187.第29話 2部目



フレディさんが図書室を出て行った後、メイさんは僕が読んでいた本の山に目を向けて、一冊手に取った。

メイさんが手に取った本は、先ほどまで読んでいた絵本だ。

「……テオ、あなた、文字が読めるの?」

「大体は読めます」

この世界……と言うよりは、このアロウティ神国で使われている言葉は、メセアと言われており、26個の文字を組み合わせて使われる。

親父さんが買って来てくれた最初の絵本を、鑑定眼で読んだ後、鑑定眼無しで読み比べ、いくつかの文字を読み書き出来る様になった。

そして、ここ神代邸に来てから図書室に1日中入り浸って、本を読む事で読み書き出来る文字を増やして行った結果、

アルファベットと同じ、26個の文字が使われている事を学んだ。

文字の形態はアロウティ神国独自のもので、アルファベットとは似ていない。

その上、どうやら文法がローマ表記の日本語と同じらしく、読むのに殆ど苦労しなかった。

ただ、時々メセアで書かれた英単語も文章に混じってくる事があり、一瞬困惑する事もある。

英単語が混じりがちなのは、異世界人の影響だろうな。

「戦術書まで読んでたの?」

絵本を片手に持ちながら、もう片手に戦術書を手にしてメイさんが驚きの表情を見せた。

読みの練習のために読んでたとは言え、本の内容が子供向きでない事が明らかなものだから、驚かれても仕方ないか。

とりあえず、これ以上警戒されないようにしなければ。

「目に止まったので読んだのですが、よく分かりませんでした」

苦笑しながら言うと、メイさんは短く息を吐く。

「それはそうでしょうね。父上や、兄上が読む様な本だもの」

そう言ってメイさんは両方の本を机の上に置いた。

「まぁ、大体は読めるって事なら、文字の読み書きを教えるのは最低限で済みそうね。ひとまず、どれくらい読み書き出来るか試験してみましょうか」

優しげに微笑みながら、メイさんは僕を品定めする様な目で見下ろしてくる。

僕としても、どれくらい正しく読み書き出来ているか見て貰いたいと思ってたところだ。

「はい。よろしくお願いします」

そう答えて、僕はメイさんの試験を意気揚々と受ける事になった。

メイさんが学園で使っていると言う、蝋板と鉄筆を借り、僕は言われるままに文字を書き始める。

数十分後。

用意して貰った簡易試験に全て答え、メイさんに提出し採点して貰っている。

全ての問題に目を通し終わり、メイさんが口を開く。

「……全問、正解よ」

意外そうな声色で言われ、僕は微笑んで返す。

「良かったです。変な覚え方してなくて」

「……そうね」

そう短く相槌してメイさんは、口を閉じてしまった。

沈黙の時間が無常に流れ、冷や汗が流れ始める。

出された問題に全て正解したのが不味かったのか?

難しい読みが並んでいた訳ではなかった筈なのだが……。

日常的に使われる挨拶や、火や水などの物質の名前、父母などの俗称などなど。

多少の間違いを出すべきだったのか?

いや、純粋に間違えてる可能性を考えると余計な事は出来ない。

僕としても、ちゃんと間違えずに覚えられているか確かめたかったし、この結果は喜ばしい筈だ。

しかし、流れる沈黙が仕出かしてしまった感覚を覚えさせ、落ち着かない。

少しして。

「……アロウティ・メセアの使い方も、数字の認識も正しく覚えられている様だし、初等部1年生の前期の授業は省いても良さそう」

そう言って、メイさんは席から立ち、ある書棚の方へ歩いて行く。

その姿を見て、僕もメイさんの後を追って書棚の方へ向かった。

後をついて来た僕に気がついて、メイさんが口を開く。

「改めて教える必要はなさそうだけど、念のためにアロウティ・メセアについて話しておくね」

「はい。よろしくお願いします」

そう言って、メイさんは本を探しながらアロウティ神国で使われている言語、アロウティ・メセアについて説明し始めた。

アロウティ・メセア。通称、メセア。

元々は女神ティアナが人間に伝えた魔法陣に使われている図形を、とある異世界人が言語として使える様に改良したものと言われている。

それがいつ頃かは、大雑把に言って創世記に近いだろうとの事。

故に、魔法陣で使われている図形の全ては、現在アロウティで使われている言語メセアで書かれており、言語を読む事と魔法陣の効果などを読み解く事は同義となる。

その影響か、識字率の低い土地では魔法陣による魔法を使用する事はほぼ不可能なのだそうだ。

学園……レッドウッド学園では、中等部2年生から魔法を教え始めるが、

文字の使い方、書き方、読み方、語彙力、知識力などを多く身につければ、

それだけ多くの魔法陣を描く事が可能となるらしい。

故に初等部1年の前期では文字の使い方を、みっちり教育され、後期では応用やその他の授業を受け始める、とメイさんは言った。

「――……あなたは、独学とは思えないくらいに読み書きがしっかり出来ているから、いきなり初等部1年の後期……いえ、下手をしたら初等部2年生の授業から入っても良いかも……」

僕に話しかけながら、何やら思案し始めたメイさんの表情は真剣そのもので、

真面目に授業をしてくれる気でいる事を感じ取れて、僕は心から安堵する。

「知らない事が出来るのは怖いので、よければ初等部1年の前期の授業から、お願いしてもいいでしょうか?」

僕の言葉を聞き、メイさんが目を見張って振り返った。

僕をじっと見て、少しの間を置いてから口を開いた。

「……そうね。念の為、前期の授業を軽くやってから、初等部1年後期の授業に入りましょ」

そう言いながら、メイさんは本当の意味での微笑みを見せてくれた。

僕を探ろうとするでもなく、ただ純粋に微笑みかけてくれた事が嬉しい。

こうして、僕はメイさんの授業を受け始めたのだ。


――……5時間後。

俄に、屋敷内が騒がしくなったのを聞き取って、書き取り途中の手を止めて僕は顔を上げた。

「……何かあったんでしょうか?」

「お祖父様が帰還されたのかも。お迎えに行きましょ」

「あ、はい」

そうか。確かに、そろそろ神代が帰ってくる頃合いだな。

メイさんに促され、僕達は図書室を出て玄関先へ向かった。

すると。

「――……おぉ!メイ!」

「お祖父様!」

神代の姿が見えると同時に、メイさんが駆け出し神代に飛び付いた!

「ふふっ。お帰りなさい!」

「うむ!お前も、良く帰って来た!」

神代は軽々とメイさんを抱き抱え、嬉しそうに笑っている。

「ふふふっ!お祖父様ったら。私はお祖父様に呼び出されて、学園を出て来たのよ?」

「あぁ、そうだそうだ。それでだな、お前に面倒を任せたいのが……」

「テオなら、もう会いました」

メイさんが笑顔でそう言うと同時に僕の方に視線を向ける。

僕と目が合うと、神代は静々とメイさんを下ろして咳払いをした。

何処か気不味そうにする神代の顔を見て、僕は一歩前へ出て声をかけた。

「お帰りなさい。お祖父様」

「む、うむ……。ただいま……」

孫であるメイさんにデレデレしている姿を見られた事が気不味いのは分かるのだが、いくらなんでも態度が違いすぎだ。

すると。

「お祖父様。テオの授業は既に開始しております。

授業開始5時間ほどですが、既に初等部1年後期の授業に入ってます」

僕の教育状態を神代に報告するメイさんは何処か自慢げだ。

少しは友好的になってくれたと思っていいのだろうか?

メイさんから報告を受けた神代はパッと表情を明るくさせて言った。

「そうか!どうだ?テオはやっぱり有能だろう!?」

神代の問いを受け、メイさんが笑顔のまま目を冷たく細めた。

「お祖父様。残念ながら、まだ文字の読み書き程度の事ですので。有能かどうかはまだ計りかねます。実際に初等部1年生の段階で、既に読み書きを習得し、入学して直ぐにAクラスに配属される生徒は居ます。その点、テオは現在8歳ですから、むしろこれくらいは出来てくれないと、困っていた所です」

……友好的になってくれたと言う考えは甘かった事を認識して、僕は苦笑した。

いくら、平民の出でも8歳ならば、読み書きくらい出来て良いだろうと言う事だろう。

尤も、本来なら平民の識字率も高くないのに、完全に理解出来ているのは珍しいと言えるのだろうな。

しかし、そこは僕の母親が元貴族のアメリア・ミラーだから、教えられたのだろうとメイさんは思っている様に見受けられる。

つまるところ、普通の平民と比べれば環境が良いのだ。

であれば、識字出来ると言うことは、それほど驚かれないのだろう。

まぁ、尤も、メイさんがそれに気がついたのは、ここ5時間の授業中だろうな。

簡易試験の答え合わせをしていた時の、驚き様は「少しだけ」とは思えないほどだったし。

簡単に僕の存在を認めるわけにはいかないと思った、メイさんの後付け理由だろう。

そんな事情を知ってか知らずか、神代は言った。

「なら存分に見極めれば良い。なんてったってテオは元は星……げふん。どうせ、ハリーの奴にも見極めろと言われてるんだろう?テオの有能ぶりは、お前達の想像を軽々と越えるぞ!楽しみしてろ!」

そう言って高笑いする神代の姿を見て、僕は肝が冷えた。

前世で”星の子”だった事を口走りかけた神代に一瞬睨みを効かせ、言わない様にしたものの心臓に悪い。

聞いた所で何の事やら分からないだろうが、疑問を持たせる事自体が不味い。

そもそも、この世界の常識と日本で培った常識や知識が通用するとも限らないのに、

何故にこうも絶大な信頼を向けられているのか……。

……まぁ、僕よりも長くこの世界で生きて来た神代の言う事だし、根拠はあるのだろうけど……。

ただただ、僕への過大評価から言われた言葉にも思えるのが、何とも不安を煽るなぁ。

その後、一休みすると言い残し、神代は自室へ向かって行った。

神代の後ろ姿を見送った後、残された僕とメイさんは図書室へ戻り、夕飯の時間まで休みなしで授業を進める事になった。

神代に過大評価される僕の力量を確かめる為だろうが、教えてくれるメイさんの笑顔が実に薄ら寒かった……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る