70.第9話 1部目 クッキー
パーカーがウェルス村へ移住した事で鍛冶場が必要となった。
火を扱う建物と言う事で、たたら場や水車小屋と同じく川側に建てる。
骨組みは木材で作る他ないが、壁や屋根は燃えにくい素材を使う予定だ。
日々、樹木が無くなっていっている現状を知った今となっては、本当なら骨組みに木材を使うのは控えたい所だが…。
鉄筋を作るだけの技術が無いのでは致し方ない。
骨組みを作らずに建築するなんて事は、僕の中の選択肢には端からない。
地震大国の日本で暮らしていた身からすると、災害や人災に強い建物を建てたいと思ってしまう。
出来る限り、親父さんたちに壊れやすい建物は作らせたくない。
建てている最中の事故や、使用中の事故を起こさせたくないからだ。
ただでさえ人手が少ないと言うのに、その上大怪我なんてさせたら現状では対処しきれないと言う理由からも、しっかりとした骨組みは作らせるべきだ。
それが例え、樹木の消費に拍車をかける事になるとしても。
その代わり、無くなった分を僕が補ってみせる。春になったら、植林祭だ!
鍛冶場は、たたら場の倉庫から少し離れた場所に建てる事になった。
監督は親父さんが行いつつ、ジョンら若い男を中心としてパーカーやウィルソンさんも建築に加わっている。
基本はたたら場の倉庫を作った時と同じであるため、僕がそこに居る必要はない。
尤も、例えトラブルが起こったとしても僕はそれに関与するつもりはない。
親父さんには酷な事をするかもしれないが、現世界人たちの特性を聞いたからには、その部分も解決していかなければならないからだ。
何かある度に僕に意見を求めている様では駄目だ。
僕が転生者である事を知っているのは、ウェルス村の年寄りたちに加え、親父さんとお袋さんだけだ。
新参者であるパーカーやジョンたちは知らない。
村の一員になったからには、僕の事を知っておいて貰った方が何かとやり易くなるだろうと思っていたが、暫く伏せておく事にした。
神子とも呼ばれる転生者の存在が、どれだけこの世界の人たちに影響を与えるか未知数だからだ。
転生者だからと言う理由だけで祭り上げられる様にはなりたくない。
これまでの事を聞くに、僕の存在は彼らの成長を妨げかねない事が嫌という程分かった。
ならば、いざという時だけに、僕が持つ限り有る知識を提供するだけに留めたいものだ。
そんな事を考えつつ僕は今、お袋さんと、ある食べ物を作っている。
水車小屋にて挽いた麦粉を土器の鉢に入れ、牛乳と卵、獣脂を入れながら、ひたすら混ぜている。
牛乳はエヴァンに頼んで仕入れて貰った。
冬と言う事もあり鮮度に問題はないが、量を仕入れなければならなかった事と、運搬費の関係で結構費用がかかった。
「ふぅー…中々、大変なのねぇ。これ…」
そう言って、お袋さんは額に滲む汗を拭き取った。
「代わるよ。もう少し捏ねたら、外で寝かせるね」
「寝かせる?これ、食べ物になるんでしょう?生きてるの?」
渾身のボケを真顔で言うお袋さんに僕は苦笑して言葉の意味を説明する。
「生きてないよ。寝かせるって言うのは時間を置いて生地の状態を良くするって意味だよ」
「あらぁ。じゃあ、やっぱりこの生地は生きてるのね!」
「えぇっと…母ちゃん、僕の話聞いてた?」
「だって、ネッドもテオも眠ったら元気一杯になるでしょう?この生地も、たっぷり寝ると元気になるのだし、やっぱり生きてるのよっ」
…うーん。真理をついている様な、いない様な…。
まぁ、漢字で”生地”と書くし間違えてはいないと思うが、それにしてもお袋さんの天然発想は何とも気が抜ける。
生きているモノを捏ねくり回し、整形し、火で焼く事になるのだが…それはお袋さん的には問題ないのだろうか?
絞められたセイショクノケイの肢体を見て、顔色を悪くしていた人の発言とは思えないな。
ともかく、僕は捏ねあげた生地が入った鉢に木蓋を被せて、外に出した。
この状態で大凡2時間以上待つ。
今、僕たちが作っているのは…クッキーである。
何で、また菓子を作り出したかと言うと、これも年寄りたちの足の状態を良くする食べ物の一種になるからだ。
コンダイの塩漬けのお陰で、年寄りたちの足の具合は段々と良くなってきている。
だが、食べ飽きてくるのは如何ともしがたい。
そこで、気分を変えるためにもクッキーを作り始めたのである。
と言っても、砂糖までは入手出来なかった為、味気ないかもしれないが…まぁ少しは気分が変わるだろう。
尤も、出来る事が少ない年寄りたちを元気付ける意味合いが強いのだが…。
自分がそうだったからか、どうにも年寄りたちに同情してしまうなぁ。
早い所、自由に歩き回れる様になって欲しいものだ。
2時間後。
生地がいい感じに固まっているのを確認し、僕とお袋さんは生地を一口大の大きさに整形し始める。
次から次へと程よく丸いクッキーを作っていく僕の側で、お袋さんは何やら形に拘り始めた。
「ねぇ、テオ見て。可愛いでしょう?」
そう言ってお袋さんが披露したクッキーはハート型をしていた。
ありがちな形を見せられて僕は思わず微笑んでしまう。
「この世界でも、そのモチーフは”可愛い”象徴なんだねぇ…」
「ふふっ」
のんびりとした時間を過ごしながら、僕たちは生地の全てを整形し終えた。
さて、いよいよクッキーを焼き上げる。
と言っても、オーブンなどと言った便利なものは無いので、熱した石の上に乗せてじっくり焼いていく事になる。
幸いな事に暖炉だけは作ったので、暖炉の中に適度な大きさの石を設置し、木炭を周りに焼べて点火。
動物性油を石の上に塗りたくり、整形した生地を順に乗せていく。
使っている油はこれまでに貯めて置いた、セイショクノケイの油身である。
その内に、ジョンやパーカーにフライパンなどの便利な調理器具を作って貰いたいな。
そのためには、まず鍛冶場とたたら場での製鉄をしなければならないのだが…。
親父さんの現場監督が滞りなく進む事を祈ろう。
何しろ、あのスミス親子が加わった建築現場だからなぁ…。
「ねぇテオ。クッキー、焦げていない?」
ぼんやり考え事している間に、焼けるクッキーの匂いが仄かに漂ってきていた。
焦げてはいないが、そろそろ引っくり返しておこう。
「大丈夫。これでもう少し焼いたら、次も焼き始めよう。焼き終わったクッキーを置いておく入れ物を用意してくれる?」
「分かったわっ」
そう返事してお袋さんは増え始めた土器の食器を吟味し始めた。
正確には粘土を大雑把に整形し、炉で焼いたものになる。
陶器と言って差し支えないのか判断が付かないため、土器と呼称している。
この手の陶器については、前世でろくろ体験に参加したことがあるくらいで詳しい事は僕は分からない。
ただ、茶碗だけは同じ陶芸家に作って貰っていた。
土の色、形、重さからぴったりな感覚を齎してくれる実に具合の良い茶碗だったのだ。
尤も、今世では米が食せるかも怪しい環境だから、茶碗どころの話では無いのだが…。
そんな事を思いながら暫く焼き続け、お袋さんが選んだ食器の中に次々とクッキーが重なっていく。
そして、最後のクッキーを焼き終わり完成品を見てお袋さんは声を上げた。
「クッキーなんて久々に見たわぁ。とっても美味しそうねっ」
「甘く無いと思うけどね…」
いっその事、牛乳を使わずに干し肉を生地に練りこんで焼いてみるべきだったか?
砂糖が牛乳よりも高かった事から、甘みを牛乳に求めたものの、牛乳自体はそう甘く無いものだ。
「あら、食べてみないと分からないでしょう?」
そう言って、お袋さんはウキウキとしながらクッキーを1つ手に取る。
最初の味見は僕がしようと思っていのだが、制止する間も無く、お袋さんはクッキーを口に運んでしまった。
一口食み、お袋さんはもぐもぐと咀嚼する。
ハラハラとしながら、お袋さんの様子を確かめる僕。
すると、お袋さんは突然頰に手を当てて俯いた。
「か、母ちゃん!?どうしたの!?」
ま、まさか…異物が入り込んでいたのか!?
使用していた土器の一部が剥がれ落ちて生地に紛れたか!?
それとも、焼いている間に何かが…!?
「と………っても、美味しいっ!」
「………え?」
幸せそうに微笑みながら、お袋さんは残りのクッキーも頬張る。
その顔に偽りは感じられない。本当に美味しいと思って食べてくれている様だ。
「でも…甘くないでしょう?」
「そんな事ないわっ。ちゃんと牛乳の甘さを感じられるものっ」
そう言って、お袋さんはまた1つクッキーを手に取った。
うーん。これは、エヴァンが持ってきた牛乳が優秀だったと思うべきか?
でも、試しに味見した時、そんなに甘さは感じなかったけどなぁ…。
僕の舌が発達しきってない所為だろうか?
ともかく、お袋さんが喜んでくれたなら何よりだ。
…っと、お袋さんの笑顔を見て、本来の目的を見失う所だった。
僕はお袋さん用に少し取り分けた後で、村の年寄りたちに配給する分と、少しだけクッキーを残しつつ全部を分け終わった。
その間にお袋さんにクッキーを口に捻じ込まれたりしたが、無事に分け終わり、その後僕とお袋さんは年寄りの家を訪ねて周り、クッキーを渡したのだった。
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