第718話 旅立ち


 その場にいた誰もが声を発しなかったが、王妃レオノーラが震える自らの体を押さえるようにして低い声で聞いた。


「陛下! ルーナとそんな関係だったなんて嘘ですわよね?

 結婚の時にあの子にだけは手を出さないというお約束を、守ってくださっていますわよね?」


「……」


 王はここまで言われてもまだ黙っていた。


 リカルドは王妃の悲痛な叫びの意味を知っていた。

 セーラが一番の被害者だったが、他の兄姉にも手を出していないわけがないのだ。


 レオノーラの場合は、彼女が好きになった男性が次々とルーナが手引きした女性に誘惑されていた。

 それで何度も婚約一歩手前でダメになり、とっくの昔に結婚しているはずだったのに未婚であったゆえに王の後妻として嫁ぐことになったのだ。


 妹の手引きとわかったのは、別れた婚約者候補の1人が平民として放逐される時の手紙にルーナに気をつけろと書き送ったからだ。

 前々から素行の悪い妹がそこまでしていたことに驚き、なぜそんなことをするのかわからなかった。

 しかも身内であるがゆえに、復讐することもままならなかった。


 だから王との結婚の条件にルーナには近づかないで欲しいと頼んだのだ。


「わたくしはこれまで従順にあなた様の子を育み、社交界を牛耳り、国政や外交に勤しんでまいりました。

 それもこれも約束を守ってくださっていると思っていたからですわ。

 なんという裏切りでしょう!」


「うるさい!

 わしが誰と寝ようが関係なかろうが!」


「死別したのならともかく、普通は姉妹と同衾などありえませんが……ルーナ夫人は背徳感を楽しむ女性でしたからね」


 リカルドがあきれたように肩をすくめた。


「わしの属性を疑うならば、フジノに鑑定させよ。

 それで済むはずだ」



 すると黙っていたミューレン侯爵が声をあげた。


「私も発言させていただきます。

 我が子として育てていたローザリア・テレーズは我が娘にあらず。

 あれはルーナと前ラリック公爵の庶子と噂のあった、ハーベイ・リードセンとの子です。

 あれを私の娘と偽証したフジノをヴェルシアの裁定に掛けたい。

 彼女の鑑定は信じるに足りず、もはや賢者ではありえません」


 それにリカルドが補足した。


「私の預かっている手記にもフジノ師が息子の醜聞を隠すためにルーナ夫人の言うなりになっていたと記されています。

 ヴェルシアの裁定は今すぐは無理ですが、よろしければ今回オスカー殿にジョブ診断で使われる鑑定板を持ってきていただいています。

 今ここで鑑定を受けていただくのはどうでしょうか?


 フジノ師よ、あなたも賢者の一人として、このような嫌疑を晴らさないわけにはいかないでしょう。

 当然お受けになりますよね?」


「はい……鑑定を受けます。

 受けますが……私はもうとっくの昔に賢者ではなくなっていました。

 ですが一族の期待を一身に背負っていたので伯爵位を保たねばなりませんでした。

 勇者の血筋を穢すわけにはいかなかったのです……。

 でももう疲れました。

 あの性悪女やその男たちの陰におびえながら生きるのは止めにしたいのです。

 ですから陛下、あなた様の鑑定に手心を加えることは出来かねます」


 そうして触れた鑑定板には賢者の称号が消え、職業は上級鑑定師、スキルに嘘つきとなっていた。

 それによってフジノ師、いやフジノ元伯爵は拘束され貴族牢に繋がれることになった。

 ミューレン侯爵の訴えと、他に余罪がないか調べるためだ。


 ここまで来てようやく貴族たちがやっと我に返ったかのように王に向かって次々と、小さなものでいいから聖属性魔法を使って欲しいと頼みだした。


 それでも王は口を閉ざしたままだった。



「陛下の口は岩のように重いご様子ですね。

 これでは埒が開きませんので私が国政に携わらないもう1つの理由を申し上げましょう。


 エリー・トールセンの死はとても悲しいことですが、私に別の道を開いてくれました。

 彼女の死によって私は契約不履行に陥り、光の精霊王の加護を失いました。

 それで初めて私は自分に掛けられていたありとあらゆる枷から解放されました。

 私の能力の成長を止めていたのはこの精霊王の加護のためで、不必要なまでに保護にされていたのです。

 それは子どもであった私の体に負担をかけない歯止めの役割を果たしていました。


 ですがこの度新たなジョブと称号をいただきました。

 今現在私は6大精霊王から暫定的にですが寵愛を受けています。

 その理由は、私のジョブ診断をすればすぐお判りいただけると存じます」



 そうして彼はジョブ診断の判定板に触れた。

 そこにはこう記されていた。



 名前:リカルド・ルカス・ゼ・クライン(ーーーーーー・ーーーーー)

 年齢:15歳

 種族:人間(--)


 魔法:全属性魔法 無属性魔法 精霊魔法

 魔力量:ーー


 スキル:ーーーー


 ジョブ:勇者 聖者 剣神 賢人 特級魔法士


 称号:転生者

    勇者 

    樹霊神ユグドラの加護

    光の精霊王の寵愛(暫定)

    闇の精霊王の寵愛(暫定)

    火の精霊王の寵愛(暫定)

    水の精霊王の寵愛(暫定)

    風の精霊王の寵愛(暫定)

    土の精霊王の寵愛(暫定)

    ダンジョンマスター

    



「開示する必要のない情報は隠させていただきました。

 重要なのはジョブと称号ですから。

 私は転生者であり、この度勇者に昇格いたしました。

 私以外にも勇者はいるかもしれませんが、精霊王たちの寵愛によって私より強い者はいないでしょう。


 ハヤト、良ければ君のジョブ診断も見せてくれないかな?」


 自分がこのために呼ばれたことを悟った隼人は素直にそれに応じた。

 ジョブが勇者から、勇者候補に変わっていた。


「一体どういうことなのだ?

 なぜその方が勇者に……」


「陛下の疑問は皆様の疑問でしょう。

 推測に過ぎませんが異世界からの転生・転移者は自分が勇者だと思えば勇者に、聖女だと思えば聖女の称号が付くのだと思います。

 ですがそれがなければ、その者に見合ったジョブが与えられるのです。

 私は自分を勇者だと思ったことはなかったので、ずっと聖者と賢人と出ていました。

 それで賢者になるべく、錬金術を学んでいたのです。

 現在の賢者と同等以上の戦闘力と鑑定能力はすでに持っていましたのでね。


 ハヤトは異世界から転移して、周りから召喚されたと言われて勇者になりました。

 彼の元の世界では、勇者は異世界召喚されるものという逸話が多くあるそうなのです。

 ですがこの国に来て、ユーリやエリーの優秀さに揺らいだのです。

 自分を勇者だと思えなくなってしまった。

 それで勇者候補になってしまったのです。


 これはマドカ・カツラギにも言えることです。

 彼女は自分を聖女だと思っているので聖女なのです。

 我々から見たらこれほど本人にそぐわない称号はありませんが、それが転生・転移者のことわりなのでしょう。


 私の場合は前世の妹であるエリーが何らかの役目を受けていると推察していました。

 そのため自分から賢者になろうと努力していましたが、亡くなってしまった彼女の代わりを務める決心をしました。

 そうしたら勇者になりました。

 同時に妹が受けるはずだった精霊王たちの寵愛を暫定的にですが受けられたのです」



 それを聞くと国王の体がガタガタと震え出し、体から黒い邪悪な気が立ち上った。


「オスカー殿!」


「お前たち、行け!」


 オスカーが懐から取り出した長細い箱を開けると、そこには金色のネズミが5匹入っていた。

 エリーのマウスナイトたちだ。


「ソル! モリー! ネズミたちに合わせてくれ‼」


 マウスナイトたちと、リカルドたちは同時に黄金の光を発した。

 王から出ていた穢れた影は消え、彼は床に倒れこんだ。

 リカルドはそのまま拘束ホーリーバインドをかけて、父親に後を任せた。

 王はそのまま罪を犯した王族の入る嘆きの塔に入ることになった。



 そして彼はマドカの方を振り返った。


「君にこの光が何かわかるか?

 これはエリーが君の魂をこれ以上穢れないために作った光、彼女の祈りだよ。

 おかげで期せずして王の魂も救うことができた。


 あの子の力はこの世を救うものだったのだ。

 このねずみたちの微々たる力を、これほどまでに高めたのはあの子だよ。

 それによって君は今も人の心を保っている。

 これは女神の福音なのだ。

 だからそれ以上、心の昏い部分に自らをゆだねてはいけない」


「な、何を言ってるの? 意味わかんない……」


「ちゃんと現実をよく見ろと言うことだ。

 君は彼女を嫌っていたが、エリーゼは自分の世話をした子どものことを忘れない。

 それをエリーに記憶がなくても、魂が認識しているのだろう。

 だから君の理不尽な態度に怒りを覚えつつも、許していたのだ。


 僕も思い出した。

 君の母親がふと漏らしてしまった弱気を君に聞かせてしまって絶望しているから、どうしても助けたいと何度も手紙をくれたことをね。

 誰かを恨む前に、ちゃんと自分の行いに向き合ってみるがいい」


 当然の彼の言葉に、まどかは頭がいっぱいで考えがまとまらなかった。



「だったらぼくも言いたいことがある」


 ずっと黙ってビリーの側に控えていたドラゴが前に出た。


「お前さぁ、ずっとセレスティリュスという竜を探しているんだよね?」


「そうよ! 何か知っているの⁈」


「このぼくがセレスティリュスだ。

 ただしお前の探す成竜になるには、あと800年ほどかかる」


「なんですって! そんなの嘘よ‼

 セレスはアンタみたいなガキじゃない!」


「嘘をつく必要がない。

 大人の姿へ人化くらいならできる。

 見せてやろう」


 そうしてドラゴは乙女ゲームに出てきたセレスそっくりの姿に、ただし今着ている地味なエヴァンズの制服に似せた服をまとっていた。

 これはエリーが小さな護衛を連れ歩くのに、自分とお揃いにしたからだった。


 煌めく青い瞳も銀色の髪もVRゲームごときでは表現できなかったほど彼は美しく、そして人ではなかった。

 まどかは間違いなく本人だとわかった。

 何度も何度もゲームで愛を交わしあった憧れの愛しいセレスを前にいつもの傍若無人さはなりを潜め、喜びで胸が高鳴った。


「あっ、あのっ」


「でもこれはまだずっと先の姿だ。

 それに乙女ゲームとやらの愛情に飢えた俺様なぼくなんて知らない。

 ぼくにはエリーという母がいて、モカやミラやモリーやルーやエマという弟妹がいる。

 ウィル様たちもいる。

 ぼくはひとりじゃない」


「そんな……違うの、セレス」


 かすれた声で弁解するまどかが抱き着こうとしたが、セレスの姿のドラゴはそれを避けた。

 彼女はそのまま床に崩れた。


「違わない。

 お前にだけ依存するような竜など存在しない。

 それにぼくは人間を番に選ぶつもりもない。

 お互いの力が違い過ぎて、子作り中に相手を死なせてしまうからだ。

 現実は物語とは違うんだ。


 お前がエリーに取っていた態度は腹立たしいが、彼女はお前を許していたからそれに免じて命は取らない。

 好きに生きるといい。

 ただし魂を穢して生きるなら、それはぼくの敵だ

 その時は殺す」


 ドラゴはそう言って、まどかを睨んで威圧を当てた。

 完全な敵対行為だ。


「うそよ……うそ、ちがうちがうちがう。

 こんなの知らない。

 いやぁぁ!」


 彼女は頭を抱えて嗚咽を上げ始めた。

 側で見ていた隼人はこれが本物のざまぁで、見ていて気分の良いものではないことがわかった。

 スカッとするのは小説の中だけなのだ。


 オスカーの手元に戻っていた金色のネズミたちは、マドカに向かって癒しの波動を送っていた。

 彼らはエリーの与えた職務に忠実だった。


 それを見たオスカーはネズミと共にマドカの面倒を見ることに決めた。




「では父上、後のことは頼みます」


「ああ、筋道をつけたら、私も領地へ引っ込むつもりだ」


「後は王家が負うべきこと。

 ビリー殿もこの場に同席いただき、ありがとうございました」


「もう王都の結界は解けてしまったがな。

 これはそちらの契約違反によるもので、俺では止められない。

 それよりお前はどこに行くんだ?」


「まずはを安全な所に。

 そして次は聖剣を探しに行き、今回の大本となった悪魔を討伐します。

 それが勇者の役目です」


「そうか……。

 ああ、言い忘れていたがモカは俺の従魔になっているので、お前たちと一緒に行動できない。

 悪いな」


「いえ、あの子の身を守るためだったのでしょう?

 ティーカップ・テディベアというだけで狙われますから。

 どうかよろしくお願いします」


「それで俺の元に来た時に、カイオス・タイラーに追手が付いてきたから別れて行動したそうだ」


「それは……急いで対処します」


「お前の前世の名前を聞いても?」


「アルブレヒト・ルエーガーと申します。

 雄大とモカの大伯父に当たります」


「アンタが噂の伯父様か。

 ユウがいつも勝てないと言っていた」


「おかしいですね。

 ぼくはユウにそこまで敗北させたことはないと思うのですが……。

 音楽は僕の専門なので厳しくしましたが」


「そう言うことではないんだよ」


 知らぬは本人ばかりとビリーはフッと笑った。

 グランマコンプレックスだった雄大はいついかなる時も祖母から信頼され愛されているアルブレヒトに敗北感を覚えていたのだ。


「勇者よ、武運を祈る」


「ありがとうございます。

 僕は必ずを取り返して見せますよ」


「期待している。

 俺もエリーには借りがあるからな。

 彼女が助けを必要とするならば、いつでも駆け付けよう」


 そうして勇者となった男と、魔王にならなかった男は堅く握手を交わした。



 ビリーとドラゴはそのまま転移し、リカルドは肩にソレイユ=リュンヌとモリーを乗せて謁見の間から出て行った。

 誰も引き止められなかった。

 いや動けなかったのだ。


 その中で1人だけ、追いかけてきた者がいた。


「リカルド様、お待ちください!」


「サミー、もう付き従うことはないのだよ。

 これから僕が歩むのは修羅の道なのだから」


「いいえ、俺はついていきます。

 あなたといないと、エリーは取り戻せないんでしょう?」


「その通りだが、うまくいくかはわからない」


「可能性があるなら、それに掛けます。

 それにあなたが戦っている間、エマ様の面倒を見る者も必要になります。

 俺は平凡な騎士ですが、あなたに忠誠を捧げています。

 必ずお役に立ちます」


「……そうか、ありがとう。

 実を言うとね、本当は嬉しいんだよ。

 本来一緒のパーティーで行くはずの、聖女ソフィアと剣聖ユリウスは置いて行くからね。

 この国はこれから荒れるから、彼らの力が必要なのだ。

 だがその代わり、モリーと君が付いてきてくれる」


(ソルもリュンもいる~)


「ああ、もちろん。ずっと一緒だよ」


「リカルド様は……やはりエリーに似ていますね。

 この国のことなんて放っておけばいいのに」


「フフフ、当然だ。

 僕はあの子の兄なのだから」


 そう笑って2人は足早に王都を後にした。


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ハルマが勇者だったのは、自分がゲームの勇者キャラでそう思い込んだからです。

今鑑定すれば違うかもしれません。


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