許せない

 こんばんは、最近引き籠りまくって体力の低下が著しい夜宵です。


 先日、僕、ある人が


『意見の合わないひととは仲良くできない』


 と言っているのを聞きました。


 疑問に思いました。誰でも少しずつ意見や気持ちに差はある筈だと。


 それだけではありません。ネット界隈にいるとよく見る光景ですよね、炎上や、誹謗中傷のコメントって。僕はこの2つの事件(?)の共通点を見つけてしまいました。ずばり、


『許せない心』


 です。


 これは誰かの意見を『許せない』と思ってしまうこと、自分色に染めたくて仕方なくなってしまうことです。


 そういう意見もあるよね、で済むことを戦争や大火事にしてしまうのは、この許せない心だと思うのです。許せないから、批判する。叩いて叩いて自分と同じ意見にさせて、『正した』つもりになってしまう。行動や言動に正しさや間違いはあっても、心情や気持ちや意見に正しさや間違いは無いと思います。自分の気持ちが、自分の正しい答えだと思います。正しさは自分が決めるものだと思います。


 意見や考えには、その人ひとりひとりの過去や物語が背景に存在しています。それをひとつひとつ全て理解しきることは、たしかにできません。だけど、その人の意見を自分とは違うと思っても、それもありだよね、と心の隅っこで、ちょっと許すだけでいい。


 たとえ自分が持っている大切な意思と誰かの正しさが違っても、自分と同じにする必要なんて無いんです。


 でもやっぱり、自分の意見に反する意見には知らず知らずのうちに否定的になってしまったり、ついなにか言いたくなったり、自分の意見を間違いだと言われてしまうことだってありますよね。人間は共感して欲しい生き物ですし、否定され続けたら辛くなってしまいますから、それも仕方のないことだと思います。人間らしさだと思って諦めるしか無いのかもしれません。


 今僕のことばを画面越しに見ている貴方が、他の誰かを許す気持ちを意識するようになっても、自分以外に否定的な人に、心ないことを言われることはあると思います。


 誰もがみんな、同じ風に優しい世界じゃないです。


 誰もがみんな、同じ風に強い世界じゃないのです。


 貴方だって、勿論僕だって、人と違う優しさや強さ、無神経さや弱さを持っているんだと思います。


 それを誰かに、許されて生きてるんです。


 我慢しても、それに気付いてくれる人ばかりじゃないですし、優しくしても必ずしもそれが帰ってくる世界じゃないです。


 でも多少なりとも、そんな世界を許しながら僕も貴方も生きているんです。


 必ずしも優しくはない世界を許せる貴方が、身の回りの小さな無神経を許せないはずないです。


 貴方なら、きっとできます。


 否定したらそこで終わりな誰かの世界を少しだけ覗いて、自分の中で咀嚼して、得られるものだってあるかもしれないですよ。


 許容から始まる変革だって、あるかもしれないですよ。


 それに、自分と違う考えのひとがいるからこそ、誰かと意見がバッチリ合ったときの感動って凄くないですか?


 身の回りのあらゆる人間、自分とは少しずつ同じで少しずつ違う。みんな同じでみんな違う。


 その差に傷つくことはたまにあるけれど、この傷だって、僕の経験値だから。僕が頑張って生きた証だから。


 まだまだ、頑張って生きられます。


 ホドホドに頑張ってください。


 夜宵でした。

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