ザンの回顧録
あれは何年目の大会のことだろう。ザンはトーナメントを順調に勝ち進み、次の相手は河北の龍ことホアン・フェイロンだ。この武術大会では優勝街道まっしぐら。誰もが恐れる怪物だ。
試合は屋外の土の上で行われる。会場は満杯の客で溢れ、秋の涼しい風が吹くなかでも熱気でむんむんするほどだ。
ザンは流派の欄に義和門拳ではなく、梅花拳と書いた。もちろん上位を狙っている。昨年から始めた武館に生徒を呼び込むためだ。ザンの方も必死なのである。
この大会には様々な流派の将来をしょってたつ者、あるいは師範直々に出場している。この大会の成績によって生徒達はその門を叩く事が多い。一言で言えば生活がかかっているのだ。よって大会上位には、圧倒的な力をもつ武者が名を連ねる。商売をしながら武術をしているザンがここまでのぼってこれたのは奇跡に近いという出来事だったのだ。
さてそのホアンであるが、離れてよし、接近戦でも巧みで隙がない。その怪物が対面の椅子に座って、白い木綿の布をマントのように羽織っている。弟子と思われる男が甲斐甲斐しく竹の水筒をフェイロンに渡す。水を口に含み、立ち上がる。いよいよ試合の開始である。
「フェイロ~ン♡ 」
整った顔立ちに、惚れている女性ファンも多い。
両者壇上に上がる。拱手の礼をし、試合開始の鐘がなる。ザンはまずは様子見の拳を繰り出す。筈だった…しかしその腕をいきなり掴まれたではないか。一気に距離を縮めるフェイロン。水月に拳を入れられ、その腕でさらに顎に下突きである。
体がふわりと浮いたと思うと次の瞬間地面に叩きつけられていた。
瞬殺……ザンの頭の中はその文字で埋め尽くされていた。
しかしこれくらいで負ける訳にはいかない。
試合は無制限一本勝負。相手が敗北を認めればその者の勝ちという極めて単純なルールである。
ザンはよろよろと立ち上がる。先ほどの下突きで少し
揺れる視界、本能的な恐怖。敵は自分だ。今更ながら足が震えてきた。
「はいーっ!」
一方的な戦局になりそうなところを打破するためにザンは飛び蹴りを試みるも軽い足取りでかわされる。
「噴!」
両手を虎爪にして迫るフェイロン。まさに虎である。ザンはなんとか避けたものの、次に放ってきた前蹴りは思い切り食らってしまう。
尻もちをつくザン。普通ならここから寝技に持ち込む者も多い中、フェイロンは腕を組みザンが立ち上がるのを待っている。
ザンは構え直す。全く試合になっていない。拳の応酬もしてないし、蹴り技の掛け合いにもなっていない。
――完全に遊ばれている!
フェイロンが突っ込んでくる。「ブン!」と音が鳴るほどの横突きがザンの顔面を捉える。続いて右直突き、左下突きの三連発でザンは後ろにひっくり返ってしまった。
見えるのは真っ青な蒼天。もはや起き上がる気力もない。
審判が飛んで来て闘えるかどうかを確認する。
ザンは何も言わずに腕でばつ印を描いた。
審判がフェイロンの手を上げる。フェイロンは拱手の礼を四方に向かってやっている。ザンは胡座をかいてそれをぼんやり見ていた。
――世の中すげー奴がいるもんだ……
ザンはフェイロンの強さを握手することで素直に讃えた。フェイロンは晴れやかな笑顔でそれに応える。汗をかくこともなく会場を後にした。
二日後、決勝が行われ、フェイロンは難なく優勝をものにした。
さて、ここからがフェイロンらしいところである。フェイロンは決勝トーナメントで負かした者全員を武館での宴会に呼んだのだ。もちろん来ない者もいたが後の五人は全員参加した。
侠家拳のワン、秘宗拳のヤン、通背拳のザオ、心意六合拳のウー、皆毎年のように決勝トーナメントに勝ち上がって来る猛者ばかりである。
盃が配られ、酒が注がれる。フェイロン親衛隊である女の子達も呼んである。饅頭と唐揚げと回鍋肉が食い放題、酒も飲み放題だ。乾杯の音頭はハオユーが取り、宴会が始まった。
フェイロンが近づいて来た。
「今回の試合はいい闘いだったよ」
「いや、もう、やられっばなしで、お恥ずかしい」
「今俺っちの弟子は七十人程度なんだ。最低でも百人は欲しいところさ。だからこっちも必死なんだ。分かってくれよな」
「もちろんですとも。みんな生活がかかっていますからね、私のように商売しながら武館をやってる者とは意気込みが違います」
「商売は何をやってるんだい?」
「宝石商ですよ。在庫ばかりたまってあまり儲けていませんが」
「そりゃいいや。もし俺が結婚するときには指輪でも見繕ってくれよな」
「大歓迎ですよ。その節はどうぞご贔屓に」
ここで会話が終わりフェイロンは人の輪に戻って行った。
ザンは後日改めてフェイロンの武館に足を運んだ。大会に出た本当の目的を話す為だ。
「抗日救国会?」
フェイロンの顔が厳しくなった。
各地で暴動を起こして抗日運動をしている連盟のことである。ザンもその会に名を連ねている一人なのだ。ゆえにザンの武館に通っているものは、武術の訓練もさることながら、運動員でもあるのだ。
「もちろん強制はしない。しかし、ここ河北も日帝の手が伸びつつある。俺の武館に
「フェイロンでいい。しかし軍隊を相手に暴動を起こすのは、ちっと無理があるんじゃねーのかい」
「無理を承知で闘っているんだ。皆身内を殺されたり、投獄されたりした者ばかりなのさ。フェイロンが仲間に加わってくれたとあらば、一気に士気があがる。ここはひとつ、どうか仲間に加わってくれないか。頼む、この通りだ」
ザンが頭を下げる。
「とりあえず考えさせてくれ。今すぐ暴動を起こす訳でもないんだろう?」
「ああ、何ヵ月後か、何年後かは分からない。しかし時が迫っているのは確かだ」
「抗日運動か……ザンさんよ、お前さんも身内がやられたのかい」
「ああ、兄が殺られた。その弔い合戦なんだよ。とにかく考えていてくれ」
ザンは帰って行った。そのやり取りを通路の裏で聞いていたハオユー。
「どう思う?」
「俺は参加もありかと思っている」
「そうか……」
フェイロンは奥にあるソファーにどっかりと腰を下ろした。
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