第8話 火星旅行記
田舎から火星に出るのは簡単ではない。安い高速バスに乗るために、深夜の駅前へ。そこから、新宿まで約八時間。痛む体と汚れた顔。駅の公衆トイレで化粧して、「666タワー」を目指す。迷宮みたいな駅で道に迷い、目的地に着くころにはお昼になっていた。
有名な学校や会社、奇抜なデザインのタワーマンションと、歴史ある神社・門(江戸時代のものらしい)などが共存する不思議な街を歩きつつ、どこか手ごろなお店を探す。駅周辺から漂う出汁や焼き魚の匂いにお腹が鳴るも、匂いの元であるお店は「一見(いちげん)さんお断り」っぽくて入りづらい。しょうがないからコンビニで、おにぎりとお茶を買って食べた。うん、いつもの味。
「666タワー」の最上階に月面行きターミナルがあると聞いていたんだけど、いざその場に着いた時、足がすくんだ。百階だっけここ。ちょっと揺れてる気がするんだけど。
「やばい、揺れてる」
思わずそう呟いた私のところに、白い床をポリッシャーで磨いてる機械がやってきてこう言った。
「免震構造のため、多少揺れるんですよ。ご心配なく」
タコ型の機械はキョロキョロしながら、床を磨いたり壁を拭いたりしている。清掃作業をしながら接客もするなんて、こき使われてるなあ……何となく親しみを感じて、機械を追いかける私。
「ねえタコ! 今から私、火星に行くんだけど、初めてで」
タコは目だけぐるんと私に向けながら
「月面経由、火星行きの方は一番ホームでお待ちください。青いアーチの向こうですよ」
そう答えて、ブザー音が鳴ったと思ったら静かになり、壁の記号にピタリと張り付いて動かなくなった。壁の、ランプが赤く光っている。私は話し相手がいなくなって心細く感じたけど、タコに言われたとおりホームで待つことにした。
確か出発は午後三時だ。ホームには人だかりが出来ている。そしてしばらくすると、卵型の乗り物が滑走路に現れ、私たちは座る場所の無い乗り物にぎゅうぎゅうに詰められて、地球から放出されたのだった。窓の外を見たら、失神しそうになったので目を閉じて耐えた。
☆ ☆ ☆
一体どうやって月までやってきたのか分からないうちに到着した私たちは、火星行きの船着き場まで誘導されていた。「エイリアン」区分で船が来るのを待つ間、隣にいる女性に話しかけてみた。
「さっきから木が歩いてるんだけど、あれってエイリアンじゃない? でもって私たち何でエイリアン扱いされてるの?」
「しっ! あなた何てこと言うのよまったく。あれはエイリアンじゃない、木製人。エイリアンっていうのは、外国人って意味だから。つまり月の住人じゃ無いって事」
「もくせい人? 田舎じゃ見たこと無いけど。特撮?」
「もう、あなたって何にも知らないんだから。よそに出た事無いの?」
「無いよ、産まれてこの方一度も。ああ、また来た、今度はヒマワリだ」
「やめなさいよ、指さすの! 彼らはここじゃ、市民なのよ。通報されるわよ、人権侵害で」
「人権って。木なのに」
「あなたと話してたら命がいくつあったって足りやしないわよ、黙ってくれる?」
きついメイクの女性はそう言うと、怒ってどこかに行ってしまった。
「もう帰りたい」
泣きそうになって、コーヒーを買いに行く。見たことが無い記号が表示された金額。何てこと、外貨両替してない。っていうか、月ってドル? 元? 何この「e」って。試しに、コーヒー自動販売機のカフェラテボタンを押してから、スマホをかざしてみる。楽天ポイント使えるかな。
「ピッ」
ポトリと紙コップが出てきた。豆を挽く音と香り。そして、ミルクコーヒーがカップに注がれる。蒸気と共に白い液体がしゅーっと勢いよく出てきて、ぱっと小さな扉が開いた。ああいい香り。
「カフェラテだわ」
ほっと一息ついてから、火星行きの船に乗り込む頃には午後四時になっていた。いや、地球を出発してからたった一時間しか経っていないんだ。宇宙って意外に早く行けるもんだなあ……それにしても、疲れた……船の中で私は、トランクを抱きしめながら眠った。ふわふわした繭(まゆ)に包まれて、夢も見ないで。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます