第705話 葬儀の前に
葬儀前の準備での役割はないにせよ、なんやかやと私も忙しい。
結局夕食もその後の2日分の食事も全部私が作ることになった。
そう言うわけでパンの仕込みに入る。
50人以上いる使用人のための食事だ。
大量のパンが必要になる。
外に買いに出てもいいけれど、普段買い物に出ない私が行くことは下手な勘繰りを招く。
もはや貴族には知られているだろうけど、正式発表がなされていないならこの家から情報漏洩は好ましくない。
でも正式発表どうしてしないのだろう?
リカルド様がいるのだから、何の問題もないはずなのに。
聞けばリカルド様が近習になられることは決まったも同然だが、新規の近習は王を選ぶことができる。
現国王と三殿下、それに王家の血筋の公爵家の方々の中から選ぶということだ。
つまり現国王は失脚する可能性だってあるということだ。
エマ様のことで契約中なのだから、リカルド様は他の人物は選べないはずだ。
王にとって有効な人質なのだ。
明日にでも彼女を連れて、領地へ行った方がいいだろうか?
でもアンソニー閣下はサミー様のお父上だ。
婚約者の私が葬儀に出ないわけにいかない。
食事の支度以外にもおかしな仕事がある。
ハウスメイドたちが贈答品の手伝いに駆り出されているので、ランドリーメイドたちの仕事があぶれているのだ。
家宰や執事、メイド長は話しかけても、後にしてくれというばかり。
それで洗濯物の回収を私に頼んできたのだ。
ランドリーメイドたちは勝手に客室やご家族の私室に入ってはいけないのだ。
だからと言って私だって許されているわけではない。
でも家族になるのだからと押し付けられた。
そうされたいわけではないけど、クライン家の家族として全く敬われている気がしない。
それで苦肉の策として客室などの普段使っていない部屋は私が入り、リカルド様の部屋はソルちゃんにリュンちゃんになってもらってシーツをはがしてきてもらった。
光のフェニックスに雑用させたと知れたら、いろんなところから非難が飛びそうだからだ。
闇だったらいいのかって話ではあるが。
アンソニー閣下の部屋は触らなかった。
でもよくよく考えたら、あの方はずっと小教会で祈っているのでシーツはキレイなままのはずだ。
むしろリュンちゃんに持ってきてもらったおかげで、部屋が荒れてしまったのでは……?
それで事と次第を説明した置手紙をドアの隙間に挟んでおいた。
こんな風に屋敷の中はてんやわんやだ。
それでも皆葬儀に向かって一丸となっていた。
死後2日目になって、ようやく王家がアンソニー閣下の死亡を発表した。
発表の遅れは国の対応を協議するためだったそうだ。
その協議内容については、追悼式が済んでからということになる。
なんとなく首の後ろがチリチリするような気がする。
これが嫌な予感ってものだろうか?
小教会にいるリカルド様とサミー様に昼食を出した。
今日のメニューはワインの搾りかすをペースト状にして練りこんだマフィンと、豆とミルクツリーのチーズのクロケット、干しきのこのスープである。
揚げ油もブドウの種からとったものだ。
これらもサミー様の領地で取れた食材で、試食も兼ねている。
肉気がないが、なかなか好評だった。
ボリュームのなさを揚げ物で補ったのだ。
干しきのこもよいうまみが出る。
季節がよくなったら、山の調査を行わわねば。
きっともっと有益なものが見つかるはずだ。
食事のあと、リカルド様に1つの楽譜を渡された。
「明日、
それで父の好きだった曲を披露することになった。
君には伴奏を頼みたい」
渡されたのは異世界の作曲者、タルティーニのトリルというヴァイオリン曲だ。
伴奏の部分はさほど難しくない。
「夕食後に私と合わせよう。
それまで練習しておくように」
そう言って、また小教会へ戻っていった。
リカルド様のヴァイオリンは気軽に流すような演奏しか聞いたことがない。
エマ様達と歌ったり、踊ったりするときに合わせてくださるのだ。
真剣に弾かれたら、どんな演奏をされるのだろう。
夕食後、皆さんの食事の給仕をしてから音楽室に向かうとリカルド様が先にいらしていた。
肩には、夜なのでリュンちゃんもいる。
「さっき部屋に戻ったらすごいことになっていてね。
賊でも来たかと思ったよ」
何でもベッドの上にあった枕や上掛けだけでなく、サイドテーブルの上の本や水差しまで床に散らばっていたそうだ。
でもリュンちゃんがすごくご機嫌でこう言ったという。
(リュン、エリーのおてつだい がんばった~)
私はすぐさまその場で平伏した。
やっぱり駄目だった。
そうだよね、聖獣フェニックスがシーツの取り換えなんかしないもんね。
「そういう時は1人でいいので、ちゃんとハウスメイドに声をかけなさい。
急ぎの仕事があっても通常の仕事を疎かにしていいわけではないのだから」
「はい、申し訳ございませんでした」
「さぁ立ちなさい。
気を取り直していこう。
まずこの作品について少し解説しよう。
作曲者は異世界人のジョゼッペ=タルティーニ、ヴァイオリンソナタ第4番ト短調だ。
今回は同じく異世界人のフリッツ=クライスラーの編曲を弾く。
この曲には面白い逸話があってね。
それによる別名もあるのだが、それが我らクライン家にはそぐわないのでタルティーニのトリルと呼んでいる。」
「その別名とは?」
「『
悪魔……それは確かに悪魔打倒を掲げるクライン家にふさわしくない。
「だが逸話を聞くと我々が狙う悪魔とは少し違うようだ。
作曲家であるタルティーニの夢の中で悪魔がヴァイオリンを弾き、そのあまりの美しさに目覚めてすぐ書き取ったものとされている」
「それでしたら悪魔というより
「その通りだ。
異世界では魔法も魔族も悪魔も全て創作物、つまり空想上の存在になっているので、どれも一まとめにして悪魔と呼んでいるようなのだ」
「あちらには悪魔が本当にいないんでしょうか?」
「見えないからと言って、いないとは限らない。
神の存在は信じているのに悪魔がいないなんてことはおかしい。
ただよくわからないから、魔族と混同していると言ったところだろう。
それはこの世界でも同じだ。
魔族が強力な魔力を持つ以外のことしか良く知られていないため、皆に恐れられているのも同じ理由だ」
よく知らないから恐れる……。
みんなが魔族の優しさや賢さを知れば変わってくれるんだろうか。
「そういえばホーリーナイトの後で、またまどかさんに魔王の国について尋ねられました。
魔王はいないのだからないと答えたのですが、諦めてくれていないようです」
「セレスというドラゴンは彼女の生きる希みなのだ。
あれもかわいそうな寂しい娘だと思う」
「……リカルド様がまどかさんに優しい言葉をかけるなんて、初めて聞きました」
「そうかい? 腹が立つ部分も多いけどね。
ミューレン子爵は狡猾で、彼女をいいように使っている。
マドカに不快なことをさせて、君にそれを負いかぶせる。
つまり後で君でないとわかっても、やったのはマドカで自分の手を汚していない。
それもわからず仲が良いと感じているのだ。
愚かとも言えるが、家族も友もなく1人で異世界から来たと思えば哀れと言えよう。
そう考えないと話をする気も起こらん」
最後は通常のリカルドさまだった。
それにしてもミューレン子爵のやり口はひどい。
彼女はいつの間に狡猾になったのだろう。
私が知っている彼女は、単純ないたずら程度のことしかできなかったのに。
「さていつもならば
まずは私の演奏を聞いてもらおう」
リカルド様の演奏はただただ圧倒された。
なにが『音楽のいとし子』だ。
この方の方がもっとすごいじゃないか!
言葉では言い表せない感動と、どこか懐かしさを感じた。
私はこの演奏を良く知っている……。
気が付くと私の目から涙が零れ落ちていた。
「……大丈夫かい?」
「はい……ただただ素晴らしく、身震いするほどでした」
「『音楽のいとし子』である君に褒めてもらえて光栄だよ」
「ハッキリとは覚えていませんが……私はこの演奏を良く知っているような気がします。
とても懐かしく、慕わしい。
……あなたは一体誰ですか?」
するとリカルド様はふわりと優しく微笑んだ。
「そうだな……僕はおにいさまだよ……」
おにいさま……。
「さあ、涙を拭きなさい。
練習を続けよう」
「はいっ!」
練習が終わり、私はリカルド様から1つの命を受けた。
「追悼式が終わり次第、その足で領地へ向かいなさい。
すべての引っ越しの準備をして、従魔たちにもその旨を知らせておくように。
もちろんカイオスにもだ。
それ以外には話してはならない。
エマは落ち着いてから、サミーに連れて行ってもらうことにする。
急いで準備しなさい。
いいね?」
追悼式の後は国の協議のはずだ。
それに私が関係しているってこと?
そんな大それたことに私はほとんど関係が……。
エクサール皇家の血を引いていることがバレてしまったんだろうか?
リカルド様にはちゃんと聞きたいことがあったのに。
もし私がエリーゼさんだとして、そのお兄様ということはモカの大叔父様ということになる。
僕とも仰っていたし。
つまりリカルド様も転生者なんだろうか?
それともサミー様の妻になる私の
義弟になると思うのだけど、私より数か月早く生まれているから
とにかく領地へ行って落ち着いてからでも、話をする時間を作ってもらおう。
レターバードでもいい。
これは私にとってとても大切な話になるはずだ。
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クロケットはコロッケの元になった料理で、食材をベシャメルソースで合わせて丸や俵型にしてパン粉をつけて揚げたものです。
グレープシードオイルは酸化しやすい油なので、具材に火が通っているこの料理は低温で上げるのにも適しています。
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