114.第16話 4部目 5枚

ネッドの目に古ぼけてボロボロになった本が目に入ったのだ。

「…本?」

「どうしました?旦那さ……これはこれは、また珍しいものが…!」

店先で店主であろう老婆がうたた寝している露店に、その本は有った。

そもそも、この世界では羊皮紙が主流であり、紙自体が高級品な為、本なんて物はそうそう見れるものでは無い。

しかし、その露店は骨董屋の様でありとあらゆる骨董が並べられていた。

ネッドが見つけた本も骨董の一種なのだろう。

本来ならば高級品として扱われる筈の本を見つけ、エヴァンは嬉々として手に取った。

「これは凄い…!内容が判別出来る本なんて…!」

興奮するエヴァンの横に立ち、ネッドは中身を覗き込む。

どうやら幼児向けに作成されたらしい、絵本である事が分かった。

しかし、絵は殆ど見えなくなっている上、紙もボロボロで内容も辛うじて理解出来る程度の物だ。

だが、相当に人の手を巡り巡ってきた事が分かる。

本の所々にシミもあれば、今にも千切れそうなほどに痛んだ紙や装丁だが、高級品としての威厳を保ち続けている気さえする。

「おばあさん!これは幾らで売ってるんだい?」

エヴァンが店主の老婆に聞くと、老婆は静かにゆっくりと片手を上げた。

5本の指がしっかりと伸びている。

物も言わずに出された片手をじっと見て、エヴァンは聞いた。

「銅貨50枚?」

それくらいなら手が出せる!とエヴァンは喜色を露わにする。

しかし、老婆は静かに首を横に振った。

そして、手元にあった銀貨を1枚見せる。

その行動からエヴァンは驚きに声を上げた。

「ぎ、銀貨5枚!?」

老婆は静かに頷いて、手の平を上に向けてエヴァンに差し出した。

銀貨5枚を払え。と言う意味だろう。

「い、いやいや!いくら本だからって、これだけボロボロになってて今にもバラバラになりそうな本に銀貨5枚も払えないよ!」

そう言いながら、エヴァンは本をそおっと店先の棚に戻す。

流石の高級品である。どれだけボロボロになっても、その価値は並大抵の物では無い。

もし、この絵本が万全の状態であるならば10倍の値段がついても可笑しくなかっただろう。

しかし、そんな高級品である本が骨董屋に並んでいる事にネッドは切なくなった。

どれだけ価値のある物でも、いずれはこうして人から必要とされなくなるのか…と。

帰ろうと急かすエヴァンの声を聞きながら、ネッドは古本の存在が気になって仕方が無かった。




「ー…どう?出来そう?」

「うーん…多分…」

そう言いながら、お袋さんは机に魔法陣を描いていっている。

親父さんがグレイスフォレストへ向かって6時間が経過した今、僕達は拘束魔法の構築に王手を掛けていた。

魔法陣と言うモノは墨や紙を必要とせず、使用者の思い一つで描けるものらしくお袋さんは机に魔法陣を描いては、違うとなったら消す作業をしている。

既存の魔法陣ではなく、対象者の行動を制限する為の、言わば拘束魔法と言う、未知の魔法を作ろうと言うのだから無理もない。

その上、僕が魔法に盛り込みたい要素をぽんぽん言うものだから、お袋さんも頭を悩ませている様だ。

10歳以下の子供に魔法を教える事が禁じられている為、お袋さんは魔法陣の法則や描く手順などは一切口にせず、僕が言う要素を盛り込む作業を繰り返してくれている。

その様子から察するに、魔法陣に組み込める要素は限られているのだろう。

あるいは、幾らでも要素を盛り込む事は出来るが、別に何かの消費が必要になるのかもしれない。

この場合はお袋さんの魔力だろうか?

そもそも魔力が一体何なのかが分からない僕としては、単純にお袋さんが疲れるだけだと判断しているのだが…どうなのだろうか?

「…ふー。これでどうかしら?」

そう言いながらお袋さんは僕に魔法陣を見せながら問いかけてきた。

しかし、僕には綺麗な模様をした丸にしか見えない。

「…どうなんだろう?」

僕が困った様に言うと、お袋さんも困った様に首を傾げた。

「…ネッドに見て貰った方が良いかしら」

「うん。その方が良いと思う。僕が言った条件は全部入ってるんだよね?」

「えぇ。頑張って全部入れたわ!」

「そっか。ありがとう、母ちゃん」

自信満々に言うお袋さんに礼を言うと、お袋さんは嬉しそうに笑う。

そして、親父さんが帰ってくる前に拘束魔法を完成させられた事に二人で安堵した。

すると、僕達の耳に馬車が走る音が飛び込んでくる。

「あの音は…」

「ネッドが帰って来たのね!」

「うん。そうみたいだね」

親父さんの帰還を察知したお袋さんは急いで家を出て行く。

僕も慌てて着いて行くと、もう直ぐ近くまでエヴァンの荷馬車が迫って来て居る姿が見えた。

今か今かと、落ち着きなく体を動かし続けるお袋さん。

よっぽど親父さんの帰りが待ち遠しいらしい。

少しすると荷馬車が家の近くに止まり、後ろの荷台の中から親父さんが姿を現した。

「ネッド!」

親父さんの名前を呼びながら、お袋さんが駆け寄って行く。

「アメリ…おわっ!?」

そして、駆け寄る勢いのままお袋さんは親父さんに飛び付いた。

丁度、荷台から降りた所で抱き付かれたため、親父さんは背中から荷台に倒れ込んだ。

頭を打ったらしい親父さんの呻き声と、慌てて謝るお袋さんの声を聞きながら、僕はエヴァンの元へ向かう。

「おかえり。両替は上手くいった?」

「あぁ、テオ坊ちゃん。お陰様で無事に報酬を頂けたよ」

肩の荷が下りた様子で答えるエヴァンを見て、僕もほっとする。

しっかりとお互いの役目を果たせた事を嬉しく思った。

「そっか、良かったー。父ちゃん、何か買って来てくれたかな?」

「あぁ、それなら……」

そう言いながらエヴァンは荷馬車の前の方から、荷台の中を覗き込んだ。

すると、俄かに体を強張らせて僕の方へ向き直る。

「…うん。色々あるんだけどね…その…旦那さんの”用事”が済んだら話そう」

何やら荷台の中に倒れこんだ親父さんとお袋さんの様子を見て、気まずそうにしている。

どうやら、仲睦まじくしているらしい。

「……。うん、分かった」

邪魔をするのも野暮というものだろうし、用事が済むまで僕とエヴァンは別の事を話している事にしよう。

「ねぇ、エヴァン」

「ん?何だい?」

「父ちゃんに使った包帯代とかは受け取った?」

親父さんの足の怪我を縫合するために使った糸や、

傷口を保護するために使った包帯の代金をエヴァンに支払わなければならない筈だが、

親父さんは成功報酬と一緒に払っただろうか?

僕の問いを聞いてエヴァンは困った様に笑って言った。

「あぁ…それは…。うーん。実は、あの包帯や糸はわたしの持ち物でね?商品では無いんだ。だから代金は貰ってないよ」

…どうやら、エヴァンは包帯代を請求するつもりは無いらしい。

恐らく親父さんへの罪悪感がエヴァンをそうさせているのだろう。

親父さんはエヴァンを許したが、エヴァン自身はエヴァンを許せていないのかもしれない。

そして、少しでも償う為に包帯代は請求しない。それがエヴァンなりのケジメ。

ならば、僕も深くは追求しないでおこう。そうする事で少しでもエヴァンの罪悪感を払拭できるのならば、口を噤む事にする。

「…そっか。エヴァン。父ちゃんを助けてくれて、ありがとう」

「っ。い、いや、そんな…お礼を言われる事なんて…」

僕の言葉を聞いてエヴァンは少し泣きそうな表情で目を泳がせる。

「エヴァンが包帯をくれなきゃ、父ちゃん、死んじゃってたかもしれないんだもん。ありがとう、だよ」

これは比喩でも何でも無い。

エヴァンが糸と綺麗な包帯を提供し、リズが縫合し、ジョン達が親父さんを抑えつけ、パーカーが補佐をし、おばばが指揮を取らなければ…親父さんは感染症に罹り死んでいたかもしれないのだから。

全員の力がなければ、僕達は親父さんを喪っていただろう。

「テ、テオ坊ちゃん…」

無邪気さを装って言うのは中々に難しかったが、何とかエヴァンは僕の礼を受け取ってくれた様だ。

感極まった様子で僕を見つめている。

すると、親父さんとお袋さんが荷台の後ろから揃って出て、こちらへ来た。

「あー…悪い。待たせた」

バツが悪そうに言う親父さんの後ろで、お袋さんが微笑みながら嬉しそうに顔を赤らめている。

何をしていたのかを大体察してしまえるのが、二人の子供としては何ともツライ。

仲睦まじいのは結構な事なんだけどねぇ…。

どの立場で二人を見れば良いのか微妙な所である。

「だ、旦那さん!い、いえ!テオ坊ちゃんが話し相手になってくれてたので…」

「父ちゃん!おかえりー!ねぇ、何、買って来てくれたの?」

「あ?お、おぉ…」

とりあえず、父親の帰宅を喜ぶ子供を装って親父さんに飛び付いてみる。

まぁ、当然の様に親父さんは困惑した様子を見せた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る