第699話 変化の時


 コルテス辺境伯との会談までの1週間の間、演技の練習だけをしていたわけではなかった。


 周辺を調査して、薬草の有無、種類、魔獣の生息地域などなど調べることはたくさんあった。

 わかったことは魔力溜まりがあまりないため、薬草も魔獣もほとんどないということだ。


 薬草や魔石が手に入らないのは錬金術師としては不利であるものの、なければ買えばいいのだから割り切ることにした。

 あくまでも領主夫人がメインの仕事で、錬金術師はサブの仕事だ。


 この領には薬師がいないので、とりあえず領主館の倉庫に手持ちのポーション類をいくつか置いて行くことにした。

 これは緊急事態には自由に使っていいと、ハックさんたちには伝えておいた。



 ただ魔獣はいないが普通の獣はいる。

 猟師、あるいは冒険者を置くことを検討しなければならない。

 仕官してくれれば兵士として雇ってもいい。

 コルテス辺境伯は攻めてこなくても、他から盗賊が来るかもしれない。

 これは心当たりが全くないので、カイオスさんに相談だ。



 この領地は西南に当たるけれど決して暖かい土地ではなく、山から吹き下ろす冷たい風のせいでいつもひんやりと涼しい。

 雨も少なく土は水はけがよいが、小麦は育ちにくいという。

 多分小麦を作るには土が瘦せているのだ。


 それで思いつくのが蕎麦だ。


 蕎麦はふかふかのパン生地は作れないものの、クレープにしたり、お菓子にしたり、技術はいるが麺にもできる。

 小麦とは違う風味もあるが、それは調理法を工夫すればなんとかなる。


 ただ一部体に合わないヒトがいるので注意は必要だ。

 これも私の状態異常に効くポーションがあれば大丈夫だ。

 村人の体質に合うかどうか調べて、ダメなら無理しないで食べないようにしてもらうことも必要だろう。


 基本的にこの土地はブドウの栽培がメインなので、その隙間に蕎麦を育てて小麦の使用量を押さえればパンがないと嘆かなくていいし、新しい名産に繋がるかもしれない。


 これらを調べて考え付いたことをまとめて、サミー様に提出する。

 このままやっていいなら、春からいろいろやるつもりだ。



 コルテス辺境伯との会談が終わって、賠償金が支払われた。

 さすがに10億ヤンは大量の金貨だ。

 すぐ支払えたのは、キース卿たちを救うために用意していたからだろう。


「カイオスさん、この金貨は王都に運びます。

 それで護衛のため一緒に帰って欲しいんですけど、そうなるとここの警備が手薄になるでしょう。

 誰かいいヒトいませんか?」


「俺の知り合いをいずれ呼ぶつもりだが、ここの領民にとってはよそ者だ。

 まずは地元の評判のいい冒険者を募った方がいいんじゃないか」


 なるほど、それもそうだ。


「あと、このマジックバッグは返した方がいいですか?」


 コルテス辺境伯が所蔵していたと思われるものが資財小屋に残っていたのだ。


「使用者登録されているだろ。

 持ってても使えないしな。

 でもあいつら今は金もないだろうしな」


「あっそれ、私解除できます」


「マジか」


「マジです」


 私の真言スキルは言語に関する能力なのだけど、なんと発動中の魔法にも干渉できるのだ。


「だったらもらっとくか。

 どうしても返せって言ってきたら、交渉すればいい」


「そうですね、この金貨を母さんのマジックバッグに入れるのはちょっと抵抗があったんです」


 だって私のものじゃないんだもの。

 もちろんマスターの作ってくれた保管庫でも同様だ。



 元の使用者登録は、辺境伯家の血筋じゃないと使えなかった。

 それを私に書き換えて中身を調べたら、私たちの資材小屋から盗んだものもあったけど、全身ミスリル製の甲冑やら、なんだか名前がついていそうな大きな魔石のついた剣やらが出てきた。

 これ辺境伯家の家宝なんじゃない?


 このマジックバッグ、本当は持ち出してはいけないものだったんじゃないかしら。

 でもキース卿は跡継ぎだからバッグが使えて、勝手に持ち出したときに捕まったと。

 踏んだり蹴ったりだな、コルテス辺境伯家。


「どうする? ドワーフにでも売り飛ばすか」


「いいえ、とりあえず預かっておいて、サミー様に相談します。

 でも返して欲しいって言いませんでしたね」


「あの会談で言える訳ないだろう」


 それもそうか。

 脚本があったとはいえ、ひどく卑怯な真似をしたとは思っている。

 でも30人の命を奪い、領民たちを苦しめた罰だ。

 だから売却はしない。

 辺境伯が代変わりしたら、これを使って取引材料にするのがよさそうな気がする。



 村長が町に行くというので警備の冒険者を雇いたいと依頼を出したら、戻ってきた時には2人連れ帰ってきた。

 元々この村の出身で命惜しさに出て行った人たちだった。

 でも強い盗賊はもう来ないし、新領主が就任したというので門番として仕官したいという話だった。


 コルテス辺境伯領からは来ないけど、他から絶対来ないとは限らないんだけどね。


 でも2人ともCランクで、屈強というほどではないがとりあえず真面目に冒険者していたようだ。

 村人たちも彼らの帰還を喜んでいる。


「私はまだ婚約者なので、あなたたちを正式に採用できないんだけど仮採用でもいいかしら?

 戻ってきたらちゃんと採用して収入などを決めましょう。

 あと繁忙期には農作業を頼むかもしれないから、それは覚悟してね」


 とりあえずの金額はCランク冒険者の護衛の時の依頼料と同額にした。

 ギルドに手数料を払わなくていい分、雇う側も雇われる側もお得だ。


 支払いは週払いで、ケン村長に3か月分ほど預けておいた。

 渡したら毎回サインをもらい、帳面につけるように指導した。

 まとめて渡すと持ち逃げの恐れや、娼館・博打などで一気に使い切ってしまうことがあるからだ。


 でも心配いらないかな。

 この村は男性が少ないから、未婚の女性たちが彼らを放っておかないだろうから。



 そしてその他もろもろを済ませて、私たちは王都に帰った。

 エマ様たちの元に早く帰りたかったし、ホーリーナイトの練習とラインモルト様たちとのお茶会があるのだ。


 ホーリーナイトは私が『音楽のいとし子』に認定されたため、結婚しても毎年出るように言われている。

 教会へのご恩返しにもなるし、それ自体は別に構わない。


 約束の時間に大聖堂カテドラルを訪れると、みんなが練習している。

 私が着いたと言づけると、いつものように奥に案内された。

 司教になられたレオンハルト様は表の練習には付き合わないのだ。



 だが再会してみると、ひどく疲れた様子だった。


「ああトールセン、来てくれたか」


「はい、レオンハルト様。

 いかがなさいましたか?」


「今回のホーリーナイトの合唱に女性がいるんだが、2人ほどしつこいのがいてな」


「司教様が基本的に還俗できないのをご存じないんですか?」


 例外はある。

 一族の断滅や純潔でなくなった時にだ。


「知っているとは思うが……愚痴になるのでこれ以上話しかけたくない。

 あと他にも少しな」


 ああ、拒否反応がひどいな。

 お疲れ様です。

 私はカバンの中に忍ばせておいた特効薬を渡した。

 モカでも、モフモフしてください。



 ひとしきりモフると、レオンハルト様は落ち着いたようだ。

 今も膝の上に乗せたままだけど。


「オスカーから手紙は受け取ったが、返事を出せなくて済まない。

 婚約したそうだな」


 いえいえ、レオンハルト様から手紙をもらったと知れたら何かと怖いですから返さなくて結構です。


「はい、リカルド様の騎士サミュエル・クライン子爵さまと婚約いたしました。

 ホーリーナイト後は西の領地へ参ります」


「そうか。

 君にはいろいろ世話になった。

 幸せに暮らしてくれ」


「ありがとう存じます」


 それから2人ですごく集中して練習した。

 お互い忙しいから、合わせられる時間があまりないのだ。

 練習が終わるころにはすっかり顔色が良くなっていた。

 嫌なことを忘れるって重要だよね。



「ふぅ、久々に気持ちが晴れる演奏ができた。

 ありがとう」


「こちらこそ、楽しかったです」


「世の中の女性も、君のように容姿で態度を変えない穏やかな人物だといいのに」


「私は魔族やエルフの血を引く方々と一緒のクランにいましたから、美しい方々は見慣れているんだと思います。

 レオンハルト様は精霊様の加護がお強すぎるのでしょう」


 そういえば私はヒトに関しては、見た目でときめいたことはないな。

 キレイなことは素敵だし悪いことじゃないけど、それよりも心の方が重要だ。

 美しくてもひどい方はたくさんいるし、平凡な容姿でも心根のまっすぐなヒトもいる。



「君に相談するのもおかしいが、少しだけ話をしてもいいか?」


「構いません」


「実はもうすぐコンクラーベがある」


 コンクラーベとは枢機卿の中から教皇を決める会合のことだ。

 それをなぜ私に?


「実はラインモルト枢機卿が、私を推薦したのだ。

 あの方は枢機卿と名乗ってこそいるが前教皇であり、今もその責務を負っておられる。

 だがさすがにお体が弱っておられるそうなのだ」


 そんな! ラインモルト様が?

 聖属性の方々は普通の人々よりもずっと寿命が長いし、病気にもかかりにくいはずなのに。


「見た目よりもずっとお年を召されているのだ。

 今度あの方に会うのだろう?

 是非体をいたわって差し上げてくれ」


「もちろんです」


 今日から毎日バフリコーダーで祈ろう。


「それともう1つ、君から見て私は教皇にふさわしいだろうか?」


 私は考えた。

 レオンハルト様の欠点は、愛想がないことと女嫌いぐらいだ。

 だからといって女性を差別をしたり、イジメたりはしない。

 金や名誉や色恋沙汰で、お心を揺らすこともない。

 祈りの力も強く、善良かつ公平なお方だ。


「私はふさわしいお立場だと思います。

 他の枢機卿猊下や司教様よりはお若い分経験は不足されているかもしれませんが、いつも真摯に祈っていらっしゃいます。

 私に投票権があれば、レオンハルト様に1票を投じます」


「そうか、辞退するべきか迷っていたのだ。

 オスカーは私に近すぎるし、かといって他の司教や司祭だと私の考えを外に漏らすやもしれぬ。

 君は清廉だから、率直かつ信頼できる答えをくれると思ったのだ。

 ありがとう」


「恐れ多いことですが、参考になれば幸いです」



 教皇聖下になられたらこのように話をしたり、モカに会わせたりする機会はなくなるだろう。

 選ばれなくても枢機卿になられる可能性が高い。


 でもそうなれば今のように外部の女性からのアプローチはなくなって、心安らかになられるはずだ。

 それは誰よりも真剣な祈りを捧げているこのお方にふさわしい。


 今度のホーリーナイトはいつも以上に心を込めて演奏する。

 それを私のもう一人の音楽の師匠であるレオンハルト様に捧げよう。

 それがこの方の祝福になりますように。


 レオンハルト様も前に進もうとしている。

 私たちは変化の時を迎えようとしているのだ。



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