第19話 小難しい講義よりも 〜直緒〜
電気を消され、窓にも暗幕がかけられた薄暗い大教室。この大教室にはプロジェクターとスクリーンが備え付けられており、パソコンで作った資料などを投影して大勢に見せたいときに、部屋が暗くなる。
今の講義は、怨霊と歴史。この講義でもプロジェクターを使って解説するらしい。
私は、講義が中盤に差し掛かったところで部屋が暗くなるもんだから、ちょっと眠くなってくる。まだ、船漕いでないから、大丈夫ではあるけれど。
「私は今まで、憎念、ないし怨霊は人間の負の感情の実体化と説明してきたわけですが、そもそも人間の感情って何? って話があります。ただここでは、脳の電気信号がどうのこうの、という科学的な話ではなく、感情をイメージとして図式化したもの、について解説します。一応、自作した中で学生に好評だった図表を使いますけど。ちょっと待って下さいね」
そう言って、山田先生は教卓の上の機材と格闘している。少ししたのち、スクリーンに教卓の手元が映し出される。
「こんな感じでどうかな。うん、映ってますね。それでは、始めます」
そう言って、先生は資料を取り出して、スクリーンに映るよう置き場所を調整する。
スクリーンに映し出されたものは、不思議な工作物だった。
紙にはまず、大きな円が描かれていて、その円は上下半分に分かれるよう、線が引かれており、上半分の余白には正(好き)、下半分の余白には負(嫌い)と書かれている。
円の外側、アナログ時計で言う12時の位置に、太字で愛と書かれており、それと対称の位置に、嫌いと太字で書かれている。その内側の10時から2時の位置にかけて、円に沿うように太字で喜び、楽しい、嬉しい、と書かれている。逆の4時から8時の位置にかけては、円に沿うように太字で、怒り、悲しみ、憎しみ、苦しみ、妬み、等と書かれている。
その大きな円の中には紐を結んで出来た、ふた回りほど小さい円が置かれており、大きな円の中心には画鋲が刺さっていた。
「この図式を用いて説明しますが、形のない感情というものを、説明のため図式化させ簡略化させた物。だから先に言っておきますと、感情とは何か、と この図式を試験に出す、とかそういうことはしません。でも、理解の手助けにはなるので、聞いていて下さい」
試験でないんだぁ。いいこと聞いた。
「それではまず、この外側の大きな円を『心』そのもの。そして、内側の紐で出来た円の内側の広さを、『感情の総量』だと思って下さい。そしてその紐と外側の円までの距離を、『感情の強さ』とします。距離は近ければ近い程、感情が強まると思って下さい」
先生は一呼吸おいて、次に、と続ける。
「内側の円は、外側の円の中をある程度自由に動きます。そしてその限度は、このように真ん中の画鋲に制限されるまで。ないしは、基本的にこのように、心の枠に触れるまで。例えば、このように内側の円を上に動かすと、楽しい、との距離が近づくため、この状態は強く楽しいと感じているとき。反対に、下方向へ動かすと今度は怒りとの距離が近づくため、これは怒っているときの心理イメージになるわけです。因みに、枠に触れた場合は本人が抱く、最大級の特定の感情だと思って下さい。そして、この円を特定方向へ動かす力のことを、『想い』と言います」
紐をぐるぐるさせてるのを見ると、なんか楽しそう。
「心の大きさや、感情の総量は人によって異なります。器が大きいと称される人は、外側の円の半径が大きくなります。逆もしかり。そして、感情豊かと言われるような人は、内側の円の半径が大きくなります。これの逆もまた然りです」
慣用表現を言葉の意味通り、そのままねぇ。
「この余白に書いてある正と負は文字通り、この領内に書かれている感情が、正のものか負のものかを表しています。そして括弧の中の好きと嫌い、の意味についてですが、これはその感情の心の動きにの本質に由来します。上の感情は何かを好きだと感じた時、下の感情は何かを嫌いだと感じた時に、それぞれに共通して存在するので、好きと嫌いを感情の本質として捉えます」
眠くなってきた。
「飛び出てる、愛、という文字について。愛とは何かを好きだと思う、感じる気持ちを指し、人間の心の動きの本質を直接捉える、特殊な感情、ないし上位概念のような感情のため、外側に置いています。外に置いてはいますが、一応心の中にあるものだと思って下さい。その逆に置いてある嫌いも、そんなもんだと思って下さい」
愛がプラスの感情の本質。
「ここまでが、心そのものについてのイメージです」
先生はそう言うと、新しい図を取り出す。
先程の図とほとんど変わらないが、今度は紐で出来た円と、中心にある画鋲から放射状に張り巡らされているゴムが繋がっている。なんだか、車輪みたいだ。
「先程、紐の円を特定方向へ動かす力のことを、想いと言いましたが、想いの強さは、この図式で言うと、特定の方向へ引っ張る物理的な強さに見立てています」
ふと周りを見ると、机に伏している人がちょいちょいいる。でも、隣にいる友美は、真剣に聞いてるように見える。
「強く引けば周りとの距離が縮むため、強い想いは、強い感情を引き起こします。想いの強さ、すなわち動かす力に上限はなく、強い想いは、感情が心の壁にぶつかるか、このように、画鋲によって動きを制限されるまで動きます。そして、この想いに上限がない、と言うことが憎念の実体化に関わります」
そう言って、紐の円を先生は思い切り引っ張る。
「本来なら心の内側に留まるはずの感情が、とても強力な想いによって、このように外側に飛び出してしまうことがあるのです。飛び出したらその感情は実体化してしまい、半分より下のゾーンに飛び出した『嫌いの想い』を、怨霊ないし、憎念と呼びます。逆に上半分から飛び出す『愛の想い』、それがオモイビトと呼ばれる存在の力の源と考えられています」
説明が終わり、部屋の電気がつけられる。瞳孔が開いてて凄く眩しく感じる。
「こんな感じでざっくりと理解してくれればいいかな、と思います。そもそも、『嫌い』の反対は『愛』なのか、っていう質問が多いので先に答えますと、感情的には、『好き』を突き詰めた結果辿り着くのが『愛』であるため、対概念であると言えるでしょう。ですから、古来より怨霊退治には、愛の力が用いられていたわけです」
説明が終わり、先生は腕時計を確認する。
「まあ、ちょっと早いですが、今日は終わりにしたいと思います。私は正規の時間まではこの教室に居ますので、分からないところかあれば聞きに来てください。特に何もなければ、どうぞ解散して下さい」
終わったぁ。
講義が終わり、ついつい大欠伸していまう。誰にも見られて……、なさそうだ。
荷物をまとめ、友美と一緒に教室を出る。
「疲れたぁ。暗かったから寝ちゃいそうだったよ」
「私も」
友美も合わせてそう言うけど、全然寝そうじゃなかった。
「そう? バリバリ起きてなかった?」
「そう見えて、超眠いの。最近、なんでか分からんけど、なんかずっと眠かったり、怠かったりするんだよね」
「友ちゃん、多分それ、疲れてるんだと思う」
「そんな気はする。なんとかしたいけど、どうしようか決まってないのよね」
疲れを取るには癒されるのが一番だと思う。でも、なんかあったかなぁ。心当たりを探すと、友達から聞いた話を思い出す。
「あっ、そうそう。この近くにある温泉の岩盤浴めっちゃ効くらしい」
「岩盤浴かぁ。結構近いんでしょ?」
「送迎バスあるって」
「あり」
「行こうよ! 最近、戦いばっかりだから、たまには憎念のことなんか忘れてのんびりしよう」
「いいね。いつ行く?」
「友ちゃんいつ平気?」
瞬間、パッとスマホを確認して友美は答える。
「今週はキツイわ。週明けの講義終わりとかかな」
「じゃあ週明けで」
「時間は?」
「終わって直行でいいんじゃない?」
「そうだね。そのあと、夜大丈夫?」
「平気だけど、どうして?」
なんだろう。
「Tセンターの俺イエでやってるハイカラ放題、アレやりたい」
「あー、それか。いいじゃん、やろうよ」
ハイカラ放題は、Tセンターの居酒屋の俺イエがキャンペーン企画。確かハイボール、ソフトドリンク飲み放題セットを頼むと、唐揚げ食べ放題が無料になる。
私も一回やってみたかったから、ちょうどいい。
「俺イエ混みそうだから、六時前には入りたいよね」
「だね」
「じゃあ温泉と岩盤浴二時間くらいでいい?」
「いいよ!」
「オッケー」
かなりの強行スケジュールだけど、楽しみだなぁ。そう言えば、友美と温泉とか行ったことなかったし、こうして、夜ご飯食べるのもあんまりなかったしな。
私は遠足前の子供みたいに、もう既にワクワクが止まらない。
ただ、そのワクワクをかき消すかのように、憎念の気配が忍び寄って来ていた。
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