第365話 ピアノレッスン


「ドラゴ君、申し訳ないが本邸の出入りはエリー君だけにお願いしたいんだ。

 彼女の無事は私が命に代えても守る。魔法契約を結んでもいい」


 クライン様がそうおっしゃるのには訳がある。

 代々、王の近習として国の機密事項に携わってきたから秘密保持のため、屋敷そのものが結界魔法で要塞のようになっているそうだ。


 そのため、魔力の強すぎる魔獣やヒトを入れるにはクライン伯爵の許可と術式の書き換えが必要になるのだ。

 1つ1つの部屋も盗み聞きや泥棒が出来ないように、かなりの防犯魔法が仕掛けられているそうだ。


「わかった。でも屋敷の前までは行く。

 エリー、エマの別館で待ってるからね」

 ごめんね、ドラゴ君。

 すぐ終わらせると言いたいけれど、初めてだからどのくらいで終わるのかわからない。



 クライン家本邸に入ると、家令のローグさんがサッと現れた。


「おかえりなさいませ」

「今日から王命によって、エリー・トールセンの音楽教育をすることになった。

 この音楽教育については機密事項なので、誰にも話さないように。

 彼女を脅かすことも何人たりとも許さない。

 たとえ父上でもだ」

「かしこまりました」

 現近習であるお父上のクライン伯爵でも? 王命だから?



「それでも不届き者が出るかもしれない。

 その場合はお前の責任において処せ」

「仰せのままに」

「彼女には個人練習の必要もある。その場合はサミーをつける。

 私がいなくても対応を変えるな。

 では頼んだぞ」

 不届き者ってどういうことだろう?


「トールセンが屋敷から出たら襲うということだ」

 ダイナー様、そんな怖いこと、サラリと言わないでください。


 クライン様がそのまま歩き出したので、ローグさんは深くお辞儀をし、私はその前を会釈して通り過ぎるしかなかった。

 特に睨まれるとかもなかった。



 音楽室は1階の奥の方にあった。

 それはとても過ごしやすそうな美しい部屋だった。

 特に窓からの眺めが素晴らしかった。

 手入れされた庭が一望でき、窓を額縁にした絵画のようだ。

 壁紙にも花があしらわれていて、どちらかといえば女性的なしつらえだ。


「ここは本来なら伯爵夫人が手紙を書いたり、友人を招いたりする部屋だ。

 多分この屋敷で一番いい部屋だよ。

 母は別宅に住んでいるので使っていない。

 それで私がこのピアノを賜ったときに、使わせてもらうことにしたんだ」


「とても素晴らしいお部屋です」

「このピアノは国宝なんだ。300年前の勇者が持ち込んだものだよ」

「まぁ! 私が触っていいんでしょうか?」

「楽器は使わなくては痛むからね。ふたを開けてみて」



 私は言われるがまま、鍵盤の蓋をあけた。

 するとダイナー様がハッと息を飲み、クライン様はつぶやいた。

「やはりね」

 えっ? どういうことですか?


「このピアノは人を選ぶんだ。今のところ、蓋を開けられるのは私だけだった。

 それで私が弾いて保全することになったんだ。

 賜ったといっても正しくは貸与だね」

「私がそんなすごいものを……」

「ソルが懐くから、もしかしたらと思っていたんだ」



 ソルちゃんはこの世に1羽だけのフェニックスでクライン様が誕生されたときにその枕元に降り立ったそうだ。

 その場で自らを炎で焼き尽くし、灰の中から卵になって生まれ直したのだという。

 その折に、一つの預言を残した。


「私には使命があるんだそうだ。だからそれまでソルが守ってくれるんだよ」

「その使命とは?」

「明かされていない。私は予想しているけどね。

 だから次期近習と呼ばれているけれど、使命の方を優先しなくてはならない。

 私が錬金術を学んでいるのもその予想に向かってなんだ」

「そうなんですか……」


「だからソフィア殿も開けられるかもしれないね。

 ただ彼女をこの屋敷に招くことは出来ないから、それを確かめられないけれど」

「どうして呼べないんですか?」

「ソフィア殿は王家に嫁がれるか、教会で神にその身を捧げるかの2択しかない。

 そんな彼女を男がウロウロしている個人宅に招くなど、彼女の貞操が疑われる」

「そんな!」


「そういうつまらぬことを言うやつはいるんだ。

 彼女が結婚しなければ、自分の娘が殿下の妻になれる可能性が上がる。

 貞操に関してはヴェルシア神の裁定では機能しない。

 双方の同意によっての行為は罪ではないからね

 だから少しでも疑いを持たれるようなことはしてはならないんだ」


 あんなにつつましやかで優しいソフィアをそんな風に言うなんて!

 女子寮の私の部屋に来てくれた時も、『常闇の炎』のサロンも来てくれたけど、大丈夫だったのに。

 そうか、結局言いがかりをつけるなら、政敵の家の方がいいんだ。



「さてそんなことよりもレッスンしようか。

 まず私が見本を見せた方が早いだろう

 そのまま同じように弾いて見せてくれ」

 えっ、もうそんなところから始めるんですか?


「私触ったこともないんですが……」

「いつも授業でやったこともないことをすぐにやってのけるじゃないか。

 これはレッスンで失敗してもいいんだから。

 楽譜は読めたよね?」



 クライン様は椅子に座って、楽譜も見ずにピアノを弾き始めた。

 思ったより早くて難しい曲だ。そして素晴らしくうまい!

 軽やかな音が戯れているようだ。素敵‼

 私は感動して手が痛くなるほど拍手した。

 そのあと手を使うことを思い出して、アクアキュアしておいた。



「ありがとう。

 これは異世界の作曲者、ショパンの『子犬のワルツ』という曲だ。

 この速度だと難易度は上がるけれど、ゆっくり弾くこともできる」

 そう言ってゆっくりも弾いてくれた。


「まるで眠いけど遊びたい、でも眠いって感じになりますね」

「面白いだろう? 

 でもこの速度だと本当に眠りそうだね。好きな方を弾いてみるといい」


 クライン様が立ち上がって、私がピアノの前に座る。

 ぽーんと一音鳴らせてみる。

 うわぁ、すごくいい音だ。

 あっ、私弾けそう。

 スキル取得大、すごいです。



『子犬のワルツ』は、ゆっくりの方も、早い方も弾けることがわかった。

 クライン様はフフっと笑った。

「ふむ、この程度だと問題ないみたいだね。もう少し難易度をあげてみよう」

 えっ、もっとですか?

 結構、容赦なく難易度が上がっていきました。



 そんな感じでみっちり2時間ほど、練習した。

 私としては指がなじんでいい感じだったのだが、クライン様に止められた。


「今日は遅いのでこの辺にしよう。

 1日に長時間練習するよりも毎日少しでもいいから練習するほうがいいんだ。

 明日は用があるので、私は教えられない。

 今日教えたことをさらっておくように」

「かしこまりました」



「リカルド様、トールセンに練習の必要はないと思います。素晴らしい演奏でした」

 いつになくダイナー様が興奮したご様子だ。

 そんなによかったのかな?


「うーん、こればっかりはね。

 私たちはいつも一緒にいる、いわば身内のような存在だ。

 でもエリー君が演奏するときはそうではない可能性が高い。

 野次もとぶかもしれない。

 そんな中で緊張せず演奏するためには、何度も何度も練習を重ねて、頭が白くなっても演奏できるようにしなくてはならないんだ」


 ああ、似たことをレオンハルト様に言われたことを思い出した。

 クライン様はレオンハルト様にピアノを習ったのかな?



「ダイナー様、ありがとうございます。私練習します。

 ピアノを弾くのは楽しいので苦ではありません」

「うむ、頑張ってくれ」


「ピアノを弾いているとついつい長時間練習したくなるんだ。

 だからサミーは練習時間も見てやってくれ。最長3時間だ。

 エリー君は練習したいものをしてくれて構わない。

 ただショパンかベートーベンがいい」

「どうしてですか?」


「レオンハルト殿がまどかに教えているのがその二人の曲だからだ。

 彼女は異世界人だから異世界の曲が馴染み深いのだろう」

 そうなんだ……。どちらにせよ、私は頑張るしかない。



 私はお暇しようと席をたった。

 きっとエマ様たちもお昼寝から目覚めてらっしゃるはずだ。


 楽譜を片付けて、蓋を閉めようとしたときクライン様から声がかかった。

「ピアノの蓋は開けておいてくれ。鍵盤にカバーはかけておくように」

「どうしてですか?」

「君が蓋を開けられることはここにいる3人だけの秘密にしたほうがいい。

 国宝が使用できるということは他にも使えるのではと勘繰られて、実験台にされるのは嫌だろう?

 蓋が開いていれば、私が開けたのだと皆が思うだろう」


 それはとても嫌です。忙しいですし。

 私はクライン様の提案に乗ることにした。



 ヴェルシア様、『令嬢対決』なんとかなるかもしれません。

 負けても悔いが残らないよう、精一杯努力します。

 どうか、見守ってくださいませ。


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リカルドとエマの母アナスタシアは当時正妻として認められていなかったので、別館でリカルドを生みました。

だからソルちゃんはリカルドの元に降り立つことができたのです。

もしかしたら本邸でも、結界ぶっ壊して入ったかもしれないけど。


クライン邸は王都に広大な地所を持ち、本邸と小さな別館が5つあります。

別館は正妻候補(愛人)のための家です。

この1つをリカルドは今エマの守りのために、使っています。


アナスタシアが住む別宅は同じ地所ではないです。だから別宅。


クライン家の家臣は実質の主をリカルドだと思っていますが、名目上は現クライン伯爵を立てなくてはいけないので、書類やいろんな許可の変更はリカルドにはまだできません。


7/16 誤字修正 内容に変更はありません。

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