第327話 夜逃げ


 その部屋には私とマスターだけだった。

「みんなは?」

「さっきの草原の階層にいるが。呼ぶか?」

「いえ、大丈夫です」


 そのやり取りの間にマスターは机といすを設えて、私に座るよう勧めてくれた。

 座ったと同時に、お菓子とお茶が出てきた。

「とりあえずそれ食って落ち着け。お前の話したい順でいいから」



 私は話した。

 母さんが滅亡したサクリード皇家の血筋をひいていること。

 血筋を残すための結婚を嫌い冒険者になって、今も国から逃げていること。

 母さんと私のことを知られると、一生子どもを産む道具にされてしまうこと。

 同じく国外に出さないといけない子供がいるので、その子を連れて国外に逃げようと思っていること。


 そのせいで、『常闇の炎』の仕事がしばらくできないかもしれないこと。

 その計画段階で異世界の聖女が現れて、母さんがセードンに戻ってきていること。

 それで家族全員で南の山越えをして、砂漠を超えようと思っていること。

 身の安全が確保されたら、『常闇の炎』の仕事を再開したいこと。


 思いつくことは全部話した。

 マスターを信じなくて誰を信じていいかわからないから。

 エマ様のことは魔法契約のため話せなかったが、マスターは聞かないでいてくれた。



 マスターは目を閉じて私の話を聞いてくれた。

「南はダメだ。お前の父親では無理だろう」

「魔道具で何とかしようと思っているんですが」

「いや、山越えが出来たとしても、あそこには魔力でひっかかる罠がある。

 魔力持ちは助かるが持っていないものは殺される。

 利用価値がないからな。そしてお前の父親は魔力がほとんどない」


「その罠をひっかからない方法はないんですか?」

「あるが、やめておけ。あの山脈を超えることも命がけだ。

 しかも南の国は見た目からして違う。明らかな外国人のお前らは目立つだろう。

 よそ者に厳しい土地だ。

 お前の言った子どもを産む道具よりももっと悲惨な目に遭うだろう」

「そうですか……」


 姿替えの魔法を使えば少しはごまかせるかもしれないが、永久に使い続けることは出来ない。

 それに山越えで私たちの誰かが欠けるようなら意味がない。


「異世界の聖女はもう王都へ向かった。

 もう少ししたら、ルエルトが落ち着くはずだ。海路がいい」

 やはり、初めの計画がいいのか……。



「だがお前の母親と同行した冒険者はみんな王都へ向かったのだろう?

 噂が広まるのは早い。

 それなりに有名な冒険者で女騎士のような戦闘スタイルに、特徴や年齢が合致する。気が付くものがいないとは限らない」

「これまで発覚しなかったのに……」


「セードンと王都は近すぎる。

 ニールほど離れていれば1か月前にあった冒険者の話はしないが、半日前に会った冒険者の話は酒の肴にするだろう。

 お前の母親は目の覚めるような美人だしな」

「母さんにすぐ出るようにいいます!」



 するとマスターは「遠見グランドビュー」とつぶやくと、目の前に出立の装いをした母さんとそれを見送る父さんの姿があった。


「お前の母親は気がついているな。今夜中に立つようだ」

「そんな……母さん」

「この用心深さが彼女を救ってきたのだ」


 そしてマスターは私の腕を掴むと、「転移メタスタスィス」と唱えると、私たちは父さんと母さんの前にいた。

 周りが煙幕を張ったように見えない。

 マスターが私たちを隠してくれているのだ。



「エリー! それにビリー様も」

「久しぶりだな。時間がない、要件を言う。

 2人にはこれからすぐにルエルトへ出立してほしい」

「ルエルトですか? 私はいいですが……」

母さんが困ったように父さんを振り返った。


「申し訳ないんですが、俺はここの仕事を置いていけません」

「ルードを呼ぶ。姿替えさせるから心配いらない」



 マスターは父さんと母さんに計画を指示した。

「ルエルトから商船がでる。俺も同行するので心配はいらない。

 トールとマリアは向こうにある『常闇の炎』の支部に身を寄せるといい。

 落ち着いたら好きにしてもらっても構わないが、エリーと連絡が取れた方が安心だろう」


「そんな! エリーを助けていただいただけでも、大変な御恩ですのに。

 これ以上お世話になる訳には……」

「エリーにはウチの仲間の子どもを助けてもらった。

 命の恩には命で返すべきだ。エリーが救ったのは3人。

 エリーは1度助けた。これは残りの2人分だ」


「どうか、どうか残りの2回もエリーに」

「ううん、母さん。私には従魔のみんなもいるし大丈夫だよ。

 私は父さんと母さんが無事でないと心が休まらないの。

 お願いだからマスターと船に乗って」



「時間がない。あとはルードとエリーに任せて、ルエルトに行くんだ。

 10日後にロイド商会の船が出る。その時に会おう」

「マリア、ここはビリー様のお言葉に甘えよう。

 これまでがずっと運が良すぎたんだよ」


「……わかりました。どうぞエリーをよろしくお願いします」

「俺に何ができるかわかりませんが、この御恩は一生かかってでもお返しします。

 エリー、ごめんな。ふがいない親父で」

「そんなことないよ。父さんと母さんがいて、私ずっと幸せだもの。

 これからも幸せでいたいから二人とも無事でいてね」

「恩はこちらにある。気にするな。では行くがいい」



 そうして急いで支度した父さんと母さんはそのままルエルトの街道へ向かっていった。

 王都のように、この街に関所がなくてよかった。

 夜出る人はあまりいないが早朝にならいる。

 旅なれた母さんと一緒だから父さんも何とかなるはずだ。



来いサモン!ルード」

 マスターがトンと地面踏み鳴らすと、召喚陣からルードさんが現れた。

 ルードさんは見たことのない珍しい衣服を着ていた。ヒノモト国のものだろうか?

 マスターが命令を下すと少々面倒そうだった。


 向こうで修行中なのに離れると断ることもできなかったと文句を言ったが、父さんが死ぬと2度と父さんのパンは食べられないと聞くと、やる気を出したように頷いた。

「トールさんのパンが美味しい秘密を俺はまだ解明してないですからね」

「御託はいい」


 マスターがルードさんのおでこを指ではじくと、王都三大美男と言われた秀麗な顔は消え、父さんそっくりになった。

「これでいい。少々味は違うかもしれないが、ルードもそれなりの腕だ。

 店のことはエリーから聞け。いいな」

「はい、マスター」



 私はルードさんに子どもたちが店員の見習いに来ていることなどを説明した。

「お任せください。トールさんは私のパンの師匠でもありますからね。

 接客は子どもたちに任せて、パンを焼き、お金の管理をすればいいんでしょう?

 あとは何とかしますよ」

「いろいろとお世話をかけますが、よろしくお願いします」



 私はマスターにお礼を言った。

「マスター、私たちを助けてくれてありがとうございます」

「これからが大変だぞ。ルードも永遠にトールのフリはできない。

 だからトールは死んだことにする」

 びっくりして二の句を告げないでいると、マスターはフッと笑って私の頭を撫でた。


「もちろん本物は船の上だ。お前は葬式を出すだけだ。

 もちろん、俺たちがバックアップする。お前は黙って座っているといい」

「どうしてそこまでしてくださるんですか? 私はまだご恩返しできていません」


「もちろん、頼みたいこともある。これはお前にしかできないことだ」

「何でしょうか? 何でもやります」

「だが心がちぎれるほどの痛みを伴うかもしれん」

「父さんと母さんの命には代えられません」



 マスターは一度目をつぶって、意を決したように言った。

「セルキーたちにルシィを返してやって欲しい。

 あの群れには次代の王が必要なのだ」


 私はそれを聞いて、心臓が掴まれてギュッと握られたような痛みを覚えた。

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