155.第24話 1部目 前田清と言う男


ー…神代 カジロ イサム

今、僕を怪しむ目で見つめる老年の男の名前。

…僕は、この男を知っている。

「ー…貴様は何者だ?」

その質問に答えた時、この男がどんな顔をして僕を見るのか。

憎い男と愛しい娘の間に生まれた男児の孫、と言う複雑な事情に、

更にややこしい関係を上乗りさせてしまうことになるだろう。

しかし、神代侯爵は僕の答えを待つばかりで、それ以上の問いを重ねてこない。

僕が答えるまで、忍耐強く待つつもりなのだろう。

…僕を威圧しながら。

「……」

神代侯爵の質問に答えずに、僕はかつて無いほどに頭を悩ませた。

僕の正体を明かして、事態がどう転ぶか想像が出来ないからだ。

…いや、恐らく事態が悪化する。

前世の僕が、彼に、恨まれて居る可能性が高いのだから…。

「テオ」

質問に答えずに自問自答する僕を急かす様に、神代侯爵が僕の名を呼ぶ。

答えるまで解放するつもりはない。と暗に言われている。

子供らしく振る舞い、先ほどのヤラカシを誤魔化す事も考えたが、それで騙せるほど神代侯爵は甘くないだろう。

…つまりは、僕に逃げ道など無いのだ。

僕は意を決して、口を開いた。

「…第、18師団」

神代侯爵の眉が動く。

「歩兵第36連隊…」

呪文の様な言葉を羅列しながら、僕はその響きに懐かしさを感じた。

前世の僕にとって、苦く、辛く、誇らしさを思い起こさせる言葉の数々だ。

息を大きく吸い込み、ゆっくりと吐いた後で僕は神代侯爵を真っ直ぐに見つめた。

「…砲兵中隊、中隊長。前田清大尉であります」

そして、名乗りながら僕は背筋を伸ばし、神代侯爵に向かって敬礼した。

神代侯爵は目を見開きながら、信じられないモノを見る目で僕を見下ろす。

何も言わず、困惑する様子を見せる神代侯爵に僕は続けて言った。

「…それが、前世の僕の名前です」

「…っ!?。て、転生者…なの、か…!?」

ようやっと絞り出す様に言われた疑問に答えるべく、僕は服をたくしあげて、左胸にある痣を神代侯爵に見せる。

転生者の証である、女神の印。

僕が転生者である事を知って居る人物にしか、見せた事が無い印を、証拠として見せたのだ。

それを見た神代侯爵は益々、信じられない様子で目を泳がせている。

嘘だと思いたいのなら、思って貰っても構わない。

むしろ、その方が僕にとっては都合が良いかもしれない。

彼が僕を恨んでいるとすれば…だが。

困惑する様子を見せる神代侯爵に何を言うべきが言葉が浮かばずに、苦々しい思いで待機して居ると…。

「…私の…いや、俺の婚約者の名前は?」

唐突に出された問題に答えるのを少し躊躇したが、僕が本物であるかを確かめるつもりで聞いているのだと理解して、答える事にした。

「ユウコさん」

僕の答えを聞き、神代侯爵は何とも言えない顔をしながら、更に聞いた。

「俺の実家は?」

「神社。200年ほどの歴史がある由緒あるお家柄だったね」

「好物は?」

「甘い物だったかな?特に月餅が好きだったね。あれを肴に酒を飲んでいたような…」

昔を思い起こしながら話すと、唐突に神代侯爵が僕へ詰め寄ってきた!

両肩を物凄い力で掴まれ、いよいよ殴られるか…!?と覚悟する。

…しかし。

「本当に…本当に前田中隊長殿でありますか!?」

縋る様な表情で問われた事に僕は拍子抜けした。

てっきり恨まれているものと思っていたが…。

「……うん。…良く、生きていてくれたね。神代上等兵」

呼ぶのに少し躊躇したが、僕は前世で呼んでいた様に彼を呼んだ。

すると。

「おぉお…おおおお!中隊長殿おおおおおお!!」

「ぐうっ!?」

いきなり渾身の力で抱き締められた挙句、神代は大声を上げて男泣きし始めた!

まさか、首都に来てまでこんな事になるとは…!

しかも、相手は前世に於いてのかつての部下。

…そう。この男は戦場で行方知れずとなり、戦死したと思われていた部下なのだ…。




神代が散々に男泣きした後、ようやっと解放された僕は一息吐いた。

「…中隊長」

神妙な声色で呼ばれ、僕は振り返る。

目元を赤くさせた、かつての部下が老いた姿で床に膝を付き僕を見上げている。

その目に恨みはない。

てっきり戦場に置き去りにしてしまった僕を恨んでいるものと思っていたが…。

「…うん?」

かつての立場で呼ばれた理由を尋ねると、神代はまたも泣きそうな表情をしながら答えた。

「じ、自分は…この数十年、大日本帝国を思わない日々は有りませんでした」

…またも懐かしい呼称が飛び出したものだな。

久しく聞く事の無かった前世の故郷の旧名を聞き、懐かしさを思う。

僕は神代の言葉を聞き続ける。

「あの日、足を負傷した自分は…死を覚悟していたつもりでしたが、

故郷に残してきた優子や、中隊長達の元へ帰りたいと切に願い…。

し、死にたくないと……」

「…うん」

神代はぐっと涙を堪えながら言葉を続ける。

「戻りたい、と……神に縋る思いで……」

「…うん」

「生きて、中隊長達とまた酒を呑みたいと…っ」

堪えきれずにぼたぼたと神代の手元に落ちる涙を見ながら、僕は身につまされる思いで応える。

「今の僕はまだ無理だけど…その内、また呑もう。生憎、僕1人だけどね」

「な、何を言いますか!自分は、もう、日本へ戻る事は叶わない身。

今になって、あなたとまた会えるなんて…どれほど…!」

切望していた者が目の前に居る。

故郷を知る人間が、同じ時代を生きた戦友が居る。

その事が神代にとっては、涙するほど嬉しいらしい。

だが…。

「…神代…お前は僕を恨んでいないのかい?」

神代を戦場に置き去りにした上官である、前世の僕を。

どんな恨みを言われようと、全て受け止めるつもりだった。

しかし、先ほどから神代の口から出てくる言葉は、僕にとって耳障りが良すぎる。

僕の問いに神代は迷う様子を見せながら答えた。

「…正直、中隊長を恨む時も有りました。

…ですが、中隊長は中隊長の掲げた理念の元、自分達を生かそうとなさっていた。

あの時も…片足を失った斎藤上等兵を担いで逃げる途中、自分は足を縺れさせ倒れてしまった。

中隊長は自分も助けようとして下さった!

先に行ってくれと、斎藤上等兵を助けてくれと言ったのは自分です!

直ぐに迎えに来ると中隊長は言って下さったじゃないですか!」

そう語る神代の姿が、僕が知る若い神代上等兵の姿に見えた。

顔に深い皺を刻んでいるにも関わらず、まるで新兵の様な表情だ。

しかし、そう思う度、僕は苦い思いを思い返す。




ーーーーーー

※この話に出てくる、『第18師団歩兵第36連隊砲兵中隊』は実在しません。また、実在する団体等との関係も一切ございませんので悪しからず、ご了承ください。※

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