186.第29話 1部目
レッドウッド学園に入学すべく、首都アルベロの神代邸に来て数日。
僕は連日、朝から晩まで図書室に入り浸り、これでもかと言うほどに、
活字を目で追う日々を送っていた。
子供向けの絵本から、軍務大臣を勤める神代の邸に似つかわしい戦術を連ねた専門書まで。
……とは言ったものの大量の本がある様に見えても、その内容はあまり深くない。
これは日本で言う所の「古事記」と同じ情報量なのだが、決して多くはない。
約2000年分の歴史を一冊の本にまとめようと思えば、1000頁は下らないはずだからだ。
とはいえ、この世界「イモンディルアナ」は、およそ1400年ほどの年月しか経っていない。
それも分かる範囲だけでの話であり、古事記に記されている様な時代もあったかもしれない。
それでも1400年ほどでしかないなら、歴史書の頁数が無いのも無理はないのだが……。
それにしても200頁は少なすぎる。
紙が高級品である事を加味しても、この国の歴史書を名乗るのなら、もっと頁数があって然るべきなのだがなぁ……。
紙だけでなく、石や壁などに歴史を綴っている様な事はないのだろうか?
読んでみると、どうにも500年から1000年分も無いほどの歴史が、ようやっと200頁に収まっている印象だ。
要は、あらゆる出来事を薄く平かに引き伸ばして記載されてるのだ。
……これは、出来事を記録する人間が極端に居なかった結果という事だろうか?
そう思い、僕は例の英雄を讃える絵本の存在から閃き、子供向けの絵本にも歴史を感じさせる何かがあるかもしれないと思い、読み漁った。
英雄の冒険譚や、女神アロウティの物語、皇子と平民の女の恋物語、動物と人間の絆物語などなど……。
一通り読んでみたものの、結果としてはあまり芳しくなかった。
英雄の名の付く絵本には嫌な予感を覚えて、読むのを躊躇したのだが、読んでみたら思った通り英雄を無闇矢鱈に称える話で胃もたれしそうだった。
女神アロウティの話は、古事記の様な神の時代の話の一端を垣間見えるかと思いきや、世界創生をどの様に成したのかを、
実にふわふわと曖昧な描かれ方をしており、絵本らしくはあったものの歴史を感じられそうな所は無かった。
あとは、本当の意味での創作物語ばかりで、望む情報は無かった。
収穫があったとすれば、これらの本を描いた作者は全て同じだったという事。
話と絵をそれぞれに描く2人組らしく、全ての本に同じ名前が二つ連なっていた。
尤も、絵本作家は収入よりも出費の方が金の掛かる職業だ。
今の時代背景を考えれば、同じ作者の絵本が並ぶのも無理はない。
……そうそう。
戦術本の作者だが、恐らく神代に協力を求めて書いている。
あるいは神代が書くのを嫌がり、誰かが代筆したかだ。
と言うのも、戦術の中に日本の地形を利用した戦術や、戦に対する心構えなどが書かれていたからだ。
詳しい戦術を書くと敵国に情報を与えるも同然なので、それほどに詳しい事は流石に書かれてないものの言葉の端々から、神代の影響が読み取れた。
……まぁ、戦術の内容はともかくとして。
心構えの時点で神代しか有り得ないだろうと言う言葉が書かれていては、読む人間が人間なら直ぐに分かる。
「――……「戦は死ぬためにするのでは無い。生き残るためにするのだ」……ね」
何度読んでも苦笑が出る言葉だ。
前世の僕の理想を健気にも受け継いでくれている様を見るのは、どうにも気恥ずかしい。
それと同時に自分がどれだけ理想家だったかを痛感する。
まぁ、今もまだ戦争は死ぬためにするものじゃないとは思っているけども……。
ともあれ、この数日間で大分、本を読み漁る事が出来た。
少しの不満はあれど、収穫は十分だ。あとは家庭教師が到着してくれれば……。
と、思った瞬間、図書室の扉がノックされた。
「テオ様。フレディでございます」
「はい。どうぞ」
声をかけられ、僕は返事をしながら目の前の本を閉じようと目を向けた。
すると、直ぐに図書室の扉が開き、人が入ってきた。
フレディさんの足音では無い。明らかに高い音の靴音。
音の違いにハッとし、本を閉じて顔を上げると。
「初めまして」
微笑む若い女……いや、少女? がこちらを見下ろしていた。
僕はすぐ様椅子から立ち上がり、少女に対して頭を下げ挨拶を返した。
「初めまして。僕の名前は、テオ・ミラーと言います」
この時期に僕の元へ案内されてきたと言う事は、家庭教師である可能性が高い。
名乗らせる前にこちらが名乗らなければ。
いくら相手の年齢が僕とそれほど離れていないとしてもだ。
「あら、ふふ。……フレディ」
頭を下げたままの僕を見て微笑むと、少女はフレディさんを呼ぶ。
すると。
「テオ様。こちらは旦那様のご息女で在らせられる、メイ・カジロ様でございます」
フレディさんの言う旦那様と言うのは、この屋敷の主人でハリーさんの事だ。
つまり、この少女……メイさんは僕の従姉に当たる人と言う事か。
「今日から貴方に勉学を教えます。よろしくね?」
そう言ってメイさんは僕の目の前に甲を上にして右手を差し出した。
さて、どうしたものか。
正直言って、貴族の礼儀作法は分からない。
この場合、手を取って握り返すのが正解なのか?
それとも、手の甲に口付け……。
と、そこまで考えて鳥肌が立ちそうだった。
自分がそんな気障な事をしなければならないのかと言う考えに。
すると、メイさんが口を開いた。
「……礼儀作法も教えてあげます。でも、とりあえず今は握手にしておきましょうか」
そう言って、メイさんは差し出してきていた手の方向を横向きに変えた。
安堵したと同時に、迷いを察された事に恥ずかしさを覚える。
僕は頭を上げ、メイさんの手を握った。
「すみません。よろしくお願いします」
メイさんと握手を交わした後、メイさんは近くの椅子に座った。
メイさんが座るのに合わせて、フレディさんが静かに椅子を動かす。
一切、気にならない、邪魔にならない身のこなしは実に洗練されている。
一方、僕は立ったままメイさんの言葉を待っていた。
「私の事はお祖父様からどのくらい聞いてる?」
微笑みながらも、僕を探る様な目をするメイさんに対し僕は苦笑して答える。
「実は何も……。お祖父様は父を連れてウェルス村へ直ぐに発ってしまいましたので……」
今の今まで、家庭教師を勤める相手が従姉だとも知らなかったのだ。
どんな人物なのかなど知る術もない。
「まぁ、お祖父様ったら。あ、父上もそうね。それから、フレディ。貴方もよ」
「申し訳ありません」
メイさんに指摘されて、フレディさんは静かに穏便に頭を下げて謝罪した。
フレディさんは和やかな雰囲気でメイさんの言葉を受け止めている。
メイさんの口調も少しふざけている程度だ。
近しいものだからこその会話だと分かる。
しかし、それでも神代家の一員と使用人として一線は引いている。
僕が家庭教師について、一切尋ねた事が無かった事を引き合いに出さず、
メイさんの言葉をそのまま受け止めているのだから。
「仕方ないわ。一応、自己紹介しましょ。私は、メイ・カジロ。ハリー・カジロ伯爵の長女。レッドウッド学園高等部3年生で、教師を目指しているわ。貴方の家庭教師をするために、お祖父様に学園から引っ張り出されてきたの。教師になるための実習訓練も兼ねているから、頑張って教えるわね」
自己紹介を口にしながらメイさんはにこやかに微笑む。
しかし、どうにも薄寒い笑顔だ。
裏が有る……と言うよりは、僕の素性を探ろうとしている雰囲気が笑顔から伝わってくる。
赤茶色の髪に紫色の瞳で、見目も綺麗だからか余計に薄寒く感じる。
口調や表情だけでは、ただの気の良い美人なお嬢様なのだが。
これは、僕の実力を試す腹づもりで来ているな。
まぁ、それも当然か。
「メイお嬢様自らのご紹介、ありがとうございます。僕はアメリア・ミラーの長男、テオ・ミラーです。首都アルベロから西南方向に位置する、ウェルス村より来ました。メイお嬢様の貴重なお時間を割いて、勉学を教えて頂ける事を光栄に、そして大変有り難く思います。今日からご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い致します」
もう一度頭を下げながら自己紹介をして、頭を上げるとメイさんは少し目を見張って驚いている様子を見せていた。
その後ろで待機しているフレディさんは、微笑ましげに僕を見ている。
畏まった挨拶が過ぎただろうか?
子供らしからぬ挨拶だった事を自覚しつつ、メイさんの反応を戦々恐々と待っていると。
「……父上が判断しかねていたのが、今ので理解出来た気がするわ」
「はい?」
てっきり可愛く無いとでも言われると思いきや、予想外の言葉が出てきた事に僕は首を傾げた。
しかし、僕の反応を意に返す素振りも見せずに、メイさんは直ぐに笑顔を武装して言った。
「何でもないわ。それよりも普段の呼び方は、もっと軽くて良いわ。
ただし、勉強中は私の事を先生と呼ぶ様にしてね」
「……分かりました。メイ先生」
忠告通りに先生を呼ぶと、メイさんは少し口を尖らせて言った。
「今は普段の呼び方で呼んで欲しかったわ」
「えっ。えっと……。分かりました。メイさん」
「……。まぁ、良いでしょ」
メイさんは少し考える様子を見せながら、納得した様子で返事をした。
そして、フレディさんに部屋から出ていく様に指示を出し、早速授業が始まった。
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