第27話 己と向き合う岩盤浴 〜友美〜
直緒と一緒に温泉から上がり、身体はポカポカ、重かった肩も軽くなり、心なしか頭もスッキリした気がする。
ただ未達成のタスクを思い出し、私のちょっと晴れた心はまた、どんよりと曇ってしまった。
「友ちゃん、早く岩盤浴行こ!」
笑顔で直緒はそう言う。心から楽しんでるんだろうな、って分かるほど曇りのない笑顔で。
「着替えたら行こっか」
お風呂に入っているに間は忘れてしまっていた今日の目標を思い出し、私も笑顔を作ってそう言う。ただこの、笑ってるように見える表情を笑顔と呼ぶのは、直緒の心からの笑顔を見た後だと申し訳なさすら覚える。だって、これは顔の表面に張り付いているだけの作り物の笑顔だから。
作り笑いだからっていっても、別に楽しくないわけじゃない。むしろ、ここ最近で一番楽しいと思ってる。それなのに笑顔を作ってる理由は、「普段の私」ならそうするだろうということを演じてるから。
先週あんな別れ方をして、週末にその時のことを許して欲しい、私が自分で突き放してしまった直緒との距離を縮め直したい、なんて考えていた。だけど答えは出ず、何もできなかった。そして今日が来てしまい、そんな直緒と向き合わなくてはいけなくなった。
しなきゃいけないことがあるけれど、何もできない自分への憤り。そして、そんな直緒と会う気まずさ。だからと言って、やっぱりやめようってことは、私を心配して一緒に行こうって言ってくれた直緒の想いを踏みにじることになる。
その結果私が選んだのは、「普段の私」を演じるということ。私の中にある、その二つの感情を「普段の私」という感情で塗りつぶし、普段通り接する。接するよう意識する。
だから、今日のコーデもメイクも女の子同士で出かけるから控えめのものにしたかったけど、普段の私でいる以上男に向けた普段通りのものにした。
そのおかげで、今日は普段通り直緒と接することができた。ただ、この申し訳なさは普段通りではないけど、それが相手に伝わらなければ分からない。だから、私たちは普段通りなんだ。
ただ、温泉に入ってるときは、完全にそのことが頭からすっぽ抜けていたんだけど。
私たちは専用着に着替えて必要な茶色のタオルを手に持ち、ロッカーを閉めて岩盤浴へ向かう。直緒は楽しみで仕方がないという感じで、私よりちょっと早足で歩いている。私は普段と同じ速度。
そうして、ちょっとずつ開くお互いの距離が開く。
「ほーら。早く行こ?」
でも、直緒はそう言って私の手を取り、私を引っ張っていく。
「ああ、うん」
直緒の勢いに押されるがまま、私は岩盤浴場へと導かれる。
二階に連れられるとまずあるのが、大きくてちょっと重い両開き扉。それをグッと押し開けると、そこにあるのは広い休憩スペース。そこには寝転ぶスペースと深く腰掛けることのできる椅子、それと冷水機が置かれている。
そして岩塩、薬宝玉石、パワーストーン、それと冷と書かれたガラス戸が等間隔で配置されてるのが見える。
どうやら、岩盤浴場へ出入りするには、必ずここの空間を通らないといけないようにできているらしい。
そして次に目に入るのが壁に大きく掲示された注意書き。そこには「注意の心得三か条」と書かれている。
『一つ、浴室内は清潔に! 寝転ぶときは必ず、専用タオルをお敷きください。二つ、浴室内はお静かに! 大声でお話されると、リラックスしている他のお客様のご迷惑となってしまいます。三つ、頑張らないこと! 頑張って長く入り過ぎてしまうと、体調を崩されてしまうことがあります。心の健康状態と身体の健康状態は繋がっているもの。適度な入浴時間とこまめな水分補給を。』
まあ言うとあれだけど、当たり前のことが書いてある。ここは公共のスペースなんだから、書かれてなくても守るっての。
でも、「がんばらないこと」か。客の体調を気遣って書かれているものだけど、なんとなくそれ以上の意味を伝えてるような気がした。
「どっから入ろうか?」
四種類の岩盤浴場を目前にして、目を輝かせて直緒が聞いてくる。
「そうねぇ」
選択権は私にあるけど、これだけあると悩む。よく見てみると、ドアの横に数字が書いてある。度と付いているから、その数字は中の室温か、石を温めている温度だろう。えっと、手前から薬宝玉石が44度、パワーストーンが42度、岩塩が60度、冷が8度。
これだと、まず初っ端から岩塩と冷は無いわ。温度変化大き過ぎるし。薬とパワーストーンが同じような低めの温度。なら近い方でいいや。
「パワーストーンから行こうか。最初、ちょっとずつ全部入ってみて、その後自由時間って感じでいい?」
「うん!」
そう言って、パワーストーンの間へ向かう。
「うわぁ、すっごい」
部屋に入るや否や、直緒が感嘆の声を漏らす。
部屋は薄暗いけど、オレンジ色の温かみのある照明が点灯し、床には色とりどりのパワーストーンがジャラジャラと敷き詰められている。二つの要素が相まって少し幻想的な雰囲気を醸し出しており、直緒が驚いてしまうのも無理はない。
横たわるスペースはそれぞれ一人分に区切られており、イメージで言えばカプセルホテルの一部屋の上から三分の二を切り取った感じ。これによって、スペースに横たわるったとしても、隣の人の姿は直接見えないようになっていて、一人一人が集中できるようになっている。
タオルを敷いて横になってみる。頭の所には枕として硬めのスポンジ。身体の両脇には高 顔の高さを越える仕切りがあり、隣で横になってるはずの直緒の気配までも遮断しているよう。上と前が開けているはずなのに、このスペースは私だけの空間のように感じられる。
タオルの下のパワーストーンは少しゴツゴツしているけど、身体合わせて盛り上がったり下がってくれるので、意外と寝心地は悪くない。それにタオル越しでも背中がジンワリと温まってくる。
室温もそこまで高くは感じられず、それに意外と湿気が少なくとても快適。カラッとしたちょっと暑い日くらいの感じだ。
身体の下側から伝わる石の柔らかい熱、そして身体の上部を包み込む熱気。そして部屋の温かみのある照明のおかげで、なんだか凄く安心する。いつまでもこの空間で寝ていたいというそんな感じの安心感。
そして額から耳の方へ、ツーっと汗が流れる。それを皮切りにサラサラと汗が流れ始める。
全身から汗が噴き出てるわ、なんて思ってると隣の仕切りから直緒の頭が飛び出す。
「ねぇ、そろそろ次行かない?」
直緒は周囲に配慮して、声を潜めて言う。
「いいよ」
声のトーンを同じにしてそう答え、タオルを持って部屋から出る。
「ふぅ。ちょっとしかいないのに、もう汗出てきちゃったよ。あっ、友ちゃんも汗出てる」
「そんなに暑いわけでもないのにびっくり」
そう話してる間も、額から汗が流れ続ける。持ってるタオルで額を拭うと、休憩室の風が当たって、スーっとする。屋内だから爽やかな風とは言い難いが、草原を吹き抜ける爽やかな風と同じくらい気持ちがいい。
「次あっちににしよっ」
そう言いながら、指差す先は薬宝玉石。次なる扉を開くと、そこはまたさっきの部屋とも違う別世界。
まず最初に伝わってくるのは、部屋の中の熱気。さっきの部屋と違ってかなり湿度があるようで、入った途端ムワッ、と蒸気にに全身が包まれる。そしてその蒸気の中にほのかに漂うは薬草の身体に良さそうな香り。ヨモギの香りがベースとなってるいい香り。
「おお! 草だ」
確かに草は草なんだけどさぁ。思ったことそのまま出すぎ。
「薬草だよ」
「そうそう、薬草」
えへへ、と笑いながら直緒が言う。
空気は蒸気を多く含んでて、さっきよりもちょっと暑い。でも、寝転ぶ所の形は同じ。ただ、今度は床が薬宝玉石のタイルになっている。
さっきと同じようにスペースにタオルを敷いて寝転んでみる。
さっきと違って下がタイルな分、ちょっと寝心地は悪いけど、タイルからダイレクトに熱が伝わってくる。だから、さっきはポカポカとあったかいだったけど、タイルに触れている部分がタオル越しでもダイレクトにじんわり熱が伝わってくる感じ。
さっきより、室温も湿度も高いから、不快になるかと思いきやそんなことはなく、ギリギリのうまいところに調整してある。それに、部屋に満ちてる薬草の香りが心地よさの向上に一役買っている。
さてと、そろそろ次に行こうかな。
「直緒、次行こう」
周りの人に配慮して、小声で聞いてみる。
「オッケー」
そして、私たちはささっと部屋を出る。扉を出ると元の世界に帰ってきた感じがする。
「全然感じが違ったね」
「分かる」
「それじゃあ、次行こう」
そして、私たちは岩塩の間の前にやってくる。
「六十度だって」
「暑そう」
直緒は覚悟を決めて、えいっという感じでドアを開く。
すると、部屋に入る前だというのにもう既に熱気が伝わってくる。その熱気の元である部屋に入るけど、やっぱり今までの部屋より断然暑い。
湿気がない分マシだけど、まるで真夏の炎天下。ここでは五分とて立っていられないだろう。
寝転がるところには、ゴロゴロとした岩塩が敷いてある。素足で岩塩を触ってみると、思わず足を引っ込めてしまうくらい暑い。そんな岩塩がゴロゴロしてるところにタオルを敷いて横になってみる。
すると、タオル越しなのに背中が熱い。今までの柔らかい暖かさや、触れてるところに直にくるじんわりとした熱さとは異なり、純粋に熱いという表現がピッタリと合う。
加えて、ダントツに熱い空気に包まれていると、入ったばかりなのに汗が噴き出してくる。それに段々と鼓動も早くなり始め、手先や足先がドクドクいってるのを実感する。
熱さに耐えかねて、堪らず起き上がる。隣を見ると直緒と同時に起き上がっていたみたい。顔を見合わせふふっと笑い合い、お互いに何も言わずに部屋を後にする。
「熱いー。まるで休憩室が天国だ」
「出たのに身体がまだあったかい」
「あっ、本当だ」
順番通りに巡ってみたから、聞いてみる、
「とりあえず熱い所には一通り入ったけどどうする? 最初決めた通り、この後時間まで自由行動でいい?」
「いいよ。時間になったらどうする?」
「下の休憩スペースに着替えて集合で」
「オッケー。じゃあ、一旦解散」
「後でね」
そう言って、直緒は冷の部屋へと入っていく。一人になった私はとりあえず冷水機で水分補給をして、一番居心地の良かったパワーストーンの部屋へ入ってゆく。
改めて部屋に入るとさっきの場所が空いていた。これも何かの縁と思い、そこへ寝転がる。
やっぱりここはどこか安心できる。暖かみのあるオレンジ色の照明、程よい室温、身体の形に合わせて動いてくれる石に、そこから発せられるポカポカとした柔らかい熱。その安心感で私の瞼はトロンとし始め、それに伴って身体中の力が抜けてゆく。
流石にここで寝たらマズイ。最悪死ぬ。なんとかして起きていなければ。
そう思った私は眠ってしまわないためにも、いろいろ考えることにした。今日の夕飯の唐揚げをどれくらい食べようかとか、どんくらいハイボール飲もうとか、温泉気持ちよかったなとか。そんな感じに、絶え間なく自由にいろいろと。
そして、結局のところ私と直緒はまだ分かり合えてない、ってところに考えが行き着く。
さっきまでは普通に岩盤浴を満喫していたから、そのことを気にせずに直緒と一緒に何も気にすることなくいられた。だけど、こうして思い出してしまっては、もうこのことについて考えずにはいられない。というか、本当は忘れていたらダメなことだった。
この前、ほとんど一方的に感情を押し付けて押し付けたまま、それに直緒には余計な心配までさせてそのまま解散してしまった。でも、あのときの直緒の顔を見る限り、私の想いは伝わっていない。分かり合えていない。
だから、直緒とは共に戦う仲間として、キチンと分かり合いたい。
「強くなきゃ、何も守れない」これが私の想いだと思っていたし、直緒にもそう言った。でもこれは直緒の元には届かなかった。その理由は何となく分かってる。
浅いんだ。この想いは。
私の心の底から出てきた想いだと思ってたけど、実際には心の浅いところから、ポンと湧いて出てきただけ。でも、それが私の気持ちを説明できる気がしたから、いや、私にとってそれは言い訳として都合のいい言葉だったから、そう言ってたにすぎない。
別にこれも私の想いではあるが、本当の想いにはたどり着いていない。私の本心を山の頂上だとすれば、ここはまだ五合目くらいにしかすぎない。だから頂上にたどり着いて、自分の本心と向き合わなければならない。
ただ、私にはこの先の進み方が分からない。五合目を山頂だと思い込み続けてきたから、そこで歩みを止めてしまった、それ以上を考えることを辞めてしまった。本心を確かめるためにために、必要な情報を集めることを辞めてしまった。
だから、私はこの先のこと──私の行動規範となっているはずの「本当の想い」──が分からない。
「本当の想い」とは、言うなれば自分の心の真理。そして真理を突き止めるために、古来より人は特定の事柄に対して「それはなぜなのか?」という問答を繰り返した。なぜなら、「なぜ?」に対する答えは、その事柄の本質に向けて一歩近づくことになるから。
だからあの日、直緒は私に対して「なぜ?」を繰り返してた。直緒は彼女なりに、私の「本当の想い」を探ろうとしていた。
でも、私はその大事な問答を途中で投げ出した。力を使いすぎて身体への負担が大きくって危うく倒れかけてしまい、私は直緒との問答を中断しそのまま帰った。
私には帰らずに問答を続けるという選択肢もあった。それにも関わらず、私は帰った。「本当の想い」を探る上での一番大事な、直緒の問いかけようとしていた質問の中身を聞かずに帰った。
でも直緒が、あの後質問しようとしていたことはなんとなくわかる。それは多分「友美はなんで守りたいの?」ということだろう。
私はなんで、守るということに固執しているのだろう。
目を瞑って、自分の心と向き合ってみる。そうすると、背中に伝わってくる熱、身体中から流れ出る汗、そして自分の呼吸の音がさっきよりも感じ取れ、どんどん意識が周囲を排し、私だけの世界になってゆく。
目を瞑って先ほどの疑問を頭の中で反芻させていると見えてくるのは、週末にも見たあの景色。
吹き飛ばされ、原っぱに這い蹲り、目のすぐ先には身体が擦れてすり潰れた野草。その草越しの遠くに見えるのは泣いている女の子、という力なく意識を失う直前の私が見ていたその光景。
でも、相変わらず思い出せるのは見てた視覚だけ。その映像には音はなく、体感した出来事のはずなのに心境や感情も思い出せない。
その思い出せない部分が私にとって一番大事な部分であり、「本当の想い」に繋がるところだというのは間違いないはず。でも、どれだけ思い出そうと集中してみても思い出せない。何も聞こえてはこないし、何も感じられない。
思い出そう、思い出そうと必死になっていると、もどかしくなり息がつまるような感覚に陥り、だんだんと呼吸が苦しくなってくる。苦しくなった私は堪らず起き上がり、一旦部屋から出る。
部屋から出て、乱れた呼吸、そして早まった鼓動を落ち着けるため、休憩室のデッキチェアに腰掛けて、静かにする。少ししてそれらが落ち着いたところで、頭を冷やすために水分を補給する。
水を飲み終え、環境を変えて何か思い出せればいいなと思い、次は薬宝玉石の間に入ってみる。そしてさっきとは別の場所にタオルを敷いて寝転び、目を瞑ってあのときの景色について思い出す。
ただこの部屋はさっきよりも室温と湿度が高いから、なかなかあの景色にだけ集中することは難しい。それに寝ている場所がさっきよりも薬草の香りの発生源に近く、その香りも私の集中を遮る。
それでも頑張って集中してると、室温や湿度、そして漂う香りを忘れることができた。
でも部屋を変え、周囲の環境を変えたからといって、何を新しく思い出すわけでもなかった。相変わらず音のない世界で、目の前の草と、遠くで泣いてる女の子以外何も分からない。
ただ見えるものは鮮明に見える。女の子の服の柄や、片方だけ止まっていない靴のマジックテープ、擦りむいた左肘に、泥だらけのスカート。それと、すり潰れた葉っぱの種類。普通の芝に、クローバー。そしてヨモギの葉。
それに気づき、認識から排していた部屋に漂う香りを嗅ぎ直した瞬間、全てが鮮明に蘇ってきた。
吹き飛ばされたときに感じた自分の痛み、遠くにいるのに、自分のすぐ近くで泣いているかのように聞こえるほどの、女の子の大きな泣き声。憎念がまだ近くにいることを示す、黒くモヤモヤとした何とも形容しがたい心の感じ。身体が芝と擦れたことによって醸し出される、草のすり潰れた香り。
そして、私の心に伝わってくる、あの女の子が感じた様々なこと。守ってくれるお父さんもお母さんも近くにいないから心細く、どうしようもないという不安感。憎念という恐ろしい存在と対峙してしまっている、という恐怖。そして、あの子が受けた、文字通りその身を引き裂かれそうなくらいの、身体と心の痛み。
その全てを、私は鮮明に思い出した。そしてその、心を突き刺さされ、引き裂かれるような痛みに耐えかね、胸を押さえて、反射のように起き上がる。
私はどうしてこんな大事なことや、この痛みを忘れていたんだろう。思い出しただけで飛び起きてしまうほどの痛みだったというのに。
人間は辛い経験を忘れる生き物だと聞いたことがある。もしかしたら、本能的に私はその痛みと、付随する経験を忘れていたのかもしれない。
でも、おかげで私の「本当の想い」が分かったような気がする。
──私は誰にも傷ついて欲しくない。
私はあのとき女の子が傷つくのを見て、凄く心が痛くなった。思い出しただけで飛び起きてしまうほどに。でもそれを直接受けた、あの女の子の方がもっと痛かったはず。
それを経験してしまった私は、もう他の人にその痛みを味わせたくない。助けを求める他人はもちろん、一緒に戦う仲間である直緒にはなおさら味わって欲しくない。
誰かが傷つくのを見てしまうと、私の心も痛む。誰かに痛みを味わわせるのも、自分が痛いのも嫌。
だから私はみんなを傷つけさせまいと、自分の身を呈してまでも必死に守ることに固執してきたんだ。そして、それを実現できるために必要なだけの力を求めた。それこそ直緒が戦うのを邪魔してまでも、仲間を守りたかったし、強くなりたかった。
これこそが私の「本当の想い」。頭の中で考えると、多分こういうことだと思う。
直緒に言わなきゃいけない想いは分かった。分かったけど──。
この想い、どうやって伝えたらいいんだろう。
私は自分の想い、それと直緒への弁解をどうやって伝えたらいいか分からない。
そもそも、自分の思うことを相手に正確に伝えるには、考えなきゃいけないことがいろいろある。伝えたいことをより正確に、より上手に分かりやすく伝えるため、端的に過不足なく上手な言葉を考えなければいけないし、人の心っていう見えないものを説明する以上、分かりやすく伝える方法だって考えなきゃいけない。
でもさっき分かった「私の想い」は、この熱気の中突発的に思い出し、衝動的に考えを巡らせたもので、的を射てはいるが綺麗に詰めきてない不十分なもの。だから、今は上手に説明する言葉も、分かりやすく説明する方法も分からない。
それに、今まで直緒に強く当たってしまったことの弁解にしても、ストレートに伝えるとなると
「私は、直緒が傷ついて欲しくないから、今まで戦わせないように強く当たってしまっていた。仲間の傷つく姿を見てしまうと、私の心まで痛くなってしまう。だから、私はそんな姿を、絶対に見たくなかった。そのために私は必死に直緒を守ろうとしてきたし、それを成し遂げられるだけの強さを、力を求めた」
と言わなきゃいけない。
こんな言葉、言われた側からすればどう考えても重すぎる。
相手に受け入れられないほどに重すぎる言葉は、言われた側の理解の範疇を超える。そして、人間は理解の範疇を超えたものに対しては本能的に怖がったり、気持ち悪がったり、貶したりするもの。直緒だって例外ではないだろう。
正直言って、こんな重い言葉が直緒の理解の範疇に収まるかどうか分からない。だから、どんな反応を返されるか不安でしょうがない。
実際に言ってみて、私の言葉、それと私の想いを理解してくれるかもしれない。でも、もし理解してくれなかったらどうしよう。
そういう風に考えていると、私は「自分の想い」を伝えられる気がしなくなってくる。
私には自分の想いをうまく伝える自信がない。伝わらなかったら、って考えると怖くなって、踏ん切りがつかない。
正直私は直緒が羨ましい。これまでも、そして今日も直緒を見てきて思う、
あんなに自分の心に思ったことを真っ直ぐに伝えられる人を、私は直緒の他に見たことがない。
それが他の人にはない直緒のよさ。
直緒のように思ってることを素直に言えれば、こんな風に悩まなくても済んだと思う。
でも私は直緒のようには振る舞えない。私は私であり、直緒じゃない。
今まで周りから何を言われるか、どう思われるかを気にして言葉を選んだり、自分が思ったことを周囲に伝えずに自分の内に秘めたりしていた私には、絶対に真似できない。
プリエイドを観ていることや、勉強をしていることすら自分の内に秘めて伝えてこなかった私が、いきなり心の中の全てをフルオープンにして隠さず伝えることなんてできない。
そしてその後も、どうやって「私の想い」を伝えればいいんだろうと考えるけど、答えが出せないまま時間がきてしまった。でも悩んでるからといって、約束を破っていい理由にはならない。
私は岩盤浴場を後にし、自分の荷物を入れているロッカーへ向かい、着替え、メイクを済ませて、直緒との集合場所に向かう。ただ、メイクをしたにはしたけど、こんな心境じゃ気合いの入ったメイクなんてできず、私の顔はほとんどスッピンと変わらなかった。
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