第714話 始まりの予感
翌朝早くサミーとカイオスが別々に出立した。
ドラゴが離れたのでモカとミランダは魔導馬車に乗って、カイオスについていった。
エリーがいると思われる『隠れ家の実』と共にいることを望んだのだ。
リカルドの側に残ったのはエマとソレイユ=リュンヌ、そしてモリーだけだった。
そして今クライン伯爵家は、近衛騎士団による家宅捜索を受けていた。
この家の使用人であったエリーが行方不明なので、匿っていないか調べているのだ。
それは例外を作ることは出来ず、エマのいる別館も捜査対象だった。
これまで王家に尽くしてきた近習の家としては、不名誉かつ迷惑な話だった。
「エマ、こっちへおいで」
彼女は柔らかなおくるみに包まれて、リカルドの腕の中にいた。
しっかりと大事な宝物のように扱われる彼女は見たこともないほどの大人数に目を丸くしていた。
「一時的に入館許可を出した。
全ての荷物に触れてもよいが、私や妹、それから従魔たちに触れることはまかりならん。
無理やり触った場合はそれ相当の処置をする」
「かしこまりました。
あの……あちらの方は?」
リカルドの後ろで窓の外を見ている金髪の男を指した。
彼はその言葉を聞いて振り返った。
「神に認められし剣聖にして、我が親友ユリウス・ゼ・カーレンリースだ。
この見分に第三者の立ち合いを願い出て、来てもらったのだ。
そなたたちの粗相を知れば彼が切ってくれるそうだ。
心して取り掛かるように」
「少しでも愚かなことをすれば、僕の剣で首を刎ねることにするよ。
何、一瞬だから痛くはない」
「はっ……!」
近衛隊隊長は顔では笑っていたが、背中に汗をかいていた。
王からエマ・クラインを連れてくるように言われていたが、とてもできそうになかった。
(だから召喚状かなにかを出してくれと頼んだのに……。
これでは命令を遂行できない!)
ただ王がこの館にいることを条件に生存を許し、外へ1歩も出たことのない幼い少女に召喚状を出してもクライン家が断られるのは目に見えていた。
だからなんとかリカルドと引き離して連れ出す計画だったのだ。
だが彼を離してもエマはユリウスに預けられるし、ユリウスから引き離そうとしてもこの家のことは何もわからないと突っぱねられるだけだった。
エマとユリウスはとても仲が良く、実はエリーがこの家に来ていないときはジョシュが何度も訪ねていた。
別館の中で変装は解いていたので、彼にとってもいい息抜きだった。
エリーはエマが1人で寂しいのではと思っていたけれど、その隙間を彼が埋めていたのだ。
そうでなければ忙しすぎるリカルドがエマに寂しい思いはさせないようにはできなかっただろう。
1日かけてやっと家宅捜索は終わり、近衛騎士団は撤収した。
リカルドは再度入館制限をかけ、ユリウスを夕食に誘った。
食事がすんでエマの世話をパペットメイドに指示し、モリーとソレイユ=リュンヌが出て行くとユリウスは小さくため息をついた。
「長い一日だったな、リック」
「ああ」
「陛下は何を考えておられるのだろう?
エマを連れ去ろうだなんて……」
「私に対する牽制だろうね。
これを機にクライン家の力を削ぎたいのではないだろうか」
「そんな! 次代の王が困るじゃないか‼」
「そうでもないさ。
他の国では我々のような存在はいないしね。
近習こそ実質の王だと裏で言っている者も少なくない。
元々王家だったわけだし。
直接仕事に携わっている者が実権を握るのは仕方がないことなのだが……。
我々としては面倒な雑用をこなしているだけでも、王から見れば目の上のたん瘤であったのだろう」
「君の献身をあれほど受けておきながら信じられない……」
「私が思うに陛下はご自分に自信がないのだ。
元々王位は別の方になるはずだったのに、急逝されてあの方になったのだ。
それで繰り上がりで王位が転がり込んできた。
能力も気概も足りず、いつまでも先王陛下に頼り切りだった」
「後ろ盾をするためラリック公爵家のレオノーラ妃が王妃になったんだよな。
本来ならアリアがシリウス殿下に嫁いで、盤石の体制になるはずだったのに……」
「クリスにとっては、それで良かった」
「まぁな、初恋の女性と婚約できるんだから」
「正直アーバスノット嬢では心許ない。
聖女ソフィアは王妃としての気概がない。
ミューレン子爵は論外」
「あの女の話はするなよ」
「一応の王子妃候補だからな。
彼女だけは絶対になれないけど。
ミューレン侯爵は彼女を廃嫡するから、後ろ盾は得られない」
「廃嫡? あの溺愛男が?」
ユリウスの中ではミューレン侯爵は娘が貴族令嬢を襲っても許す親バカとしか思えなかっただ。
「かわいさ余って憎さ100倍。
侯爵は自分の子どもではない娘に、途方もない金を使って後悔している。
今頃陥れる策でも練っているさ」
「自分の娘でないって、どういうことだ?」
「ルーナ夫人がフジノ師の弱みに付け込んで不貞を隠すように脅したのだ。
父親をミューレン侯爵だと言うようにね。
君の叔母は恐ろしく面の皮が厚い女だよ」
「そんな女の娘が我が辺境伯家に入ろうとしていたのか?」
「ローザリア子爵は知らないんじゃないか?
自分の出生をね。
父親はルーナ夫人の護衛騎士の男だ。
その男は前ラリック公爵の庶子で、大人になれない子が生まれるかどうか試したそうだ。
ただの好奇心でね」
しかもそれに失敗したから、リカルドの母であるアナスタシアをけしかけてエマを産ませたのだ。
害悪にもほどがある。
「なんだよそれ。気持ちが悪い」
「だが生まれたのは男の赤い髪と火属性魔法を持った普通の娘だった。
つまりその男の母親はラリック公爵の子は産んでいなかったんだ。
そんな訳の分からない遊びをするような女を、ローザリア子爵はいつまでも理想の母親と慕っている」
「愚かだな」
「ああ、愚かだ。
だが教育の段階でやりようはあったと思う
それはミューレン侯爵家の罪だ」
ユリウスはスンッと黙ってしまった。
リカルドがどうかしたのかと彼の顔を覗き込むと、とても辛そうな顔をしていた。
「……エリーからあの女を最後に変えられたのは僕だけだったと言われた。
僕がエロイーズの事件の時に、彼女に親身になっていれば違ったかもしれないって」
「たとえそうだったとしても、君は当時子どもで親の決めたことに従わねばならなかった」
「なぁリック、エリーは本当に死んだのか?」
「多分ね。
あの流血量では生きていられない。
なにかマジックアイテムがあれば別だが」
「……ないな。
身代わり石が出るようなダンジョンには行っていないし」
「魔族が与えたか、彼女自身が作ってなかったら難しいね」
「せっかく隠れ家は持っていたのに……」
その言葉を打ち消すようにリカルドは言葉をかぶせてきた。
「ちゃんと謝ればよかったよね、ユーリ。
後悔先に立たずだよ」
「……エリーなら、いつもみたいに許してくれると思ったんだ」
「彼女は忍耐強い包容力のある人間だが、さすがにケルベロスにやられた後は世界を恨みそうになったと言っていたよ。
そんな時に黙って見過ごしていた君が許せなかったのさ」
「僕は引き際を誤ったんだね」
「そうだね」
「これからどうすればいいと思う?」
「さぁ私にもわからない。
ただ君は自分の負った使命を、責任を果たしていくことが必要だろうね。
それはこの私も同じだ」
「僕の責任……」
「剣聖としてだけでなく、貴族として、辺境伯令息として、セーラ姫の息子として。
いろいろあるさ」
「そうだな……」
「それで1つ頼みがある。
これからここの教会で儀式を行う。
それにも立ち会ってくれないか?」
「儀式? なんだ一体?
合法なんだろうな?」
「私が悪魔と繋がるわけがないだろう」
「でも前より力が強くなっている」
「ああ、バレたか。さすがだね。
それは私を守ってくれていた光の精霊王の加護が弱まっているからさ」
「弱まっている? なくなったのではなくて?」
「それについてはまたの機会に説明するよ」
そうして2人は庭に出て、クライン家の小さな教会に向かった。
そこには正式な祭服を着たオスカーとエマに付いていったはずのソレイユ、そして祭壇の上にはモリーがいた。
彼女はベールを被り、頭にエリーの作った指輪をサークレットのように嵌めていた。
そのベールはエリーがホーリーナイトで使用したのとおそろいで作ったものだった。
「これから何をするんだ?」
「司教オスカーによる聖女認定式さ」
「聖女!
教会の許可は取ったのか?」
「モリーは聖女ソフィアよりもずっと祈りの力が強く、戦闘経験も豊富だ。
あのマドカですら聖女見習いになれるんだ。
モリーならば即聖女になれる」
「だがスライムだ。
性別なんかないだろ?」
「君は頭が固いな、ユーリ。
女性の勇者や剣聖だって過去にいた。
性別のない聖女がいたってかまわないじゃないか」
そう言われるとそうかとユリウスは引き下がった。
「話は済んだか? これからは静粛に頼む。
それでは聖女認定式を始める」
オスカーが宣言し、祈りを込めるとモリーの全身が輝いて宙に浮かび始めた。
「モリーよ、聖女としてなすべきことを答えよ」
すると壁に光を当てて、言葉を記した。
〈母のおしえにしたがって世界の苦しみをいやし、けがれをじょうかします。
そしてあくまとのたたかいに、みをとうじます〉
「聖女認定されると、その言葉に偽りがあると罰せられる。
今ならば撤回も可能だ。
いかがするか?」
〈もんだいありません。せいじょになります〉
すると教会の天井から光が降り注ぎ、モリーを照らした。
「神はそなたの願いを受け入れた。
聖女モリーよ。
言葉通り世界の苦しみを癒し、穢れを浄化し、悪魔との闘いに身を投じよ」
〈はい〉
するとソレイユが祭壇の上のモリーを背中に乗せて、別館に戻っていった。
あまりのあっさりとした儀式にユリウスは疑問を呈した。
「……これで終わりなのか?
もっと時間がかかるものだと思っていた」
「モリーの真摯な願いが神に通じたのだろう。
エリーの死は彼女を戦いに誘った。
我らクライン家はその支援をする」
「陛下は許したのか?」
「そのこともいずれで説明する。
今日はありがとう。助かったよ。
是非泊って行ってくれたまえ」
「オスカー殿は帰るのですか?」
「ああ、すぐそこだし馬車も待たせてある」
「それならば同乗させていただいても?
僕がここにいたことを近衛騎士団に知られましたので、会いたくない人間が接触してくるかもしれません」
「なるほど、例の令嬢いや子爵か。
俺の親友もそうだが、美しすぎると余計な重荷がぶら下がってくるな。
もちろん構わないとも」
「悪いな、リック。
もっと話がしたかったけど、僕のこういう予感は外れない」
「そうだね、それでは馬車まで見送ろう」
そう言ってリカルドはユリウスの肩を叩いた。
「いや、いい。
俺の馬車は裏手に隠してきたんだ。
この家は今見張られているからな」
「エリーの件で王家に睨まれていますから。
オスカー殿はここにしょっちゅういらしているのに……。
困ったものです」
それでオスカーとユリウスは正門どころか裏門ですらなく、下働きがつかう地下から抜ける勝手口を使って出て行った。
しばらく歩くと小さな無印の馬車が止まっており、2人はその中に乗り込んだ」
「こんな行き方があるのですね。
外部から侵入されませんか?」
「あの勝手口だって許しがないものは弾かれるぞ。
さっきリカルドが君の肩を叩いたのは一時的な許可を与えたのだ。
彼は抜かりがないからな。
俺がどこに馬車を置いているのかわかっていたんだろう」
「そんな彼でもエリーを守れなかった……」
「おや、君はトールセンを知っているのかね」
オスカーはユリウスがジョシュとして彼女の友達だったことを知らない。
「ええ、彼女はリックの従者ですから」
「俺とレオンは彼女に負い目がある。
彼女は彼の望まない還俗を引き留めてくれた上に、彼女の従魔を故意ではないが傷つけてしまったんだ。
しかもレオンの看病までさせてしまった。
だからあんな目に遭わせてしまって、申し訳ないし悔しくて仕方がない」
「やはり死んでいますか……」
「あれで生きていたら、ヒトではないだろう。
過去視をしたランドック伯爵夫人があまりの惨状に気絶したくらいだ
心臓を一突きされて、しかもそのままねじ切られたそうだ」
「遺体は見つかっていないのですよね?」
「ああ、ランドック夫人も彼女は倒れて少しして消えたとだけ言っている。
そしてこれ以上の捜査協力は拒否された。
精神的な負担が大きすぎて、何度も見ることができないそうだ。
話を聞くだけでもむごたらしいからな。
しかも知り合いだったそうだし」
「ええ、そうですね」
ユリウスはそのこともエリーから聞いていた。
ランドック夫人はエヴァンズの事務局員で、リカルドの側にいることをひどく心配してくれたのだと言う。
エリーは善良で優秀で好かれてもいた。
煙たがる人間もいないわけではなかったけど、殺されるほどのことはなかった。
そしてそんな人物の信頼を得ていたのに、それを失った上に助けることもできなかった。
「犯人は死んだのですよね?
魔族だったとか」
「リカルドから聞いたのか?
ラインモルト猊下が自らの命を懸けて倒された。
たとえ魔族でも逃れることはできない力でな。
だが実行犯は死んでも、黒幕は生きているだろう。
それを察してモリーは聖女になる決心をした。
スライムにはありえないほどの知力と謙虚さの持ち主で、トールセンを母と慕っていた。
本来なら彼女とサミュエル・クラインの領地へ行くことを楽しみにしていて、我々には聖女教育を受けられなくなると挨拶に来ていたのだ」
オスカーはここまで話して目を伏せた。
そして意を決したように切り出した。
「リカルドは何をつかんでいるのか知っているか?
俺には彼が何かを始めようとしている気がしてならない」
「具体的なことは何も聞いていません。
ただ聖女モリーの戦いを支援するとだけです」
「彼は確定するまでは秘密主義だからな。
悪魔との闘いは我々の課題でもある。
何かわかったら是非教えて欲しい」
「承知しました」
馬車はカーレンリース辺境伯家のタウンハウスに着き、そのまま別れた。
ユリウス自身も何かが始まっているのが分かった。
そしてそれからもう逃げられないのだ。
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ローザリアの父親はラリック公爵の庶子、つまりルーナの異母兄にあたるはずですが托卵されていたということです。
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