閑話 その5
クーナと野良エルフと分かれ、一人宿に戻る。今からでも色街に行けば女は見繕えただろうが、何故かそんな気にはなれなかった。
屋敷で起こった一部始終を報告した時の、モルフォ司祭長の姿を思い出す。
総てを聞き終えたモルフォ司祭長は、静かに一筋の涙を流した。そして私達に、深々と頭を下げた。
『ありがとうございます。あいつは……愛する人との時間を取り戻す事が出来たのですな。お陰で儂の心も救われました。本当に、本当にありがとう……』
正直、困惑した。何故この老人は、自分以外の誰かの為に心から泣く事が出来る?
困惑したと言えば、あの霊もだ。たかが人が――今回の場合は霊だったが――一人いなくなっただけで、あれほどまでに自分を見失うなど有り得るのか?
私にとって他人とは利用するかされるか、そして如何に蹴落とし合うか、そんなものでしかなかった。事実これまでは、そんな人間しか私の周りにはいなかった。
それなのに――。
「……クソ、こんな気持ちになるのもあの二人のせいだ」
一人毒吐き、武装を解いてベッドに横になる。嫌でも脳裏に浮かぶのは、クーナと野良エルフの姿。
元はと言えばあの二人がモルフォ司祭長の頼みを聞かなければ、私がこんな気持ちになる事もなかった。きっと今頃は普通に仕事を終わらせ、それなりに魔力の高そうな女でも誘って抱いていた事だろう。
クーナ。改めて魔力を得る為に近付いた私を、私の素顔の片鱗を見てもなお――寧ろ見てからの方が快く受け入れ、友と呼んだ。
野良エルフ。あれほど私を嫌っていた筈なのに、強い独占欲を抱く対象のクーナを私に預ける事を躊躇わなかった。
あの二人は、今まで接してきた誰とも違う。あの二人は本気で誰かの為に怒り、誰かの幸せを願う。
そんな人間が存在するなど、俄かに信じがたかった。邪魔をしてきた神官の二人組のように、私欲で動く人間の方が余程理解出来た。
だと言うのに――私はあの時確かに神官達に嫌悪を抱き、クーナ達の望みを叶えてやりたいとそう思っていたのだ。
今考えれば信じられない事だ。私が打算抜きで、誰かの為に何かを為そうと思うなど。
いや、クーナを信用させる為や本神殿の者ではないにしろ高い地位の人物に恩を売る為など、後付け出来る打算なら幾らでもあるのだ。だがあの瞬間。狂えるワイルダー卿の霊と対峙していた瞬間だけは、そんな事は何も考えていなかった。
一体どうしたというのだ、私は。今更慈愛の精神に目覚めたとでも?
有り得ない。そんな事は有り得ない。他人は皆駒か、でなければ敵だ!
『うん、約束だよ、ベル』
――なのに。
『友達の考えた作戦なら、深く聞かなくても信じるよ、私は』
何故、クーナの声が頭から離れない。何故、クーナの様々な表情が次々と浮かぶ。
『本当にありがとう、ベル!』
何故、クーナの事を思うと――こんなにも胸が苦しくなる。
離れよう。クーナから離れよう。これ以上彼女といると、私が私で無くなってしまう。
私という人間が――根本から作り替えられてしまう。
「……クーナ……」
そう思いながらも、私は――脳裏によぎる彼女の笑顔を求めて、無意識のうちに手を伸ばしていた。
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