夢ではなかった。
天道花音が慌ただしく去っていき、俺はあれは夢だったのではないかと正直思ってしまった。
いや、実際に天道は俺の部屋にいたし、俺と話していたわけだが……なんというか現実味があまりなかった。
だって普通に考えてみて、学園で誰もが知っていて、学園で最も人気者と言える存在と関わるなんて思ってもなかったのだ。
天道の勢いにおされ了承した。天道自体と関わりたくないという気持ちはない。向こうが関わりたいと言っているのならば、関わってもらうのは構わない。
とはいえ、天道花音と話した当日は夢だったのではないか、寧ろ俺の妄想か? などと思うほどだった。それだけ予想外で、本来ならばありえないことなのだ。
あと学園の普段の様子とは違う様子だったから、余計に夢だったのではないかという気分になった。
しかし、天道花音が俺に関わりたいと言ったのが夢ではなかったのは翌日に早速実感した。
ピンポーンと、昼ご飯を食べた後にチャイムが鳴った。
誰か来る予定でもあっただろうかと、来館者の確認をする。
「あ、上林先輩。こんにちは!! 早速貢物を持ってきましたよ!! あと言ってほしい台詞も沢山持ってきたのでよろしくお願いします!!」
「……」
早速やってくるなんて思わなかったので、思わず固まってしまった。……というか、周りに誰もいないからだろうが、素を完全に出してしまっていていいのだろうか。そして貢物って言い方はなんだ。
「上林先輩? もしかして寝てました? 寝起きだったらごめんなさい。あと、今の時間が都合が悪いっていうならすぐ帰るんではっきり言ってもらえたらと……」
「あー……いや、問題はない。入ってくれて構わない」
黙っていたら慌てた様子で天道花音がしゃべりだしたので、それに対して返事をする。特に出かける用事もないので、中に入れる。
天道は……荷物を幾つも持っていた。ケーキか何かの箱に、紙袋。にこにこと笑みを浮かべて、俺が許可をすると中に躊躇いもせずに入ってくる。ちゃんと靴をそろえているのに、育ちの良さを感じた。
「おじゃまします!! 上林先輩、突然の訪問ごめんなさい! 昨日、上林先輩が私と関わってくれるというのが嬉しくて、そのまま帰っちゃたので!! 良ければ連絡先を交換してください!!」
「おう。それは構わない。とりあえず、上がって座ったらどうだ」
「はーい。あ、そうだ。これはケーキです!! 冷蔵庫に入れてしまっていいですか?」
「……ああ」
天道はにこにこと笑みを浮かべて、俺に向かって笑いかける。……なんか俺を観察していて問題ないと思ったとか言ってたけど、こいつ、無防備すぎないか? 少し、無防備すぎる後輩に心配になった。
天道は冷蔵庫の中にケーキを入れたかと思うと、
「ソファに腰かけてしまっていいですか?」
と口にする。
「ああ……」
「ありがとうございます!! 昨日も思ったのですが、このソファとても座り心地が良いですね。私の家にも欲しいものです。あ、上林先輩は私がいる事を気にせずにくつろいでもらって構いませんからね!! というか、お隣にどうぞ!」
「お、おう」
天道の勢いに押されるままに、俺はソファに座った天道の隣に腰かける。
天道のテンションが高すぎて、ついていけない。こんなに暑いのに、本当に元気すぎる。
「えーと、それで、天道は何の用だ?」
「先ほども言ったのですが、言ってほしい台詞をピックアップしてきました! あと、連絡先教えてください」
勢いよくそういう天道の言葉にスマホを取り出す。そうすれば彼女もスマホを取り出して、連絡先を交換する事になった。
俺のスマホに『天道花音』の名が刻まれることがあるとは……、まったく想像もしていなかった。これは天道花音のファンたちに知られたらただでは済まないだろう。俺もひどい目には遭いたくはないので、天道花音のファンたちには知られないようにしなければならない。
「どうしたんですか? 上林先輩?」
俺が変な顔をしていたのだろう、天道はのぞき込むように俺の事を見た。
「な、何でもない。それより、近い!!」
「何ですか? 上林先輩って初心なんですか? もー、ちょっと覗き込んだだけでそんな顔しないでくださいよ。何だかイケナイことを上林先輩にしている気になるでしょう?」
……天道は俺の反応が面白かったようで、そう言って悪戯な笑みを浮かべる。からかうような笑みは、学園での様子からは想像できない表情である。
まぁ、恋人なんていた事もないのでこんな風に異性に近づかれたら驚くものだ。それもあの天道がいるとか、やっぱりこれは夢か? と言う気分になるが、現実逃避しても仕方がないので目の前でにこにこと笑っている天道と向き合うことにする。
「先輩をからかうんじゃない……。ちょっと驚いただけだ。あと、異性にこんな近づいたら勘違いする男もいるだろう。あんまりこういう事はしない方がいい。天道はただでさえ、可愛い容姿をしているんだから勘違いされるだろう」
「ふふふっ、私は可愛いですからね。でも上林先輩は勘違いとかしていないでしょう? 大丈夫ですよ。ちゃんと私も問題なさそうな異性にしかこんなことしませんしー。何だか、上林先輩ってお父さんみたいなこといいますね」
「はぁ……まぁ、勘違いはしないが」
「それに、昨日言ったように私は上林先輩の声、滅茶苦茶好みなんですよ。だからこんなに間近で聞けるのはご褒美っていうか。そんな感じだから気にしないでくださーい」
ご褒美……正直、天道は何を言っているんだろうという気分になる。俺の声を間近で聞けるのがご褒美って、天道、安すぎないか。そんなことでご褒美とか思っていていいのか……。
「さて、上林先輩、早速ですが、こちらの台詞をお読みください!! 出来ればそれっぽく!!」
「……おう」
何だか流されるままに、天道の言ってほしい台詞を俺が言う流れになっていた。本当にどうしてこんなことになっているのか、そして何で俺は大人しく天道の言う事を聞いているのか。
そんな気持ちもわずかに芽生えたものの、目の前でキラキラした目を浮かべ、期待したようにこちらを見ている天道を見ると断れるはずもなかった。こんな風に見られて期待に答えない奴はいないと思う。
天道が差し出してきたノートに目を通す。ノートのタイトルには「上林先輩に言ってほしい台詞集パート1」と描かれている。なんだ、まさか、これは天道がわざわざまとめたのか。パート1ってパート2とか3もあるのか。何をやっているんだ、学園のアイドル……。
きっとうちの学園の奴らは天道がこんなノートをまとめていることなど知らないだろう。そう思うと何だかおかしくなった。
「何を笑ってるんですか? 言ってくださいよ! さぁ、さぁ!!」
「そう急かすな。ちゃんと、言ってやるから」
そう言って、ノートの表紙を開く。そのページには、台詞、そしてどんなシーンか、どんな口調かまで事細かに記されている。ちなみに漫画などの台詞もあるようだが、天道が自分で言ってほしいなーと創作したものもあるようだ。
……っていうか、やるって言ったけどよくよく考えてみるとこの状況は恥ずかしい。後輩の女の子の前で、この芝居がかった台詞を言うのか。しかも天道が表情や言い方まで指示しているようなものを。
滅茶苦茶恥ずかしくないか。いや、でもしかし……と隣を見る。天道はうずうずしたように、はやくはやくとでもいうように俺を真っ直ぐに見ている。しかもなぜかソファに正座をしている。……この目を裏切るのはちょっと無理だ。
「ここまでよくたどり着けたな……しかし、わ、我が――」
「ストーーープ!!」
恥ずかしいという気持ちが出てしまい、しどろもどろに出た言葉は天道に止められた。
「な、なんだ」
「何だじゃありませんよ、もー。そんな風に恥ずかしがっている声もありと言えばありです。好みの声帯ならば、どんな声だってありなのですよ!! って、そうではなくてですね!! 私はですね、その台詞をもっとこう、かっこよく、言ってほしいのですよ。恥ずかしがっているのもありなんですけどね。そうではなくて、やっぱりこう――低い声で、もっとかっこよく!! というわけで、テイク2を要求します!! お願いします!!」
「お、おう」
天道の勢いに押されて、俺はテイク2をする。
その後、何度も何度も「ここは、こう!」「その時にはこんな風に!!」などと細かい指示を受けながら、ようやく、
「ここまでよくたどり着いたな。しかし、我が力の前では其方の力など無意味だ。我の力をとくと見るが良い」
という台詞を天道が望むように言い切ったのであった。
今回はよく言えたのではないか、と思ったのだが天道の反応がない。また天道が望むように言えなかったのだろうか、と俺が天道を見ればなんか天道は口元を抑えて悶えていた。
俺は驚く。
「て、天道……? ど、どうかしたのか?」
こんな様子を見て驚かないわけがない。声を掛ければ、天道は顔を上げた。
「上林先輩!! それですよ!! そのかっこいい感じが本当に素晴らしかよ!! もー、私の好みの声でこんなセリフを言ってくれるとか、上林先輩、本当に素晴らしか!! 感謝しかなかし、本当に神ですよ、神!!」
「お、おう……?」
「はぁー。本当にヤバか。初めて声聞いた時に好みやって思ったけど、本当にヤバか声持っとらすよね、上林先輩は。はぁー……。良い声」
……興奮したからだろうか、標準語ではなくなっていた。興奮した時は出るって言ってたのはこれか。確かにこれを出したら学園でのイメージは壊れるだろう。
でもまぁ、俺はこんな風に元気な天道の方が親近感がわくし、良いと思うが。
「はっ、すみません。思わず興奮してしまって!! あと何度も私のやり直しに付き合ってくれてありがとうございます……!! 興奮して思わず先輩相手に何度もやり直しを要求してしまい……、ごめんなさい」
「いや、まぁ、疲れたが、気にする必要はない」
「上林先輩は良い人ですね。私ってば興奮しすぎて親友にたまに煩いとか言われるのにっ」
「まぁ、気にするな」
天道の勢い勢いに押されてこんなことをしているが、ちゃんと自分でやろうと決めてやったことなので無理やりやらされたわけでもないし気にする必要はない。
それに何だかんだでこんな風に学園とは違う天道を見れるのが面白いなと言う気持ちもあるし。
「ふふ、気にしなくていいんですか? 本当に? それなら私、どんどん台詞言ってもらっちゃいますよ? 覚悟が必要な感じになりますよ?」
「……どんだけ言わせる気だよ」
「幾らでもですよ!! 好みの声は幾らでも聞きたいのが私の心情なのです。なので、上林先輩に幾らでも台詞を言ってほしいのです。あ、でも疲れたり嫌になったらちゃんと言ってくださいね!! 私は幾らでも言ってほしいので上林先輩が甘やかしたらどんどん頼んじゃいますから」
「おう……分かった。嫌になったら言う」
「はい。では、次はお願いします!!」
それから俺は天道に付き合って、ノートに書かれている台詞を言い続けたのであった。
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