第31話 永遠の愛を

 派手な音を立てて、絵の残骸が床へと落ちる。自分も床に着地しながら、私はこれから何が起きるか見守った。


「!!」


 すると突然、絵の残骸が青白い光に包まれた。その光は徐々に大きくなっていって、やがて一人の人間の姿を形作る。


「あれって……」


 現れたのは紛れもない、今足で破いた絵に描かれていた女性だった。それを見たワイルダーさんの動きが、ピタリと止まる。


『……あなた』

『シンシア……おお、シンシア……!』


 ワイルダーさんの顔に、みるみる表情が戻ってくる。同時に宙を舞っていた瓦礫が勢いを失い、総てパラパラと床に転がった。


「ど、どうなってるデス……!?」


 どんどんゴースト化の兆候がなくなっていくワイルダーさんを見て、おさげの子が戸惑った声を上げる。けれど、私には解った。


 ワイルダーさんが魔物になりかけるまで求めていたものは――最愛の奥さんだったんだって。


『ありがとう、お嬢さん』


 奥さんが私を振り返り、優しく微笑む。それはあの絵に描かれていた悲しげなものとは違う、とても穏やかな表情だった。


『私は不思議な力で、あの絵の中に閉じ込められていました。あなたが絵を破いてくれたお陰で、こうして解放されたのです』

「そ、そんな……絵が怪しいって事に最初に気付いたのは、私じゃなくてこっちのベルですから」

「えっ……」


 私が話を振ると、ベルが驚いた顔で私の方を向く。奥さんはそんなベルに、深々と頭を下げた。


『ありがとうございます、神官戦士様。これでまた、夫と共にいられます』

「……れ、礼を言われるような事ではない」

『私からも礼と、謝罪をさせてくれ。シンシアを失った悲しみのあまり、私はもう少しで魔物と化すところだった。お前達がいなければ私は身も心も魔物と成り果て、浄化を受けて二度とシンシアに会う事は叶わなくなっていただろう』

「……っ」


 感謝の言葉を向ける二人に、ベルは何故か居心地が悪そうに俯く。……もしかして、人に感謝される事にあんまり慣れてないのかな?


「……一つ聞きたい。あんたを絵の中に封じ込めたのは誰なんだ?」


 それまで静観を保っていたサークが、静かに問い掛ける。奥さんはそれに対し、悲しげに首を横に振った。


『フードを深く被っていたので、特徴まではよく……ですが……私を助けて下さったそちらのお嬢さんぐらいの若い娘ではあったと思います』


 告げられた言葉に、私の脳裏に一人の姿が浮かぶ。サークも同じ事を思ったのか、反射的に私の方を振り向いた。

 ――ビビアン。彼女が奥さんを封じ込め、ワイルダーさんをゴーストに変えようとした――!


『……そろそろ現世に干渉出来る力も、無くなってきたようです。本当にありがとう。あなた達の事は忘れません』


 その言葉にワイルダーさん夫婦の方に再び目を向けると、元々半透明だった二人の体が更に薄く、風景に溶け込むくらいになっていた。私はそんな二人に、思わず声を張り上げる。


「あっ、あのっ!」

『はい?』

「え、ええっと……」


 声を上げたのはいいけど、次に何を言ったらいいか解らなくて、私は言葉を詰まらせてしまう。それでも何か言わなくちゃと焦って、必死に絞り出した言葉は、酷く月並みなものだった。


「……二人とも、幸せにね!」


 私の言葉に、二人は目を見開き。それから、幸せそうな笑顔を浮かべて。


『……あなたもね、優しいお嬢さん』


 最後に、その言葉を残して。スウッと、見えなくなってしまったのだった。



「さて……後はこいつらをどうするかだな」

「ひっ!?」


 ワイルダーさん夫婦が消え、辺りに静寂が戻った後。拘束されたままの二人を睨み付けて、サークが口を開いた。


「さ迷う魂を、意図的にゴースト化させようとした……内なる狂気を認め、これを律する事を教義としたルミナエス教の神官サマとしちゃ、ひっじょーに不味い案件だよなあ?」

「ぐ……ぐぬぬ……」


 呻くおさげの子に、私とベルも詰め寄る。そしてロープを取り出し、正式に捕縛しようとしたその時。


「……ガンツ! ワタシを助けるデス!」

「解った、レミ」


 おさげの子が叫ぶと、巨漢の筋肉が一気に盛り上がっていく。直後、サークの横にいた風の精霊が震えたかと思うと、巨漢が見えない拘束を力任せに振り払った!


「精霊の拘束を力ずくで解いただと!?」


 私達が驚いたその一瞬の隙を突き、巨漢がおさげの子の体をひょいと抱える。そしてそのまま、猛スピードで部屋の外へと駆け出していった。


「今日は引いてやるデス! あなた方、覚えてろデス~!」

「待ちやがれ! クソッ、あの巨体で何つー逃げ足の速さだ……」


 急いでそれを追って部屋を飛び出した私達だけど、その頃には二人の姿はすっかり小さくなっていた。仕方無くそれ以上の追跡は諦め、私達はその場に腰を下ろす。


「ハァ……おい、色ボケ神官。何であの絵が怪しいって解った?」


 大きく溜息を吐きながら、サークがベルに問い掛ける。それは、私も気になっていた事だった。


「……簡単に人が触れられないような位置にあったにもかかわらず、あの絵には埃が付いてなかった。だとすれば、あれはここに最近持ち込まれたものではないかとそう思ったのだ。破くよう指示をしたのは、完全に勘だったが」

「でも、そのお陰でワイルダーさんをゴーストにしなくて済んだ。今回は、ベルのお手柄だよ!」

「……っ」


 私が素直な称賛を口にすると、ベルはまたそっぽを向いてしまった。……今回の事で少しだけ、ベルという人の本当のところが解ったかもしれない。


「私の事もずっと守ってくれたし、本当にありがとう、ベル!」

「――!」


 その言葉に耐え切れなかったのかすっかり真っ赤になってしまったベルを、私は微笑ましく、サークは何故か不機嫌そうに見つめた。

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