175.第27話 1部目 リベラ伯爵
テオが学園への入学を決心した日の夜。
神代はウェルス村から離れ、ウェルス村を含む土地を領地としている、
リベラ伯爵の屋敷へ宿泊に訪れていた。
夕食をリベラ伯爵と嗜みながら、ウェルス村の現状を説明し、また理解を求めた。
すると、リベラ伯爵は…。
「ー…神代様。畏れ多くも、
そして、全くお恥ずかしい限りでございます…。
ウェルス村を存続しようと働いてくれた若者が居る事を、今の今まで知ろうともしなかったのですから…」
苦笑しながら頭を下げるリベラの姿を見て、神代は言う。
「無理もない。お前が下した、この領地を現状維持させるための判断を責める事は出来ん。
以前から、この領地を他の者に渡すなど考えたくもなかったが、
今後を考えれば、お前には変わらず領主で在り続けて貰わなければならん。
必要以上に自分を責め立てて、寿命を縮める事は許さん」
夕食を口にしながら言う神代の気遣いの言葉を聞き、リベラは微笑む。
ー…クロード・リベラ伯爵。
彼には妻子も親類縁者も居らず、領地を継承させる後継者も居ない。
加えて、彼自身が幼い頃から病弱な身であり、幾度も死の淵に立ってきた。
しかし、それでも生き延びてこれたのは、ひとえに彼を支えようとする人間が多くいたからだろう。
そして、彼は病弱故に通常の領主の様な領地経営が出来ないため、領地内の町に管理者を立てる事で領地経営をしている。
定期的に報告を上げさせる仕組みを作り、重要な案件以外の決裁は管理者にやらせているのだ。
ウェルス村立ち上げの案件は重要案件の一つだったため、リベラが決裁を下したが、その後の管理はグレイスフォレストの町長に一任していた。
故に、リベラは神代から聞くまで、現在のウェルス村の状況を知らなかった。
それが、意図的に知らされていなかったのか、グレイスフォレスト町長も知らなかったのかを確かめなければならなくなった事に、リベラは密かに胃を痛める。
「お気遣い感謝します。しかし、ウェルス村が復興した事に加えて、
まさか、そこに神代様の末娘で在られる、アメリア嬢が居られたとは…。
行方不明になって9年もの間、一切気が付かずに居た事、本当に心苦しく…」
「言うな。私もこの9年間、幾度となく首都への道筋で、グレイスフォレストを通りがかってきたのだ。
よもや、そのグレイスフォレストから目と鼻の先に、アメリアが居たなど考えもしなかったのだからな」
苦笑しながら言うリベラに、神代も居心地が悪そうな表情を浮かべながら同調した。
と同時に、改めてネッドの身を隠す上での判断力が高かった事を実感する。
逃亡生活の途中から確実に身動きが鈍くなったアメリアを連れて、人目を避けつつ、人の関心が離れたウェルス村へ逃げ込んだ判断は、身を隠すのには打って付けだったのだ。
当時、ウェルス村に出入りしていた外部の人間は商人が一人のみで、その商人も人からの関心を惹くほどの名は無かったため、若い夫婦が逃げ込んできた情報は
外部に漏れる事は無かった。
それどころか、ウェルス村と商人はミラー夫妻の身の上に同情してか、口を噤んでいたきらいがある。
更に言えば、その夫婦が設けた子供の存在もあって、3人の存在はより隠匿される様になったのだろう。
神子…転生者の存在は、転移者のそれよりも大きい。
転移者はこの世界の人間に望まれて、この世界、イモンディルアナに喚ばれるが、
転生者は神に選ばれて、イモンディルアナに生まれ落ちる。
文字通りの神子なのだから、信心深ければ深いほどその存在を尊重するのは当然なのだ。
テオ自身が転生者である事を隠したいと願っているなら、それに従うのは当然で、存在をなるだけ隠匿したいと思っているなら、周囲もそうしようと動く。
そう言う意味では、ウェルス村の先住民達は神子の意向に忠実に従っていただけとも言える。
ミラー一家の存在が9年間も隠せていたのは、必然だったのかもしれない。
そう。まるで、女神ティアナの導きの様に…。
そんな事を神代がぼんやりと考えていると、リベラが言う。
「ですが、ご無事だとお聞きして心底安心いたしました。
しかも、お話から察するに、健康でお幸せそうで本当に何よりです。
アメリア嬢のお心を救い、幸せにたらしめ、ウェルス村をも復興させた男。
ネッド・ミラー。一度、会って話をしてみたいものです」
にこやかだったリベラの表情が一変し、領主らしい引き締まった表情で、話題の男を見定めたいと語っている。
尤も、リベラの領地経営のやり方からすれば、ネッドはウェルス村の村長として顔合わせをしなければならない。
その”顔合わせ”を、誰が率いるか。ただそれだけの問題だ。
神代はリベラの言葉に対し、不敵に笑って言う。
「安心しろ。数日の間に私自ら、ネッドとお前を引き会わせてやる」
「えっ。神代様自らですか?そ、それは流石にお手間をかけすぎでは…」
神代の申し出を聞きリベラは困惑した。
侯爵の位を持つ神代が、一個の村の村長と、伯爵を引き会わせるなんて状況は通常ならば有り得ない。
しかも、リベラの領地内の村の村長を、余所者の神代が引き会わせるのは、何だかちぐはぐだ。
本来ならば、リベラがグレイスフォレストの町長に話をし、連れてくる様に命じた上で会うのが通常だろう。
だが。
「奴は今、私の命令で首都の基地に監禁されてる。村へ戻す事は決定してる様なものだが、ただ帰すだけではネッドの汚名は濯げない。
捕らえた私自らがネッドを解放し、村へ戻した上に、お前に引き会わせなければ、ネッドへの疑念が晴れるのが遅れる。
それではウェルス村へ人が集まりにくくなり、私の計画にも遅れが生じる。
それに、わざわざグレイスフォレストの町長に命令し、ネッドをお前に引き会わせる必要もない。
無駄な手間がかかる上、そいつはネッドの存在も、ウェルス村の存在も眼中に入れていなかったんだ。
そんな奴が、いきなり命令で引き連れてこいと言われても、ピンとこないだろう。
逆恨みでネッドを敵視しかねん。まぁ、私の娘を娶ってる事が知れ渡ったら、否が応にも敵視する貴族は現れるだろうがな。
ならばいっその事、最初の内だけは私自ら引き合わせた方が話が早い。
私も今後はウェルス村に関わる事になるしな」
神代の怒涛の説明を受け、リベラは挟む言葉もなく納得させられた。
「しょ、承知致しました。では、お手数おかけしますが、よろしくお願い致します」
「うむ」
リベラの言葉を聞き満足したらしい神代は、夕食に出されたステーキの最後の一切れを口の運んだ。
どこと無くご機嫌そうな神代を見て、リベラはくすっと笑う。
「?。何だ?」
「あ、いえ。ご無礼をお許しください」
「良い。それよりも気になるだろ。何なんだ?」
麦酒を口にしながら怪訝そうにする神代に、リベラは穏やかに答えた。
「てっきり深く恨まれていると思っていたので、気遣われているお姿を見て
勝手ながら微笑ましく思ってしまった次第です。ご無礼を」
そう言いながら頭を軽く下げるリベラを見て、神代は目を丸くした。
少しして、リベラの言葉の意味を理解し、神代は罰が悪そうに目を泳がせる。
「……まぁ、一応…娘婿、だしな…。奴に折れられては、アメリアが不幸になる」
少し前まで心から憎んでいた男の身を、案じるまでになった自分の心境の変化を指摘され、神代は複雑な思いで何とか体裁を保とうとそれらしい理由を口にした。
元々、神代はネッドの事は生まれた頃から知っており、使用人の家族も自身の家族同様に思ってきた。
当然の様に、ネッドの事も見込みのある青年として期待していた。
狩猟区域の管理や馬丁と言った仕事ではなく、弓兵士として私兵団に抱え込みたいと考えていたくらいには評価していたのだ。
故にアメリアと共に姿が消えた時の失望と恨みは計り知れなかった。
だが、今は期待していた頃の感情が戻ってきた様に思える。
実は自分の期待は裏切られていなかったと言う安心感さえあるのだ。
期待していた青年が、最愛の娘の笑顔を取り戻してくれた。
自分の見る目は間違っていなかった事や、娘を幸せにしてくれた事への感謝。
そこに男親として愛娘を取られた悔しさを滲ませながら、神代はネッドを許す事にしたのだ。
そんな心境が表情や言動に漏れるほどだと気が付かされ、神代はむず痒い思いをしながらリベラ伯爵邸で一晩を過ごすのだった。
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