第155話 裏『常闇の炎』


「ビアンカ、さっさと乗れ」

 ジャッコがめんどくさそうに声を掛けた。

「もう急かすんじゃないワヨ」

 ビアンカが馬車に乗ると、中でビリーが座っていた。



「なんだ。マスターがいるなら、アタシが行かなくてもいいじゃない」

「ダメだ。お前はエリーの血を飲んだ」

「あれはどう考えても不可抗力デショ。エリーちゃんがアタシの針で指をついたりするから」

 ビアンカはブーたれたが、ビリーは引かなかった。


「エリーはお前好みだろうが」

「アラ、アタシの最高の好みはユーダイだもの」

「それはそうだが」

「最高に出会ったら、それ以下は全部一緒ヨ」

「それでも上書きしておけ」

「しょうがないワネ」



 血に狂う吸血鬼のことはビアンカが一番よく知っている。

 もちろんエリーの1滴の血でビアンカは狂ったりしないが、上書きするぐらい簡単なことだ。

 ビリーが安心して幸せでいてくれることこそがユーダイの希望で、ビアンカの使命なのだから。



 馬車は表通りの美しい街並みではなく、ごちゃごちゃした裏道を入っていった。

「フーン、カイの奴こんなところにいるの?」

「ああ、ヴァスラフという教会ダンジョンの管理者のふりをしている」

「教会?またアタシたちヴァンパイアとはかけ離れたところに」


「だから見つけられなかったんだ。それにダンジョンの管理だから聖属性魔法にあまり触れずにいられたみたいだ」

「どうしてわかったの?」

「エリーが複写した教会ダンジョンの名簿に奴のサインがあった」


「つまりリッチは」

「奴がいれた。あいつは下級吸血鬼でも眷属に近いから力がある。吸い取った人間の容姿を擬態するぐらいなら出来るだろう。調べたら元々無口で人付き合いの悪い人間だったらしい」

「ソウ……」


 それならばどうしようもないとビアンカは思った。

 しかも今吸血鬼で最も高位のビアンカの命に背いて、人間の血を吸って殺しているのだ。



 馬車は場末の汚い酒場に着いた。

 ビアンカはためらいもせず入っていく。

 周りの破落戸ごろつき共が、高価な身なりをしたビアンカに注目する。

 その視線には関知せず、お目当ての人物を見つける。

 クランにいた時はすらりとした美青年だったが、今は年老いた小さな男の姿だった。


「はぁ~い、カイ。お・ひ・さ・し・ぶ・り」

「ビ、ビアンカ」

「アタシが来たってことはどういう意味かわかるワヨネ」



 ここは奴隷商人を追うはずだったカイが隠れていた破落戸どものアジトだった。

 場末の潰れた酒場をそのままに、2階には女の嬌声も聞こえる。お楽しみの真っ最中なんだろう。

 ビアンカを見て怯むカイを尻目に周りにいた破落戸どもが騒ぎ出した。



「何だよ。ただの男おんなじゃねーか。おじょーちゃん俺らに可愛がって欲しいのかよ」

 ゲラゲラと破落戸共が笑うなか、カイだけが顔面蒼白になっていた。


「そうヨ。アタシと遊んで欲しいの」

「男おんななんか興味ねーんだよ。さっさと消えな」

「アラ、せっかく来たのに。もっと優しくしてヨ」

「うるせーんだよ」


 破落戸の1人がビアンカに殴りかかろうとしたその瞬間、男の腕が落ちた。

 痛みの余り後ずさった男の首、胴体、腿がぶちっと切断され、男の体が砂になって消えた。



「な、なんだ?魔法か?」

「アラ、違うわヨ。アタシ、ヴァンパイアなの。だから今血をいただいたワ。ゴチソウサマデシタ」

「血をだと?」

「そうよ。この部屋の中はもうアタシのものなの。アタシの糸からアンタたちは逃れるすべはないワ。ダイジョウブ。一滴残さず全部飲んでアゲルから」

 そう言った瞬間そこにいたカイ以外の全員の首が落ち、すべての体が砂になって、その砂も消えた。



 ビアンカがもつ針や糸はすべてビアンカの魔力によって出来ていた。

 その糸でドレスを縫うことはなかったが、使いやすいので針は魔力製のものを使っていた。

 その針でエリーが指をついた時に彼女の血を飲んでしまったのだ。



 カイは一瞬の惨劇に、しりもちをつきその場で失禁した。

 ヒトの血が混じった下級魔族のカイと強い魔力から生まれた始祖と同等の力を持つ上級魔族ビアンカでは格が違いすぎた。

「アラヤダ、カイったらおもらしなんて。お行儀ワルイワヨ」

 そういってビアンカはカイに近づいた。



 きっとその機会をうかがっていたのだろう。

 カイは隠し持っていた短剣をビアンカの心臓に刺した。銀の短剣だ。

 だがビアンカは何事もなかったかのように1本目のぬい針をカイのこめかみに刺した。

 カイは驚愕で何も言えなくなった。



「ウフフ、伝承ってよく間違ってるのヨ。カイ知ってた?」

「い、や」

 針を刺されたカイは声も出せないほど怯えているのに、むりやり絞り出すように声を出さされた。

 次には頸椎に刺した。


「なんかネ。アタシたちヴァンパイアが心臓を銀の楔に打ち抜かれると砂になるって話なんだけど、上級はネなんないワヨ」

「そう、なんだ」

 この返事もビアンカが喉に刺した針が無理やり声帯を刺激して出させていた。


「アタシが食事をした相手の体が砂になるの。だって血も魔力も生気も全部飲んじゃうカラ」

 なぁ~んにも残んないのヨとビアンカは嗤って、どんどん刺していった。

 ビアンカが針を刺しているところは神経が集中し、自由を奪い素直になる部分なのだ。



「ネェ、カイ。どうしてアタシたちのこと裏切ったの?別に嫌だったらいつでも抜けていいって言ったよネ」

 カイが『常闇の炎』を嫌になって逃げただけなら、追いかけなかった。


 だが彼は自分の力を、ヒトを害するために使い始めたのだ。

 仲間の子どもを売り、奴隷商人を見逃したのだ。

 殺した人間のふりをしてダンジョンにリッチを入れたのだ。



「俺は、魔族の国が欲しくなったんだよ。マスターは絶対作ってくれないからな。

作ってくれる奴が現れたからそっちについただけだ」

「じゃあ、誰が作ってくれるの?」

「元大賢者のリッチだよ。魔族の国があれば人間なんかにへいこらしなくていいんだ。あんただってそう思わないのか?」

「そうネェ、アタシはへいこらするだけでコッチの思い通りになるなら別に気にしないワネ。で、そのリッチはどこにいるの?」


「知らない」

「ウ・ソ」

「本当だ。俺は仲間になったところだから教えてもらえなかったんだ」

「じゃあ、教えてもらえているヤツのこと言いなさいヨ」

「言えない」

「フーン」



 ビアンカは針を足裏に刺した。

「魔法契約したんだ。言えば死ぬ」

「言わなくても死ぬワヨ。ゆっくりと殺してアゲル」

「頼む。助けてくれ!俺はまだ」



 ビアンカはとても美しく愉しそうに微笑んだ。

「【鉄の処女アイアン・メイデン】」



 カイの体は宙に浮き、黒光りする影に覆われ始めた。影はヒト型を取り始め蓋が開いた。中は全面針が突き出てている。

「カイ、言いたくなったら言ってもいいわヨ。そしたらアタシの気持ちも変わるかもネ」

 ビアンカは返事を待たずにカイをそのまま拷問具の中に包み込むと影共々消えた。

「でも一度裏切ったヤツは何度でも裏切るのヨネ」



 2階からジャッコが下りてきて、

「首尾は?」

「黒幕は元大賢者のリッチだそうヨ。他にも魔族が絡んでいるわネ。そっちは?」


「ただの人間だった。大したことは何もない。元大賢者のリッチとは教会ダンジョンに現れたものか?」

「そうは言わなかったけど、可能性は高いワネ」

「だったら今後のためにも是非テイムしよう」

 ビアンカとジャッコは昏い笑みを浮かべた。



 そこにビリーがの済んだ酒場に入ってきた。

「ここは悪魔の匂いがするな」

「アラ、それじゃあルード大喜びネ」

「ああ、そうだな。カイはヤツに渡してくれ」

「了解~♪」


「おい、ビアンカ。そのままで出るな。刺さったままだぞ」

「アラ、忘れてた。納品用だったのに穴が開いちゃったワ。マスター、直して」

「しょうがないな。音楽会はエリーとの約束を守るためだったからな」



 この世にただ一人の上級ヴァンパイアのビアンカ、ネクロマンサーでもある獣たちの王ジャッコ、ここにはいないが悪魔を付け狙うハーフダークエルフのルード。

 そしてビリーこと魔王ウィルドシアム。



『常闇の炎』の裏の部分は彼らによって支えられているのだった。





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