140.第21話 3部目 家出
お袋さんは侯爵家に生まれ、15歳の成人と同時に社交界に出る事と婚約者の発表を控えていたと辿々しい口調で話してくれた。
しかし、お袋さんはその決められた結婚から逃げたのだとも言う。
その話に衝撃を受けたものの、思っていた通りお袋さんは良い所のお嬢様だったのだ。
しかも、ちょっとした良い所のお嬢様ではない。
皇族や王族と血縁でない人間が昇り詰められる貴族の位、侯爵の娘だったのだ。
流石にこの事実には恐れ入った。
しかし、それだけ高位の貴族令嬢ともなれば結婚は相当に重要な筈だ。
結婚とは本来、家同士の結束を確かにする物であり、それから逃げると言う事は家を裏切る事に相当する。
…つまり、お袋さんは家を裏切って家出したお嬢様と言う事になる。
僕はその事実に少なからずの嫌悪感を抱いた。
家同士で取り決められた結婚から逃げると言う事は、逃げた本人だけの問題ではなく家同士に深い軋轢を生む。
それが双方の…特に逃げた方の家にとってどれだけ損害になるか。
考えるだに恐ろしい事をしたものだ、と僕は心の中で思った。
しかし、それと同時にお袋さんが深い事情も無く結婚から逃げたとは思えなかった。
「…どうして、逃げたの?」
僕の問いに、お袋さんは自分の目に手をやりながら答えた。
「……目、が…」
「目?」
「私の、目の色が…気味が悪いと言われたから…」
心を抉るような言葉をお袋さんは苦々しい表情で答えた。
目の色が気味が悪い?どう言う事だ?
怪訝に思っていると、お袋さんが絞り出すように続きを話す。
「私の目の色は、お父様からの遺伝で…。お兄様方やお姉様方には遺伝しなかった。
私にだけ…お父様の目の色が遺伝して…学園生活の中でも、気味が悪い、不吉、恐ろしい…なんて言われていたわ。
…婚約者だったマイク様にも…「結婚したら、顔を伏せて生活しろ」と言われたり、
「目を見るな。呪われる」と言われたり、「いっそ目を縫ってしまえ」と言われたり…。
本当…散々に目の色で嫌な思いをしたわ」
お袋さんの口から告げられる言葉の数々に、僕は結婚から逃げた事実以上の衝撃を受けた。
僕にとって、お袋さんの黒い瞳は身近に感じる物であり、忌み嫌う物ではないからだ。
むしろ、最初に親父さんの姿を見た時の方が驚いたくらいなのだ。
根が日本人であるからか、金髪青眼の親父さんの存在はかなりの衝撃だった。
逆にお袋さんの赤茶髪黒眼は、違和感なく受け入れられた。
それに、ウェルス村に暮らす住民達もお袋さんの目の色を忌み嫌う素振りなど、一切見せた事が無い。
何故、同級生、婚約者からそれほどまでに忌み嫌われていた?
強烈な疑問に頭を悩ませていると、お袋さんが続けて言った。
「…でも、ネッドは違ったわ」
「え?」
「ネッドは…この目で自信を無くした私に、こう言ったの」
ー…気味が悪い?
…そんな事ある訳ないでしょう。お嬢様の目は…星空…の様です。
あー…。
…初めてお会いした時も、星みたいに煌めいた目をしてると思いましたよ。
目を合わせると、惹き込まれると言いますか…。
……と、ともかく!お嬢様の目が気味が悪いなんて事、絶対に無いです。
んな事言う奴は相手しないで良いんですよ…ー
「…って。ふふ…っ」
過去の親父さんが言った言葉を思い返して、お袋さんは嬉しそうに微笑んだ。
良い思い出を語って微笑むお袋さんに釣られて僕もフと笑う。
そういえば、前にも親父さんが柄にもない事を言ったと聞いた時が合ったな…。
確か、リズがウェルスに来て直ぐの頃だったか。
そうだ。あの時も、お袋さんの目の色を気にする理由が分からず首を捻ったんだった。
しかし、こうして改めて聞いてみても分からない。
お袋さんが幼少期に関わってきた人間や、婚約者はお袋さんを目の色で罵倒したと言うが全く信じ難い。
この世界は、異世界人の存在が受け入れられ易く出来ている。
そうでなければ、レオンくんはもっと恐れ慄かれていた筈だ。
レオンくんは黒髪黒眼であり、地球で言う所のアジア人である。
黒髪黒眼が恐れや軽蔑の対象として、この世界に浸透しているのなら、
お袋さんに対する蔑視も分からないでもないが、これまでの現世界人達の反応を見るに、そうではない。
黒髪黒眼が珍しいとは言え、差別される様な見た目ではないのだろう。
しかし、それならば何故お袋さんは蔑視されていたのか?
お袋さんは父親からの遺伝だと言っていた…。
まさか…!?
「ねぇ。母ちゃんの親父さんって、もしかして…転移者?」
もし、お袋さんの黒眼の遺伝がただの遺伝ではなく、付加価値が合ってこその遺伝だとすれば、そこに差別理由があるかもしれない。
その理由に心当たりがあった僕は、お袋さんにそう尋ねた。
そして、お袋さんは静かに答える。
「…そうよ。レオンくんと同じ。日本からの転移者。私は、その子供。
私みたいな人の事を「異世界人ジュニア」って言うのよ」
やはり、予想通りだった。
お袋さんはの黒眼は、日本人から受け継がれた黒眼なのだ。
そして、それこそが差別理由に他ならない。
「それじゃあ…母ちゃんの元婚約者も”ジュニア”だったの?」
「いいえ。マイク様の家系は代々続く家系だったから、私よりも異世界人の血は薄いと思うわ」
「それって、つまり…元婚約者の家系も、元を辿れば異世界人って事…?」
「そうよ。この国の貴族の殆どは、異世界人やその血筋の人間だもの」
貴族の殆どが異世界人と言う言葉に、僕は三度の衝撃を受けた。
現世界人が異世界人を畏怖している理由が、嫌でも分かったからだ。
この国で領地を持つ貴族は異世界人で、この国の中枢に席を置いているのも異世界人。
ひょっとしたら、【異世界人連盟】と言うものの中に居る人間の殆どは貴族なのかもしれない。
その上、もし、この国の実権を握っているのが異世界人だとするなら…。
そこまで考えて僕は嫌な考えを打ち消した。今、考えても仕方がない。
しかし、お袋さんの答えを聞き、僕は合点がいった。
お袋さんの目の色を蔑視していたのは、貴族に関連する人間達であり、
恐らくだが、お袋さんの元婚約者の家系は、言わば白人至上主義の考えを持った家系だったのかもしれない。
代々続く家系であると言うのも相待って、差別意識が根強く残ってしまっていたのだろう。
だが、そう言った差別意識が無い現世界人達にとっては、意味が分からない。
だから、親父さんやおばば達はお袋さんの目の色を気にする事が無かったのだ。
しかし、そうなると差別意識を持った元婚約者とお袋さんの結婚も考えものだ。
結婚したく無いと思うのも無理はない。
かと言って、何も言わず家出をすると言う行為は褒められた物ではないが…。
「婚約を破棄する事は出来なかったの?」
「…ネッドにも言われたわ。「そんな男と結婚する必要ない。旦那様に言って、婚約を無しにして貰うべきだ」って…」
「なら…」
「でも、私がお父様に婚約破棄のお願いをしようとした時、お父様は首都に出向していて…。
その次の日には、婚約発表が迫っていたわ…」
つまり、発表寸前になって、やっぱり結婚したくないから父親に事情を話そうとしたが、父親が遠くに行ってしまっていたと言う事か…。
お袋さんの結婚の決定権を握っていたのは、お祖父様だったのかもしれないと思うと、
お祖母様に事情を話しても、その場で婚約破棄出来たかどうか分からないな。
しかし、一度婚約を発表してしまえば、それを覆すのは並大抵の事ではない。
公に発表される前ならば、穏便に済んだかもしれないが、それも叶わなくなったから逃げる事にしたのか…。
「…婚約発表の日が迫って、私、やっぱりマイク様とは結婚したくないって思ったわ。
結婚したら家から出して貰えなくなるでしょう?
そうなったら私は狭い世界の中しか知らずに、辛い日々を過ごして行く事になる。
それが、とても嫌で嫌で…。
ネッドと話していく内に、もっと色々な景色や人を見てみたいと思ったの。
私が思ってるより、この国の人達は優しいんじゃないかって思ったから…。
思えば思うほど、領地から出て行きたいって強く思うようになったわ。
だから…だから、私は家出をする事にしたの」
続けて、お袋さんは当時の気持ちを優しい口調で話してくれる。
「家出を決めた時、ネッドにだけは知っておいて欲しくて家出すると話に行ったわ。
そしたら、ネッドは「考え直せ。旦那様の帰りを待つべきだ」って言ったの。
でも婚約発表されたら、もう逃げられない。結婚して家に入るよりも国を見て回りたい。
そう話したら、ネッドは「放っておけないから自分も行く」って言って、私の家出に付いて来てくれたの」
つまり、親父さんは世間知らずのお袋さんを守るために、家出に付き合ったと言う事か?
そうにしたって、親父さんは一体何者だったんだ?
侯爵令嬢と友人関係になれる人間なんて、そう多くは居ない。
「…父ちゃんって…何者だったの?」
聞かねばならないと分かっていても、聞く事を若干躊躇してしまった。
お袋さんは度々ボロを出していたから、予想も付いたが親父さんはサッパリだからだ。
学校に行っていないと言う事から、平民の子だとは分かるが…。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます