天涯の男達



 夜、二人部屋を二部屋借り、フェイロンとハオユー、ウンランとダーフーが、共に寝床についた。


 しばらくするととなりの引き戸が開き、便所に行く音がミシミシと伝わってきた。ダーフーであろう。


 フェイロンはさして気にかけなかったが、足音は部屋には帰らず一階へ向かったようだ。フェイロンも便所へ行き、一階へと降りてゆく。


 勝手口を開けて路地裏に出る。川沿いの表通りへ出ると、いた。ダーフーである。川に降りてゆく石段に座っている。


「よう、眠れないのか」

 フェイロンは大きめの瓢箪いっぱいに入った酒をダーフーに渡す。

「ははっ。かっぱらってきた」

 ダーフーが笑いながら一口飲む。


「お前、ダーフーっていうのは偽名だろう。本当の名前はなんて言うんだ」

「与儀だ」

「姓が与で名が儀か」

「ああ、中国人はそうとるな。姓が与儀で名は宗光だ。俺の出身の琉球ってところに与儀という地名があってな、そこから由来している。お前の名前、フェイロン (飛龍) っていうのは、親が武術家っていうのがすぐに分かるな。健在か?」

「死んだ。俺が十歳の時だ。日帝の奴らになぶり殺しにされたんだ。俺は復讐をしなくちゃならねぇ。だからザンに力を貸して、俺自身も運動に関わっているんだ」


 フェイロンも酒をごくごく飲む。与儀はよほど嫌な思い出だったのだろうと察する。


「しかしその一団を殺らないと復讐にならないんじゃないのか」

「俺の中では繋がっているんだよ。最初はザンにその話を持ちかけられた時には、俺もそう思ったさ。しかし日本軍に征服された場所は武術が一切禁止になるって言うじゃねーか。いろいろ迷っていたところに、丁度お前が表れた。そして負けて踏ん切りがついたってわけさ」

「俺が道場破りをしたことが、お前を動かしたのか。皮肉な巡り合わせだな」

「世の中っていうのは皮肉でがんじがらめさ。お前に武術を教えているのも皮肉の塊のようなもんだ」


 与儀は目の前の川の流れを見つめていた。どこか儚げで、どこか決意のようなものを滲ませて。


「俺の父親が死んだのも、俺が十歳の時だった。琉球から東京へ出て、空手道場を開いたんだ。最初は『廃刀令』の影響もあって、徒手空拳で戦う空手は繁盛したもんさ。しかしやはり日本は剣術の国だ。弟子が十人減り、二十人減り……最後は酒浸りになって死んだ。俺は父から与えられたこの力を道場経営なんかのちゃちな仕事じゃなく、もっと大きな事に使おうと決めた。父の葬儀を終えると、その足で軍隊の本部に出向いた。俺は生まれつき体がでかかったんで一発で入隊を許可されたってわけだ」


「なるほどな、そのころからもう特務機関員だったのか」

「ああ、最初から優待員で中国語の先生もついていた。逆に俺は十歳にして空手の指導員になった。誰も俺に勝てなかったからだ」


「あはは、なんだか似たような人生をたどっているなあ」

 フェイロンが笑う。


「ところでそのちょくちょく出てくる琉球っていうのは、地名なのか国名なのかなんなんだ」

「それを話し出すと長くなるぞ」

「時間は悠久にある」


 今度は与儀が遠い目をして話し始めた。

「日本の遥か南に小さな島がある。それが琉球だ。そこには遥か昔から琉球王国という、日本とは別の王朝があったんだ。中国や日本の政策に翻弄されながらもなんとか独立国の体面だけは保っていた。しかし、今からおよそ三百年前、日本の薩摩藩が侵攻して、王国を併合してしまったんだ。当時は日本は鎖国政策を取っていたんで、貿易が自由な琉球王国に目を着けたってわけさ。そして薩摩藩は莫大な利益を上げていったんだ。それこそ日本の政権をくつがえすほどのな」


「それで……国家転覆は成ったのか」


「ああ、今ではその内戦を称して『明治維新』と呼ばれている」


 与儀は、片眉を上げて考えている。

「話があらぬ方向に飛んだな。そうだ、薩摩藩に併合されてからだ」


 少し間をおき……

「琉球出身の俺でも今はそれで良かったと思っている。欧米列強の植民地にならずにすんだからだ。実は俺も軍の中で差別を受けている。俺も二等国民なんだよ」

「お前も…二等国民なのか」

「純血の日本人以外は全て二等だ。まあ俺は軍にいるので手柄さえ立てれば出世はしていくが……見えない差別があちこちにある」

「現実は厳しいんだな」

「そういう事だ」


 しばらくしてフェイロンが歌いだす。


 牀前看月光

 疑是地上霜

 挙頭望山月

 低頭思故郷


「季白か、いい詩だ。俺達流れ者にはより一層染みる詩だな」

「俺が知ってるのはこの詩だけだけどな」


「今度の暴動が終わったらやはり広東か福建辺りに逃げるのか」

「そうだな。最初は河南に行くつもりだったんだが、河南も日本軍にすぐに占領されそうな勢いなんでな、もっと南に行こうと決めたんだ」


 フェイロンが立ち上がる。

「さて、これ以上飲むと明日は二日酔いだ。おそらく明日は遅れるだろうけどな。リーとジァンが稽古を見ていてくれればいいんだが」


 熱帯夜だ。夜風が生ぬるい。フェイロンと与儀は宿に戻っていった。

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