190.第29話 5部目


同日の夜。神代邸、ハリーの自室にて。

自室で日記を書き留めながら、夕食時の事を思い返しながら、思案するハリー。

そこへ、扉を叩く音が響いた。

直後、扉の向こうから声が掛かる。

「……父上。メイです」

「入りなさい」

声を聞いて直ぐにハリーは書き掛けの日記を綴じ、席を立った。

扉を開けて入ってくるメイに、長椅子に座る様に手招きする。

落ち込んでいる様子のメイに、ハリーから声を掛けた。

「……どうした?」

「……夕食の時の事が、頭を離れなくて……」

夕食時の騒動の発端がメイの相談であるために、余計にメイの頭を悩ませている事が伝わってくる。

弱々しく笑う娘を見てハリーは苦々しい面持ちで返した。

「すまない。怖がらせたな」

ハリーがそう言うと、メイは小さく笑った。

「ふふっ……。父上とお祖父様が衝突される姿を見るのは慣れっこです。……でも、今日のお祖父様は怖かった……」

決して穏やかとは言えない祖父の神代が怒る姿は、幼い頃から殆どの時間を同じ邸で過ごして来たメイにとっては、見慣れていた筈だった。

父親のハリーと神代が意見を衝突させて、今日の様な喧嘩になる事も珍しくはない。

そこに兄のロイまで加わる事まであるため、メイにとって男の怒声は聞き慣れたもので怖いと思うよりも先に、仲裁に入るのが役目だった。

母親を早くに亡くし、以来後妻を娶ろうとしないハリーのためにも、自分が家族の仲を取り持つ役をメイは自ら買って出ているのだ。

しかし、今回の神代の激怒ぶりは尋常ではないものだった。

苦笑するメイの隣にそっと座り、ハリーがメイの頭を撫でながら言う。

「父上は、私たち兄妹の中でも、特に末娘のアメリアを愛しているからな。

その孫であるテオが可愛くて仕方がないんだろう」

ハリーの少しの自虐が混じった言葉に、メイは言う。

「お祖父様は私たち、従兄妹たちにも分け隔てなく愛情を注いでくれます。テオの存在で、私たちへの愛情が薄れるとは思ってません。思ってません……、でも……」

戸惑う表情を浮かべながら、メイは話を変えた。

「……今日、テオの初等部2年生分の試験が終わりました。当然の様に全問正解で驚きを隠せません。この調子では一月で、必要範囲を習得してしまうのではないかとさえ思うのです」

「そんなにか……」

メイからの報告を受け、ハリーはテオの顔を思い浮かべて冷や汗を一滴流す。

メイは言葉を続けた。

「最早、有能では片付けられないほどです。テオは……天才です。そう、天才。……例の相談をするまでは、そう思ってました……」

「?。……どう言う意味だ?」

神妙な面持ちで言葉を紡ぐメイを見てハリーは怪訝な顔をした。

目を泳がせ、メイは言葉に迷う。

少しの間を置いてから、メイはハリーを見上げて言った。

「怖がってなかったんです。一切。全く。顔色一つ変えなかった。

お祖父様と長らく一緒に暮らしていた私が震えるほどの気迫だったのに、

テオは全然動揺していなかった。

それどころか、私が仲裁に入る前にテオが揺らがない声色で静かに言葉を挟みました。

しかも、その言葉でお祖父様が冷静になって身を退かれた!」

ハリーに縋る様にして言うメイの悲痛な表情を見て、ハリーは堪らずメイを抱きしめた。

「化け物、か」

静かにテオに対する敵対心を沸き上がらせながら、ハリーは呟く。

対しメイは無言でハリーの腕に縋った。

自分よりも年下の男の子に心から恐怖するとは思わなかった。

物腰柔らかく、謙虚で、礼儀正しく、常に真面目に授業に取り組み、

時に魅惑的に笑っては、こちらの警戒心を緩めさせてしまう。

それが本心なのか、演技なのか。

神代を静止させたテオを見てから、余計に分からなくなってしまった。

まるで、自分が繰り広げていた、おままごとにテオが付き合ってくれていた様にさえ思えてメイは恥ずかしくなったのだ。

そんなメイの心情を察してか、ハリーはメイを抱きしめながら頭を撫でて慰めた。

暫くして、ハリーから離れてメイは口を開いた。

「有能であることは、最早覆せない事実に思えます。ですが、私はテオを家族として受け入れられるか、自信がありません……」

これから先、有能な存在になり得るテオの事は、実力主義の神代家としてはむしろ喜ぶべきだ。

だが、有能すぎる故に人の心を持たない化け物を、家族として受け入れられるか?と言う問題はまた別なのだ。

メイの言葉を聞き、ハリーは少しの間思案してから言った。

「……なら次は、テオが化け物か、人か、見極めなさい。明日は休みにしたのだろう?街観光にでも連れ出せば、テオの素が見れるかもしれない」

「観光……」

ハリーからの提案を受け、メイは少し不安に思って口を噤んだ。

恐れの対象となってしまったテオと二人で観光など耐えられるだろうか?

そんな思いを抱えるメイにハリーは言葉を足した。

「お前もせっかくだから楽しんでくると良い。どうしてもテオと行動するのが嫌になったら、置いて帰っても構わない。そうなったとしても、テオは自力で帰ってくるだろう」

メイを怖がらせたテオに対する敵対心を隠さずに、話すハリーを見てメイは可笑しくなって吹き出した。

「ふふふっ!もう、父上!まだ、8歳の子に大人気ないですよ?」

「化け物かもしれない相手に遠慮など必要か?……尤も、神代の化け物は父上だけで十分だ」

「ふふ……そうですね」

ハリーの本気だか冗談だか分からない言葉に、不安な心が落ち着いたメイは一度深呼吸をしてから言った。

「……分かりました。今度はテオ自身を見極めます。

信用出来る存在か。あるいは油断ならない存在か」

「あぁ。任せたぞ」

「はい、父上。お任せください」

ハリーから下った新たな任務を受け、メイはハリーの自室を出て行った。

自室に一人になったハリーは再び日記を開き、続きを記載していく。

夕食での出来事。テオの化け物じみた優秀ぶり。メイが怖がっていた事など。

それらを書きながら、ハリーは夕食時の事を思い返す。

「ー……もし、その優秀さで、”人”であるなら……」

そう呟くと、ハリーは最後の一文を付け加えて日記を綴じ、眠りについた。

メイの見極め次第でテオの今後を左右する事になる予感を携えながら、アルベロの夜は静かに更けていく……――




第29話 完

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