知られることが怖い。
僕は、少し前から自分のことを書きたい、と思ってた。
だけど、それは結局下書きのまま終わってしまい、何話も書かないまま削除してしまった。
僕は言いたいことをうまく言えるタイプじゃないのだと思う。
日常会話程度ならよくても、弱いところやこころで感じていること、言いたければ言いたいことばほど、知られてしまうことが怖いんだ。
僕には兄が居た。もうどこにいるのか分からない兄だが、反抗期なのか、やたらに荒れていた時期があった。
僕は小さい頃から
『お兄ちゃんとお母さんは喧嘩ばっかりで大変だから、僕は怒らせないようにしないと!』
みたいな節がある、子供らしく無い嫌な子どもだった。今もそうだが。
自分のストレートな意見より先にそういうことを思ってしまうので、僕が自分の言いたいことをちゃんと言うことはあんまり無かった。
そのせいなのか、僕は自分より相手を優先(って言えば聞こえはいいが、単なる媚売りかも)することが当たり前みたいな、
『みんな悩んでるから、僕が聞いて励ましてあげなきゃ!』
みたいな、よくわからん正義感を持つようになった。
それのせいなのか、だんだん、僕は自分を知られてしまうことが怖くなった。
もちろん原因はそれだけじゃないと思うけれど、僕にとって、僕がどう感じているか、今どういう状況か、なにが好きでなにが嫌いか……などを知られてしまうことはとても怖いこと。
否定されるんじゃないか、とか、
笑われてしまうんじゃないか、とか。
そんなときに、カクヨムユーザーさんのエッセイを読んで、それに対する応援コメントが温かいのを見て、
『自分を知ってもらうことは、怖いことじゃないんだ』
と思った。
僕は相変わらず不器用で、自分のことを書くのが難しくて、怖くて、よくわからないけど、なんかお腹痛くなってきて、自分のことさえよくわからないけど。
これからの長い人生、怯えながら縮こまって生きていくのは、いやだと思った。
傷つくのはいやだけど、リスクをおかしてでも、誰かに知って欲しい、共感したいし共感されたい、人をちゃんと知りたいと思った。
傷つかなくていい人生なんて、天才でも送れないと思うから、当たって砕け散りたいと思えた。
ネット世界では、顔も名前も知られずに自分のこころを晒せる、言いたいことが言える。それはアンチや悪質な書き込みという面では怖いことかもしれないけど、それがネットのいいところでもあるんだなって、僕は思った。
『不器用な僕』を作って、どきどきしながら一晩たったら、見てくれた人がいて、すごく嬉しかった。
ネットのよさ、ってこういうところかなって思った。
少しずつ強くなっていける気がした。
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