る要領で体だけを作り、それをパペットにしているから。
でも本物のホムンクルスは作れなかった。
魂を作るということは、神の領域なのだ。
たぶん成功した賢者も、魂は死んだばかりの浮遊霊か何かを使ったのだと思う」
「俺はあなたが賢者になっていないことが不思議でしかたありません」
「そうかい?
でも先人の知恵を改良しただけだからね。
私なりの独自性が足りないんだろうよ。
話を戻そうか。
念のためもう1度、エマの様子を見ておこう」
リカルドは背嚢の中から小さな箱を大切そうに取り出した。
中には衝撃を押さえる柔らかな緩衝材とシルクの内張りがされていて、その中に眠った姿で人形にされたエマが入っていた。
手入れの行き届いたつややかな銀髪に長いまつげ、日焼けをしたことのない真っ白な肌はこれまで1度も外に出たことのない証だった。
「スキルを解除してあげたいけど、呪いを考えればこの国を出てからだね」
「その後も気を付けないといけませんね。
明らかに貴族令嬢ですし、誘拐の恐れがあります」
「うん、とてもかわいいから目立ってしまうよね。
家にしかいなかったから運動不足だし、外出はちゃんと成長できることを確認してからだよ。
早く国を出たいが、まずはミランダとの合流だ」
「どこにいるのかご存じですか?」
「聞いてはいないがたぶんルシィ君のいるルエルトへ向かっていただろう。
エリーのことは心話で話しただろうが、彼はまだ幼子だ。
とても不安だろうからね」
「カイオスさんはどうされているでしょう?」
「たぶん同じくルエルトに向かったと思うよ。
あそこの港から唐国へ渡る船がある。
エリーの今の状態を母であるマリア夫人に伝えに行くんじゃないかな?
でもこれは推測に過ぎないから、国外へ出てからの移動するかもしれない」
「『隠れ家の実』を持っているのは、カイオスさんなんですよね」
「ああ、それなんだが……」
言葉を濁しながら、リカルドはエマ人形の服の襟下を探って取り出した。
「ここにある」
サミーは唖然とした。
それはカイオスに対する大きな裏切り行為だった。
「……なぜそんな嘘を?」
「カイオスを国外に出るように仕向けるためだ。
彼は引退後エリノア姫の墓を守ると常々言っていた。
何があってもこの国を離れる気はなかったんだ。
でもエリーが戻ってくるのならば話は別だ。
国内に安全な場はなく、国外での知り合いは敵か傭兵か娘だけ。
ならどこに行く?」
「マリア殿の元だと思いますが……確実ではありませんね。
国外に出た彼の信奉者もいなくはないでしょうし」
「それで本物は渡せなかった。
あれはよく似た植物の種なんだ。
もしかしたらカイオスは気づいているかもしれないね。
エリーが無事に戻ったらいくらでも謝るつもりだし、殴られる覚悟もできている」
サミーはしばらく俯いていたが諦めた。
彼はただの勇者でも、常人でもないのだ。
「リカルド様の悪い点は先を読み過ぎて、俺たちを信頼してくれないことです。
カイオス殿も本当のことを話せばわかってくれたはず。
これからはもっとちゃんと話をしてください」
「信頼していないわけではないけど、こっちの方が早くてね。
善処するよ」
「それ、やらないってことですよね?
ちゃんとやってください」
「うーん、わかったよ。
サミーも遠慮なく言うようになったね」
「俺が言わないと誰が言うんですか?
放っておけばあなたは何もかも勝手にやってしまいますから。
三殿下が怠け者になったのは、あなたのせいでもあると思います」
「うっ、それは言い返せないな。
反省しますよ、主様」
「よろしいです、我が従者よ。
いや、やっぱり従者は無理でしょう」
そう言うとサミーとリカルドは声をたてて笑った。
とにかく第一の関門の王都を無事に抜けるのは超えたのだ。
次はミランダとの合流だった。
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リカルドのスキル取得特大については後で述べることがありますので、うっすら覚えていただけると助かります。賢者になれなかった理由でもあります。
アリステア公のような空間魔法とは、本来ならば部屋と部屋の間になんの隙間もないけれど、そこに空間を設置して中に生き物でもなんでも入れることができるものです。
エリーと王宮で会った時は、その魔法を使いました(第288話)。
馬車のような移動できるものの上に作れば、他所へ行くこともできます。
ヴァルティス神の加護は、害意があっても正規ルートを通れば排除されません。
だから暗殺ギルドや奴隷商人なども入り込めます。
リカルドは変装後は僕に一人称をかえました。
ガーブル garble 事実を捻じ曲げるという意味です。
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